01. 2014年7月28日 13:52:54
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これかただし殺人光線「Z」では、ウクライナ機の被害状況は説明できないな http://www.dailymotion.com/video/x2275do_%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%89%B9%E9%9B%86-%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E4%B8%8A%E7%A9%BA%E3%81%A7%E4%BD%95%E3%81%8C-20140726_news 報道特集「ウクライナ上空で何が」20140726 http://www.dailymotion.com/video/x2275h5_%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%89%B9%E9%9B%86-%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%85%89%E7%B7%9A%EF%BD%9A%E3%81%A8%E3%81%AF-20140726_news 報道特集「殺人光線Zとは」20140726 http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/genbaku/ もう一つの「原爆」 大阪に落とされた模擬原爆 二〇〇一年の9・11米中枢同時多発テロ、イラク戦争に続いて、自衛隊のイラク派遣など、日本を取り巻く国際環境が激変している。一方で、日本は人類史上、初めて原爆を広島、長崎に投下された被爆国だ。だが、広島、長崎に先駆け、国内には原爆投下訓練を目的に原爆用の爆弾に通常の火薬を充てんした“模擬原爆”が国内五十カ所に投下され、大阪府内でも大阪市東住吉区田辺地区に落とされて住民に被害をもたらしていた。戦後五十九年目を迎え、人々の記憶が風化する中、あらためて田辺地区に投下された模擬原爆を検証してみた。
効果的訓練
本物投下なら大阪、堺全壊 2004/08/08 「7・26田辺の模擬原 爆」のパネル展を見入 る追悼式の参加者ら 米軍は八月六日の広島、同九日の長崎に原爆投下を行った。ところが、日本の降伏が決定的となった終戦前日の八月十四日にも「米軍は保有原爆が一個もない段階でも愛知県春日井・豊田に七発の模擬原爆を投下している」(小山名誉教授)という。 なぜなのか。小山教授はこの行為をこうみる。「とにかく、模擬原爆投下のデータが欲しかったのでしょう」。 模擬原爆の資料を発見した愛知県春日井市の「春日井の戦争を記録する会」のメンバーも「春日井には、終戦間際に模擬原爆が投下されている」という。また、模擬原爆が投下された日本国内五十カ所には日付、ミッションナンバー、レーダーか目視か、爆撃高度、目標名称、着弾地点とともに「損害評価」を「Excellent(優秀)」「Good(良い)」「Hit(当たった)」「None(なし)」「Poor(乏しい)」「Unobserved(観測せず)」などと記述している。 北田辺は、一九四五年七月二十六日、ミッション9、目視、爆撃高度二万九千フィートで破壊度の評価は「None」と記述。神戸市内でも七月二十四日に旧国鉄鷹取工場(須磨区若木町)、三菱重工業神戸造船所(兵庫区和田崎町)、神戸製鋼所と工場を中心に四カ所に模擬原爆が投下された。 当時、ワシントンでは次のような電報が交わされていたという。 「第五〇九部隊は(中略)日本に対する一連の空襲を始めた。その目的は搭乗員を目標地域と最後の任務遂行のための戦法に慣れさせ、また一方日本人に高い高度を飛ぶB29の小編隊を眺めることに慣れさせるためである」 戦後出版された米軍資料「原爆投下の経緯」(東方出版刊行)には、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの機長だったポールW・ティベッツ・ジュニア准将がインタビューに答えている。模擬原爆による訓練作戦については「(模擬原爆の訓練は)実際、搭乗員たちがしてきた訓練の頂点だったから、たいへんに役立った。彼らに訓練用爆弾を与え、彼らを一つのピンポイント目標に送り出し、結果を写真に撮り−われわれは彼らに目視条件のもとに投弾することだけを許した」と、模擬爆弾の訓練が効果的だったと話している。 そして、このインタビューを裏付けるように大阪・田辺に模擬原爆が投下された十一日後に広島、十四日後に長崎に原爆が投下された。「田辺に本物の原爆が投下されていたら、広島、長崎の被災状況から推測して大阪、堺の両市の建物を全壊し、十万人以上も死者が出ていた」と、小山名誉教授は言う。 小学三年生の時に広島で被爆した語り部、飯田清和さん(69)=住吉区清水丘=は「これまでは被爆者ということを隠していた。しかし、今こそ原爆の悲惨さを語り継ぐのが私の使命」と話す。 また、地元出身で、「7・26田辺の模擬原爆追悼の集い」の実行委員を務めるラジオ大阪記者の吉村直樹さんは「田辺に落とされた模擬原爆は広島、長崎の原爆投下に密接に関係がある。今の日本を取り巻く雰囲気は戦後というより戦前の嫌な雰囲気がある。今こそ平和を求める声を大きくしていかなければならない」と話している。
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