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Re: テスト
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/816.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 22 日 04:34:10: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

(回答先: Re: テスト 投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 08 日 14:53:07)

皇后陛下の文章(谷間の百合)
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/541.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 21 日 11:55:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 
 

皇后陛下の文章
https://taninoyuri.exblog.jp/29805479/
2018-10-20 18:34 谷間の百合


皇后はきょう満84歳の誕生日を迎えられました。

街着のような着物を召しておられる写真で、正装以外の着物姿を始めて拝見して新鮮な驚きを覚えたのですが、これからは紬などもお召しになるかもしれません。

ところで、きょうは朝から皇后が宮内記者会の質問に答えられた文章を何度か読んでいたのですが、その内なぜか源氏物語でも読んでいるかのような錯覚に捉われていったのですが、これが皇室の文化伝統というものの奥深さ裾野の広さなのでしょうか。

それで思い起こすのは、源氏物語はフィクションであってもかなり忠実に実際の人物を描いているのだろうと思いますが、それで深く感じたのは、登場する各天皇の繊細な感性や悲しみに寄り添うこころでした。

きのうの報ステだったと思いますが、教育係の小泉信三が皇太子にどんな女性を好ましく思うかと問うたところ、自分は特別な環境で育って世間を知らない、人のこころが分からない、だから人の心の分かる女性が好ましいと、大体ですがそのようなことを答えられたということでした。

人のこころを知りたい、そして、できるだけそのこころに寄り添いたいというのが皇室の伝統なのだと思いました。

それは昭和天皇が11歳の皇太子に宛てた手紙からも感じることです。

終戦の決断をしたことについて

「今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど、先生とあまりにちがったことになるのでひかえて居たことを許してくれ。」

と書かれている部分ですが、皇太子の担任の教師と相反することを言っては教師が気の毒でもあるし、皇太子の教育上もよくないという細やかな配慮をしているのです。

皇后は、人のこころの分かる人という皇太子の希望に添える女性だったばかりか、皇太子への愛に応えるべく厳しい自己研鑽を積んでこられたことは国民も遠くから見てきたことです。

聖心の学長の「経験するだけでは足りない、経験したことに思いをめぐらすように」という言葉を幾度となく自分に言い聞かせてきたということですが、思いをめぐらさなければ、経験は経験になりません。

国の経験が歴史ですが、未曾有な戦争体験も、それについて思いをめぐらさなければ反省もできないということです。

多分、それが日本人にいちばん欠けていることで、内省や反省のできる人はごくわずかだろうと思います。

こんど移られる仙洞御所(赤坂御所)には、母の代理として清掃の奉仕で行ったことがあり、そこで両殿下(現両陛下)にお会いしました。

むかしの小学校の教室のような部屋で待っていると、両殿下が入って来られてねぎらいのお言葉を言われたのですがまったくおぼえていないのです。

ただ、妃殿下が持っておられたハンドバックが流行おくれの古い型だったのがなぜか悲しくて、それがいつまでも悲しみとして残りました。


平成最後の誕生日 皇后さまが明かした今後の願い
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20181020-00000029-ann-soci
10/20(土) 16:32配信 ANN

 20日に84歳の誕生日を迎えられた皇后さまが現在の胸の内を文書で明かされました。天皇陛下が退位して公務を離れた後、楽しみにしていることが2つあるそうです。

くわしくは動画で…

皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/21
2018.10.20 宮内庁

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

     
     皇后陛下お誕生日に際してのご近影


問 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。

皇后陛下
 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。

 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。

 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく − そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 先々には,仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り陽の見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。

 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。

 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田の近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田に踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。

 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。

(参考)

1「ジーヴス」
 イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス

2「大変な瓜田に踏み入るところでした」
 広く知られている言い習わしに「瓜田に履を納れず」(瓜畑で靴を履き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から,疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。

 

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