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NATOから核戦争を仕掛けられるという想定の演習を露国が実施する状況の中、日本は集団的自衛権
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2014.06.26 10:28:07 櫻井ジャーナル
5月上旬、そして5月下旬から6月上旬にかけてロシアはアメリカ/NATOから核攻撃された場合を想定した演習を実施、ソ連時代にもなかったことで注目されている。アメリカ/NATOがネオ・ナチを使ってウクライナを乗っ取り、10分以内にモスクワの司令部を核攻撃することが可能になった状況を受けてのことだったようだ。
2度目の演習では地対地ミサイルの「イスカンダル」(NATOは「SS-26ストーン」と呼んでいる)も使われたという。この移動式ミサイルは衛星、航空機、地上基地などから目標を指示できるだけでなく、搭載されたコンピュータにターゲットの映像を記憶させて目標の位置を特定させることもでき、しかも電磁パルスを使って敵のレーダーを攪乱させたり、オトリを放出するなどして防衛システムをかいくぐることができるとも言われている。速度はマッハ6から7で、射程距離は280から500キロメートルだと言われ、ロシア領内から反撃することが可能。アメリカが核戦争を始めれば、EUも消滅するということでもある。
本ブログでは何度も書いているように、アメリカ支配層の内部にはソ連/ロシアや中国を先制核攻撃したくてうずうずしている好戦派が存在する。そうした中、ソ連との平和共存の道を模索していたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺されている。この年は先制核攻撃計画の最初の山場だった。
日本が降伏して4年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とす計画を立て、1952年には水爆実験に成功している。この段階における核兵器の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めたのが、あのカーティス・ルメイ中将だ。その後、空軍副参謀長になっている。
SACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。その翌年にアメリカが保有する核兵器は2280発になり、1958年には3000発近くにまで膨らんだ。その間、1956年にルメイたちは1000機近いB47爆撃機をアラスカやグリーンランドの空軍基地から飛び立たせ、北極の上空を通過、ソ連の国境近くまで飛行してUターンさせるというソ連攻撃の演習を行っている。
この一方、アメリカ支配層は東海岸にあるアレゲーニー山脈(アパラチア山系の一部)の中、高級ホテルとして有名なグリーンブライアの下にグリーンブライア・バンカーが建設されている。1959年に国防総省が中心になって着工、62年に完成している。
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカ軍がソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせたのは1957年初頭。先制核攻撃に必要なICBMを準備できるのは1963年の終わりだと好戦派は見通していた。1961年に大統領はドワイト・アイゼンハワーからケネディに交代、7月になると軍や情報機関の幹部が新大統領に核攻撃のプランを説明したという。
当然、こうした動きをソ連は察知、対抗上、中距離ミサイルをキューバへ運び込む。そうした対抗策を予想してアメリカはキューバへの軍事侵攻を計画している。亡命キューバ人に攻撃させ、その侵攻軍を助けるという名目で攻め込むことになっていたようだ。そのプランを阻止したのがケネディ大統領だった。キューバ人を装ってアメリカで破壊活動を行い、最終的にはキューバの近くで無人の旅客機を自爆させ、キューバ軍に撃墜されたことにして「報復攻撃」するという「ノースウッズ作戦」も実行できなかった。
キューバ侵攻作戦を理由にケネディ大統領はアレン・ダレスなどCIAの幹部を追放、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーの再任を拒否しているが、好戦派との全面対決を避けるためにルメイを空軍の参謀長に任命した。
1962年8月にアメリカの偵察機U2はキューバで対空ミサイルの発射施設を発見、ソ連が中距離ミサイルを運び込んでいることもつかんだ。10月にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会うが、その多数派はルメイを中心とする好戦派。運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張したが、こうした主張を退け、大統領はキューバにミサイルが存在する事実を公表したうえで海上封鎖を宣言する。
10月27日にはU2がキューバ上空で撃墜され、シベリア上空ではソ連の戦闘機に迎撃される事態になり、国防長官はU2の飛行停止を命令するのだが、この命令は無視された。この日、ルメイ空軍参謀長をはじめとする統合参謀本部の強硬派は大統領に対し、即日ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたという。
結局、ケネディ大統領はソ連のニキタ・フルシチョフとの話し合いでミサイル危機を解決、翌年の6月にはアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連との平和共存を訴えた。大統領が暗殺されるのは、その5カ月後のことだ。暗殺直後、CIAがキューバやソ連が黒幕だという情報を流したのは核戦争を始めたいからにほかならない。この情報が嘘だということをFBIがリンドン・ジョンソン新大統領に報告したこともあり、開戦には至らなかったが。
生前、ケネディ大統領は『5月の7日間』というアメリカにおけるクーデターをテーマにした小説を読み、友人にありえる話だと語り、ジョン・フランケンハイマーに映画化を進めている。映画が公開されたのは大統領が暗殺された後、1964年の2月だ。小説の作者のひとり、フレッチャー・ニーベルがプロットを思いつく切っ掛けはルメイへのインタビューだったという。
ケネディ大統領が暗殺された翌年、そのルメイは「勲一等旭日大綬章」を日本政府から授与されている。航空自衛隊の育成に協力したからだという。航空自衛隊はルメイのメンタリティーを受け継いでいると言えるかもしれない。だからこそ、田母神俊雄のような人物が航空幕僚長になれたのだろう。
現在のアメリカにもルメイのような精神構造の人間が支配層にいて、ロシアや中国を核攻撃しようとしている。安倍晋三が早く集団的自衛権を行使できるようにしようと必死な理由はその辺にあるのかもしれない。
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