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No.1 週刊ポスト 2015年5/22〜6/19号連載『安倍晋三「沈黙の仮面」ー“独裁者”の生い立ちと苦悩ー』野上忠興より
嘘つきで無責任で頭が悪かったのは幼少時からという関係者の証言を紹介します。
以下、括弧なしの記述はほぼ本文通り。「」付きは本文でも「」付き。()付きは投稿者の補足。〈〉付きは投稿者の感想です。No.xは投稿者のつけた段落記号で、特に意味はありません。
No.2 夏休みの最終日、兄(安倍寛信)は宿題が終わっていないと涙顔になった。だが、晋三は違った。(養育係の久保ウメの証言)「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』という。
No.3 寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。」
No.4 (養育係の久保ウメの証言)「 でも、学校からはあと1週間でノートを埋めてきなさいと罰が出る。ノート1冊を埋めるのはたいへん。私がかわりに左手で書いて、疲れるとママに代わった」
〈くそだな、シンゾー〉
No.5 (養育係の久保ウメの証言)「夜、晋ちゃんを起こしておしっこをさせるでしょう。そして自分の部屋に寝かせる。私が用足しして戻ってくると、「こっちのほうが温かいや」って私の部屋の布団にもぐり込んでくるの。それが中学生になっても続いた。」
〈ゲッ。いくら母親代わりと行っても他人なのに・・・。〉
No.6 (安倍晋三が高校生の時、父) 晋太郎が「東大に行け、東大に行け」と頭を分厚い漢和辞典で叩く光景を関係者は目撃している。
〈これ以来、シンゾーは辞書嫌いになり、1回目の総理就任まで辞書を買わなかったわけだ(笑)〉
No.7 政治家への思いと名門家系の誇りに胸をふくらませ、一方では思うようにならぬ勉学に羞恥とルサンチマンを募らせていた多感な高校生にとって、東大卒で反骨の政治家と称えられた父(安倍寛)を持つ晋太郎の「愛のムチ」は素直に受け入れられるはずもなかった。
No.8 成蹊大学政治学科に進んだ安倍(晋三)は、真っ赤なアルファロメオで通学し、雀荘に入り浸るようになる。
〈まるでヤクザのご子息様ですね、恐れ入りました。小学〜高校と東大生の家庭教師をつけられていて、何一つ不自由のない裕福な家庭にいればふつう東大くらい入学できるのでは?〉
No.9 (安倍晋三本人の証言、岸家に養子に出された実の弟、岸信夫について)「祖父(岸信介)は圧倒的に信夫を可愛がっていた。寵愛を一身に受けていた。その前は私だったんだが。滅茶苦茶甘やかされているから少し鍛えてやらなければならないと、結構いじめたりした」
No.10 安倍(晋三)が周囲に「ボク、パパのあとをやるよ」と言い出したのは、その頃だ。
〈自分の祖父への甘えは不問にして、実の弟にはイジメですか・・・。さらに4才年下の弟に対抗心むき出しですか・・・。つくづく懐の狭い人間ですね〉
No.11 (養育係の久保ウメの証言)「晋ちゃんは友達を大勢連れてきて、そのまま泊めることもあるから、お手伝いさんには『ご飯を多めに炊いておくように』と行っていたほどだった」
〈映画監督ごっこをしてシンゾーが友達にあれこれ指図したそうです。嫌われる金持ちのバカ息子の典型ですね〉
No.12 (安倍晋三本人の証言)「高校に入った頃、当時はマスコミも左翼的な空気が支配していて、私の通っていた学校は私立ではあったけれでも、先生はみんな左。政治家は評判の悪い仕事なわけだ。しかも祖父はA級戦犯容疑者だったと批判されている。祖父はそんな悪いんじゃないのにと子供心に思っていて、そうした空気に対する反発があった。
No.13 しかし、それは政治家がうまく国民に説明していないからじゃないか。自分ならもっとうまく説明できるのに、とも思っていた。ちょうど70年安保の頃で、私はクラスで安保の議論をしても誰にも負けなかった」
No.14 〈ツッコミどころ満載とはこのシンゾー君の発言ですね(笑)。まず、その頃も今も(残念ながら)世の中は階級社会であるという認識が全く欠如していますね。階級対立がある以上、右・左はあって当然なんですがそれが死んでもわからないのでしょう、彼には。〉
No.15 〈祖父はそんなに悪くないって? それはあなたの祖父・孫の私的な関係に過ぎないでしょう。どんな悪人でも自分の孫はたいていは可愛がるでしょうね。公私混同の意味もわからないのでしょう、このバカは。〉
No.16 〈自分なら国民にうまく説明できる? (笑) 今般の「戦争法案」はうまく説明できているんですかね?理屈としておかしい物はどんなに言葉を弄しても、説得できるはずがないんです。大声で言い負かすだけは得意でしたか?(笑)〉
No.17 〈安保論議で誰にも負けなかった?フ、フ、フ、・・・。「このキチガイとは話ができない」と思われただけと勘付かないあなたの無神経さには恐れ入ります。〉
No.18 (成蹊大学時代の恩師の証言)「安倍(晋三)君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった。安倍君には、もっと幅広い知識や思想を磨いて、反対派の意見を聞き、議論を戦わせて軌道修正すべきところは修正するという柔軟性を持ってほしいと思っている」
No.19 首相に返り咲いた安倍は旧著に最終章を加筆『新しい国へ』を出した。『美しい国へ』の略歴にあった次の箇所が、そっくり削られていた。<成蹊大学法学部卒業。神戸製鋼所勤務を経て、82年に父・安倍晋太郎の外務大臣の秘書官に>
No.20 この不自然な“校正”に安倍を知る自民党議員も「学歴コンプレックスの裏返しと受け止められかねないのに」と苦笑した。
No.21 (大学時代のゼミの友人の証言)「本当に跡を継ぐ気であれば、もっといろいろな知識を吸収して“将来、日本はこうあるべき”といったモチベーションがあってもよかった。でも当時の安倍くんには、そういうビジョンは感じなかったし、その片鱗を語ることもなかった」
No.22 (大学卒業後、米国留学した件について、安倍晋三本人の証言)「特段、学究心に燃えてということでもなかった。習っていた英会話に多少なりとも磨きをかけられればという程度の気持ちだった」
〈単身米国に行くなんて、動機はともかく度胸があると思うでしょ? 実際は、岸信介・安倍家と親交があった華僑の世話になったそうです。つくづく親の七光りだけのクズです〉
No.23 (米国留学当時の逸話、安倍家関係者の証言)「毎晩のようにかけてくる国際電話代が10万円にもなる月が続いた。さすがに晋太郎さんが『何を甘えているんだ。それなら日本に戻せ!』と声を荒げた」
〈これで安倍晋三は日本に戻ります。南カルフォルニア大学在籍1年3か月でした。遊びに行っただけですね orz 〉
No.24 (神戸製鋼勤務時代の上司の証言)「彼は課長の私が『やめておけ』という案件を、あきらめないでこっそり商社と進めていた。『このヤロー」と思っていたら翌年に大きなビジネスになるケースが結構あった。」
〈シンゾー君、営業の仕事が得意だったようです。そのまま神戸製鋼に骨を埋めてくれたらどれだけの人が助かったことか ( ´Д`)=3 〉
No.25 (93年衆院選初当選、2002年核武装合憲論をぶってタカ派として売り出す。それに対する筆者野上忠興さんの意見) 筆者はこの頃から、安倍が岸の言葉や思想を借り、“タカ派のニューリーダー”として意識的に自分を装い始めたと考えている。
No.26〈なるほど。「右翼の軍国主義者」は演技だったのかもしれませんね。米国での演説での発言もそういう視点からなら腑に落ちます。中身はスッカラカンですか、アベシは・・・〉
参考
安保法案答弁でも嘘とヤジ…安倍晋三は小学生時代から嘘つきだったという新証言が…(リテラ) 赤かぶ
http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/738.html
岸信介と真逆…安倍晋三が一切触れない“もう一人の祖父”は反戦政治家だった!(リテラ) 赤かぶ
http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/460.html
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