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テスト
http://www.asyura2.com/14/test30/msg/674.html
投稿者 不動明 日時 2014 年 11 月 09 日 05:00:45: yX4.ILg8Nhnko
 

(回答先: テスト 投稿者 不動明 日時 2014 年 11 月 08 日 09:55:46)

 
 


洞爺湖:全長50メートルの橋 半分が沢に崩落 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20141107k0000e040223000c.html
洞爺湖:全長50メートルの橋 半分が沢に崩落
毎日新聞 2014年11月07日 12時54分(最終更新 11月07日 13時11分)

崩落した洞爺湖町の伏見橋=北海道洞爺湖町で2014年11月7日、共同
 7日午前8時15分ごろ、北海道洞爺湖町伏見の町道の伏見橋が崩落していると通行人から110番があった。伊達署によると、けが人や車の落下は確認されていないという。
 洞爺湖町によると、橋は全長約50メートルで、橋の半分ほどが沢に落ちていた。6日夜までは異常はなく、7日早朝に崩落したとみられる。
 1998年に建設された橋が最後に点検されたのは2012年9月で、異常は確認されなかったという。(共同)


洞爺湖町の町道の橋が崩落 けが人はなし、完成後まだ16年−北海道新聞[道内]
北海道・洞爺湖町で50mの橋が崩れ落ちる…2012年点検時には異常なし - 【 大地震・前兆・予言.com 】
 
 
 
 
なんてのってんだらうか?
セオリツヒメとかシオノヤノオジノ何とかとかアキツヒメの何とか
聞えたのだが正確な事が解からん。


京都観光ポータルサイト - e京都ねっと | お火焚祭
http://www.e-kyoto.net/saiji2/610
お火焚祭
11月8日(※毎年同じ日程です):伏見稲荷大社
 
 火焚祭とは今年一年間の収穫に感謝する行事で、
 伏見稲荷大社のものは全国一のスケール。
 立ち上る炎に圧倒されます。
 本殿の儀のあと、火焚きの儀が行わます。
 本殿裏手の斎場に3基の火床を設け、
 神田でとれた稲のわらを燃やし、
 恵みをもたらしてくれた神を山に送ります。
 その際、全国から寄せられた約10万本の願い事が
 書かれた火焚き串を焚き、
 神楽女の神楽舞が行われます。


 特に後半が見所。雨天決行。


 御神楽は古の鎮魂祭に基づく神事。
 孝明天皇の時代に、禁裏御所の特別の思召しで
 再興されました。
 薄暗い境内の庭燎(にわび)の中で、
 本歌・末歌・和琴・笛・ひちりきが奏でられ、
 早韓神が歌われるなか「人長舞」が舞われます。
  ・場所:伏見稲荷大社(伏見区深草)
  ・時間:本殿の儀:13時〜、火焚神事:14時〜
  ・御神楽(人長舞):18時〜
  ・料金:拝観自由
  ・アクセス:JR「稲荷」駅、京阪「伏見稲荷」駅
  ・お問合せ:075-641-7331


お火焚きとは?
 11月に入ると、京都の各神社から煙が立ち昇ります。
 お火焚きと呼ばれ、江戸時代から京都地方などで行われる神事で、
 陰暦11月に社前において火を焚き、祝詞や神楽でもって神意を慰めるものです。
 秋の収穫感謝の新嘗祭(しんじょうさい・にいなめさい)の一種、
 または古くから庭燎(にわび)を焚いて神楽を舞ったものの名残であるとも言われており、
 神社だけでなく民間でも行われ、みかんや饅頭、おこしなどを供え、
 神社が参詣者に授与したり、民間の子供たちに与えたりします。
 また鍛冶屋の鞴(ふいご)祭りなどが行われることもあったようで、
 火を用いる業種(鍛冶屋や染物屋、造酒屋など)で
 この様なお火焚きの日が決まっていることが多くあります。


お火焚き饅頭を食べよう!お土産にしよう!
 小豆のこしあんを入れた小判形の紅白饅頭に、宝珠の焼き印をつけたもの。
 お供えのおさがりとして近所の人や普段お世話になっている方々に配って回ります。
 昔は、子供たちは、今日はここ、明日はあっちと近所をまわって、
 お菓子を貰いに行くのが楽しみだったそうです。
 
 
 
 
火焚祭、京都の秋もえる 太陽の復活願う風物詩 : 京都新聞
火焚祭、京都の秋もえる 太陽の復活願う風物詩

京都市内の主な火焚祭
 冬の足音がひたひたと近づく11月、京都市内の神社で火焚祭(ひたきさい)が相次いで行われる。1980年頃までは市街地でも町内行事として、あちこちで行われていたという。意外に知られていないこの風物詩の歴史と意味を、あらためてたずねてみた。
 市内ではこの時期、火焚祭を営む神社が十数カ所ある。秋の収穫の感謝や厄除けの願いを込めて護摩木を焚き、神楽を舞って奉納する神社も多い。
 「30年ほど前には市内の至る所で火焚祭の開催日時を知らせる張り紙を見かけた」と、民俗芸能学会代表で市歴史資料館の元館長山路興造さん(75)=野洲市=は話す。山路さんによると、火焚祭は太陽光の力が一年で最も弱まる冬至に合わせ、その復活を願ったことに由来する。「身の回りの小さな共同体が受け継ぐ文化だった」
 京都の風俗を描いた江戸時代の絵巻にも、道端で火を焚き、それを子どもが見つめる姿が描かれているという。しかし、都市化とともに「適当な空き地が減り、安全管理の問題もあって徐々に消えていったのではないか」と推測する。
 伏見稲荷大社の火焚祭(8日)は全国有数の規模で知られ、十数万本もの護摩木が焚かれる。午後6時からは神職による「御神楽」が奏される。
 山路さんによると、江戸時代の稲荷大社文書には、現在の南丹市に当たる地域の村人が巫女(みこ)として伏見稲荷大社の祭礼に参勤し、神楽を舞っていたことが記されている。他にも京都では多くの巫女が職能集団をつくり、50人ほどが集住して村を形成する例もあったという。
 平安時代には宮廷儀式の一つだった神楽は、中世以降、神社などでも演じられるようになった。さらに明治時代、国家神道政策の一環で神職演舞禁止令が出されたことで、一般の村人の間に伝承されるようになった。
【 2014年11月07日 12時17分 】
 
 
 
 
伏見宮 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/伏見宮
 伏見宮(ふしみのみや)は、かつてあった日本の宮家の一つ。宮家御紋は伏見宮十四裏菊。世襲親王家の4家の中では最も歴史が古く、持明院統の嫡流で北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする。宮号はその所領だった伏見御領に因む。
 第3代貞成親王の第一王子彦仁王(後花園天皇)は嗣子のない称光天皇の猶子となって皇統を継ぎ、この系統が今日の皇室に連なっている。一方、貞成親王の第二王子貞常親王の系統は以後代々と伏見宮を継承し、明治になるとそこから数多くの連枝が新宮家を創設した。
 昭和22年(1947年)昭和天皇の弟である直宮3家を除いたすべての傍系宮家が皇籍を離脱することになったことにともない、代24代博明王が臣籍に下って伏見博明を名乗った。このとき皇籍離脱した11宮家はいずれもこの伏見宮の系統である。


歴史
 北朝第3代崇光天皇第一皇子栄仁親王は持明院統の嫡流にあたったが、その皇位継承は将軍足利義満に忌避されたと考えられ、皇位を継承することなく御領のひとつ伏見御領に移り、伏見殿と呼ばれるようになった。
 栄仁親王王子の3代貞成親王は、自ら伏見宮と称していた。貞成親王の第一王子は後花園天皇として即位し、第二王子の貞常親王が4代目となったが、貞常親王は兄の後花園天皇から永世「伏見殿」と称することを勅許され、以後、代々「伏見宮」と名乗るようになった。
 幕末から明治維新の時の19代貞敬親王および20代・23代邦家親王は子女に恵まれ、貞敬親王からは梨本宮、邦家親王からは山階宮・久邇宮・華頂宮・小松宮・北白川宮・東伏見宮がそれぞれ創設されたほか、幕末に断絶していた閑院宮をも継承して再興している。また久邇宮からはさらに賀陽宮・東久邇宮・朝香宮が創設された。維新後に創設された宮家はそのすべてが伏見宮家の系統である。
 邦家親王の跡を継いだ24代貞愛親王は、元帥・陸軍大将に累進。明治天皇および大正天皇の信任も厚く、皇族の重鎮として、大日本農会・在郷軍人会総裁を歴任した。
 貞愛親王の跡を継いだのが、25代博恭王である。博恭王は当初、華頂宮家を継承していたが、伏見宮家の継嗣とされていた弟の邦芳王が病弱のため、伏見宮に復帰して継嗣となった。元帥・海軍大将・軍令部総長として昭和海軍の実力者であった。博恭王は、1946年(昭和21年)8月16日に薨去し、博恭王の第一王子の博義王は父よりも早く薨去していたので、博義王の第一王子である博明王が26代となった。
 博明王は1947年(昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱し、伏見氏を名乗る。


伏見宮家邸宅
 江戸時代の伏見宮家は京都御所周辺に2ヶ所の邸宅を有しており、その時の当主の都合で、どちらかを本邸として使用していた。御所東部と御所北部に、その邸宅は存在した。御所北部の邸宅は現在、同志社女子大学の敷地の一部となっている。周囲には桂宮家と五摂家の二条家と近衛家の邸宅があった。
 御所東部(出町北鴨口)の邸宅跡地付近には、「妙音弁財天」を祀る伏見宮家の鎮守社が今も残る。
 明治初期以降の伏見宮邸の跡地は、現在はホテルニューオータニとなっており、庭園にその名残がある。なおこの場所には、はじめ加藤清正の下屋敷があり、後には井伊家中屋敷があった。


歴代当主
01.栄仁親王(北朝第 3代崇光天皇第 1皇子)
02.治仁王
03.貞成親王(後花園天皇父、後崇光太上天皇)
04.貞常親王
05.邦高親王
06.貞敦親王
07.邦輔親王
08.貞康親王
09.邦房親王
10.貞清親王
11.1邦尚親王
12.邦道親王
13.貞致親王
14.邦永親王
15.貞建親王
16.邦忠親王
17.貞行親王(桃園天皇第 2皇子)
18.邦頼親王(15代貞建親王王子)
19.貞敬親王
20.邦家親王※
21.貞教親王
22.貞愛親王(元帥陸軍大将)
23.博恭王(元帥海軍大将、軍令部総長)
24.博明王(皇籍離脱、伏見氏を名乗る)


※ 正確には、邦家親王→貞教親王→貞愛親王→邦家親王(再継承)→貞愛親王(再継承)→博恭王という継承が行われた。そのため、系図によっては邦家親王を20代・23代、貞愛親王を22代・24代、博恭王を25代と数えているものもある。
 また11代邦尚親王については、その父である10代貞清親王よりも7か月早く薨去しているので歴代当主に数えない説もある。同様に、24代博明王の父の博義王については、その父である23代博恭王よりも早く薨去しているが、博義王については歴代当主に数えていない資料が多い。
 

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