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敵兵の銃弾が…。
「しんぶん赤旗」 2014年7月28日
きょうの潮流
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-07-28/2014072801_06_0.html
ドイツ軍の若い兵士が、塹壕(ざんごう)から手を伸ばしてチョウをつかまえようとした瞬間に敵兵の銃弾が…。第1次世界大戦を描いた映画「西部戦線異状なし」の印象的なラストシーンです
▼原作は、レマルクの同名の小説です。小説には、このシーンはありません。チョウが登場するのは、主人公のパウル・ボイメルが戦場の草っぱらで見たとき。夏のやわらかい暑い風の中でオオモンシロチョウがひらひら飛んでいました
▼次にチョウを見たのは、塹壕の間に死の山ができたころ。1本の木も花もないところで迷ったのか、2匹のチョウが塹壕の前へ飛んできて、「ある骸骨の歯の上に止って休んでいた」(新潮文庫、秦豊吉訳)
▼
西部戦線では長い塹壕が掘られ、砲弾がさく裂し、毒ガス、戦車も使われ「兵器の戦争」になり、死傷者が続出しました。死者が名前ではなく、数字の塊で把握されるようになりました。独仏の歴史家が共同執筆した通史は「この戦争で初めて死が匿名になった」と書いています
▼19歳でドイツ兵として参戦し負傷したレマルクは、パウルに語らせています。「幾年の間僕らのする仕事は、人を殺すことであった」「撃ち込んだ爆弾は、実は僕らの心臓に当たっているのだ」
▼穴に落ちてきた敵兵を刺殺したあと後悔し「戦争は二度とあってはならない」とつぶやくパウル。戦場で思索する主人公の言葉は、人を殺し、殺される戦争の本質をみごとに言いあてています。きょうは、第1次世界大戦の開始から100年です。
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<参照>
負傷したポールは傷が癒えた後、休暇で故郷の町に帰る。久しぶりに家族とのひと時を過ごすポール。
姉と一緒に採集した蝶の標本を懐かしそうに眺めるポール(A)。観客はここで初めて彼の趣味を知ることになる。
前線でのある一日、塹壕の中で疲れを癒していたポールの目にふと入ったのは一匹の蝶(C)。心和らぐ懐かしさに、微笑みを浮かべながら思わず銃眼からそっと手を差しのべるポール(B)。
・・・こだまする銃声。敵の銃弾が彼の若い命を吹き消した。
しかしその日、司令部へは一兵士の死など一顧だにされず、
「All Quiet on the Western Front(西部戦線異状なし)」 と報告されただけであった。
これは小説の原題「Im Westen nichts Neues(西部戦線何も目新しきことなし)」と同じで、
個人の死などまったく考慮されない戦争の虚しさを的確に表現している。
(*映画の中の蝶2、「西部戦線異状なし」から抜粋)
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