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週刊東洋経済 2015.2.21
二人の日本人が「イスラム国」のテロリストによって惨殺されたことで、日本の憲法や国の形をめぐる議論が加速される気配である。首相およびその周辺の右派メディアからは、「テロとの戦い」をテコに、憲法9条の制約を取り払い、自衛隊が海外で武力行使を含む幅広い活動ができるようにするべきという声が出ている。大きなショックで国民感情が激しているときに国の進路を大きく変更することは、立憲主義、民主主義の破壊につながる。一連の事件に対する政府の対応を検証し、テロの拡大を防ぐため、さらに日本の自由や民主主義という価値を守るため、何をすべきか、熟慮すべき時である。
テロリストが人質の存在を公表し、身代金を要求したとき、安倍晋三首相は人質を助けるためにあらゆる手段を取ると言った一方、テロには断固屈しないとも強調した。一国の指導者としては、表向きにはこれ以外に言いようはないであろう。しかし、人質の生還とテロに屈しないという二つの命題は矛盾することを、首相はどこまで理解していたのか。人質の生還を優先してテロリストと交渉し、何らかの見返りを与えるなら、テロという手法を容認したことになる。逆に、テロリストの存在を絶対に認めないという態度をとるなら、その大義のために人質が犠牲になっても仕方ないという結論に到達する。
この種の事件において、日本政府は「人命は地球より重い」(福田赳夫元首相)という方針を取ってきた。安倍首相の真意は、これを弱腰と見て、今回の事件を契機に転換する点にあったと解釈するしかない。人質が拘束されたのは昨年であり、政府は対策室を設けたのの、ほとんど情報収集はしていなかった。また、TBSの「報道特集」によれば、イスラム国側の窓口と日本のイスラム法学者との間で情報のやり取りがあったが、政府はまったく関与しようとしなかった。安倍首相が、人質拘束の状況において、あえてイスラエルでテロとの戦いを強い言葉で世界に表明したことは、大義を人命に優先させるという判断に基づくものであった。
首相が何らかの哲学に基づいてそのような判断をすることは自由である。ただし、世界に向かって高唱するならば、自らその哲学に忠実に生きなければならない。さらに、国民に対してそれを説明し、賛成とは行かないまでも、一定の納得を得なければならない。しかし、これら2点に関して、首相の哲学はインチキと断じざるをえない。
前者から見ておきたい。日本人殺害は、パリの新聞社への攻撃から始まる、一連のテロの一環である。フランスをはじめ文明社会の人々は、言論の自由や寛容な社会を守るという強い意思表示を行った。テロとの戦いを唱える安倍首相の足元で、何が起こっているのか。慰安婦報道に携わった元朝日新聞記者が勤務する北星学園大学に、2月初め入試を妨害し受験生に危害を加えるという脅迫状が届いた。慰安婦問題をはじめとする歴史認識に関しては、右翼や歴史修正主義者によるこの種のテロが相次いでいる。また、今でも街頭では在特会によるヘイトスピーチのデモが行われている。テロと戦う政治家は、これらの蛮行に対して、断固たる非難を行ったのか。安倍首相はインターネット上でネトウヨや歴史修正主義者に「いいね」をもらって喜んでいるではないか。首相や取り巻きが言うテロ非難は、真剣さを欠いている。
後者の問題においても、首相は主体的な決断について国民に説明していない。事件直後、首相は「日本は変わった。日本人にはこれから先、指一本触れさせない」と述べた。ここで自動詞の「変わった」を使うことは、あえて責任の所在をごまかすための話法である。彼の言う変わった日本は、以後、テロとの戦いに自衛隊が参加し、武力行使もする。その力を背景に、日本人を守ると叫んだのだろう。彼が本当の政治家なら、ここでは他動詞の「変えた」を使い、自分が日本の方針を変えた理由とそれがもたらす帰結について国民に説明すべきであった。状況が変わったから軍事力行使を解禁する、国民は安心してついてこいと言うのでは、事変に追随して戦争の泥沼にはまった80年前の日本と同じである。
憲法改正発議の空論
今回のテロ事件は、首相にとって憲法改正を進める好機と映っている。国会答弁では、国民の安全を守るために9条の改正が必要だという持論を持ち出した。さらに、次の参議院選挙の後に財政均衡、緊急事態対応、環境権などで憲法改正を発議する意欲も表明した。国民の多数が、日本はテロとの戦いに武力行使も辞すべきでなく、そのために犠牲者が出ても仕方ないと覚悟を決めるなら、それは国の路線の選択である。それこそが憲法9条をめぐる議論の核心であるべきである。日本人に指一本触れさせないために9条改正と自衛隊の海外派兵が必要だというのは、現実を無視した空論であり、核心の課題を隠蔽する議論である。
第2次安倍政権は、国民の安心、安全を旗印に、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置、集団的自衛権の行使容認など政策転換を重ねてきた。それが危機への対応や国民の安全確保につながっているのか。今回のテロ事件に対する対応の不在を見るにつけ、組織や仕組みは格好だけ、為政者のおもちゃと言わざるをえない。首相が言うように憲法を改正すれば、環境が浄化され、財政赤字が減り、危機への対応がうまくいくなどというのは空想である。情報を集め、知恵を巡らせる為政者の真摯な努力がなければ何も解決しない。
政治家は、大言壮語と英雄気取りというわなに陥りがちである。自己陶酔ともいうべき安倍首相の個人的思い込みで憲法をいじってはならない。国の命運を左右する大きな岐路において、政治家もメディアも学者も、落ち着いて議論を重ねなければならない。
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