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(回答先: Re: テスト 投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 5 月 26 日 22:58:28)
権力の犬「読売新聞」の大罪 事実上の「クーデター」を賛美
http://hunter-investigate.jp/news/2014/07/post-516.html
2014年7月 3日 10:15 HUNTER
三権分立の日本で、行政府が憲法を捻じ曲げるという暴挙がまかり通った。1日、安倍晋三内閣が、集団的自衛権の行使を可能とするための「解釈改憲」を閣議決定。戦後の日本が守り通してきた平和主義を放棄した。主権者たる国民の声も、国会での議論も無視。国の根幹である憲法の精神を葬り去る、事実上のクーデター。「新たな戦前」の始まりである。
手を貸したのは極右的思想を持つ御用学者、そして「読売新聞」であったことは、疑う余地がない。2日の同紙朝刊には、ジャーナリズムとは無縁の論評と社説を掲載し、クーデターを賛美する主張を展開した。
日中戦争から太平洋戦争に至る過程では、大本営発表をたれ流し、戦争を鼓舞することで軍部に協力。戦後は「原発推進」の先頭に立った同紙。私たちは、この国に悲劇を招くのが、「読売新聞」であることを認識しなければならない。
事実上のクーデター
日本は司法、立法、行政の三権がそれぞれ独立し、互いに間違いをチェックすることになっている。法律を作るのは国会の役目。法律や国の根幹である憲法を守るのは裁判所。行政機関である政府は、定められた範囲の中で、国のかじ取りを行う。
その政府が、あろうことか勝手に憲法の解釈を変え、戦争への道を切り開くという暴挙に及んだ。この間、主権者たる国民の意見や国民の代表が集う国会は無視され、自民党と公明党だけの密室談合で事が決まっている。安倍の無法ぶりは、まがりなりにも法的な手順を踏んでワイマール憲法を無力化した、ナチスのヒトラーよりたちが悪い。今回の解釈改憲は、事実上のクーデターなのである。
ここで整理しておくが、集団的自衛権を行使するということは、よその国の争いに首を突っ込み、武力行使することを意味している。すると、攻撃された相手国は、敵対行為とみなすのが普通。そして「戦争」。子どもが考えても分かる筋書きだ。
もう一点。武力に関する抑止とは、相手と同等以上の力があってはじめて可能となるものだ。拳銃に対抗するのに拳銃では、心もとない。抑止力を高めるため、武器が拳銃からマシンガンとなり、ミサイルになり、行きつく先は核爆弾となる。集団的自衛権の行使が可能になったからといって、抑止力が高まるという安倍や読売の主張は、まったくのデタラメであることをはっきりさせておく。重ねて述べるが、抑止力を高めるには軍備強化=自衛隊の国軍化しかない。概念で相手国を抑えることなどできるはずがない。
安倍は、国民の安全を守るために憲法解釈を変えるんだと主張してきたが、もともと日本が直接攻撃を受けた場合は、「個別的自衛権」によって反撃することが許されている。わざわざ憲法解釈を変える必要はない。安倍の狙いは、戦争の機会を得て、実際に戦争指導をすること。彼の目が、狂気を宿しているのはそのせいだ。
「解釈改憲」隠す姑息さ
一人の狂った政治家が、国の根幹を揺るがす決定をすることに、多くの識者やジャーナリストが異を唱えてきた。しかし、3割近い日本人は、安倍のやったことに同意する意向を示している。なぜか――?一部のメディアが、戦争を煽ってきたからである。その代表が「読売新聞」。国内一の部数を誇る大新聞が、安倍を擁護し、巧妙に世論を誘導したことを見落としてはいけない。よほど嬉しかったのか、読売は解釈改憲の閣議決定が実現した翌日、最後の仕上げとばかりに、安倍政権と「クーデター」の成就を賛美してみせた。下は、2日の読売新聞朝刊1面。どこにも他紙の見出しに踊っている「解釈改憲」の文字はない。
集団的自衛権が論議され始めてから、読売は終始「憲法解釈の見直し」という表現を通してきた。「改憲」という二文字に、国民の拒絶反応があることを知っていたからに他ならない。同紙が実施した世論調査では、「解釈改憲」の是非さえ聞いていない(参照記事⇒《集団的自衛権 「読売」世論調査への疑念》)。
http://hunter-investigate.jp/news/2014/05/-15-27-56.html
「解釈改憲」の4文字を紙面に載せないという姿勢を崩さなかったことは、この新聞社が安倍を助け、憲法を変えるという意図を持って新聞を作っている証左であろう。
論評と社説 程度の低さにウンザリ
記事の書き手も、よほど程度が低いとみえる。2日朝刊の1面左上に、社会部長が書いた論評が掲載されている。50年以上生きてきたが、新聞の1面に、これほどひどい内容の文章を見た記憶はない。論評の2段落目には、≪政府が憲法解釈を変えたことではなく、長年変えなかったことに驚くべきだろう≫とある。正気の沙汰とは思えない。“集団的自衛権は認められない”とする憲法解釈があったからこそ、日本は戦後の69年間を平和のうちに過ごすことを許されたのである。それを否定する新聞人がいるとは、思ってもみなかった。論評を書いた田中隆之という人物は、新聞社の政治部長というより右翼団体の宣伝部長になった方が似合っているのではないか。
論評記事の内容も支離滅裂だ。日露戦争が出てきたり、東郷平八郎が登場したりと、戦争賛美ばかり。日本海海戦と集団的自衛権をいっしょくたにして論じ、安倍のやった解釈改憲を手放しで褒めたたえている。それでいて最後は≪批判のための批判に堕することなく、報道機関としてチェックする役割を果たしていきたい≫……。安倍の政権運営をノーチェックで擁護してきた同紙の言うことではあるまい。読売がチェックするのは、右傾化に懸念を示す他の報道機関や、国民の動静。役割は、極右政権のプロパガンダである。
1面の論評以上にレベルの低さを露呈したのが「社説」(右参照)。こちらは、さらに正気を失っている。見出しに〔抑止力向上へ意義深い「容認」〕――“気は確かですか”と問いかけたくなる。駄文の中に、やっと「解釈改憲」という言葉が登場しているが、安倍政権の決定は≪解釈改憲とは本質的に異なり≫、従来の解釈を≪適正化≫したものなのだという。政権側が「解釈改憲」だと明言していることも、認めないという傲慢さだ。
社説の筆者は、歴史的な方針転換を前に舞い上がってしまい、自分で何を書いているのか分からなくなっているのだろう。解釈改憲の否定に続き、政権の手法が「立憲主義に反する」とする多くの識者の指摘を批難。さらに「戦争への道を開く」という子どもでもわかる道筋を、≪情緒的な扇動≫で≪見当違い≫だと断じこんだ。ここまで権力の犬になりきれる新聞記者がいたのかと、改めて感心した次第である。ただし、国民を騙してはいけない。
1面の論評も社説も、安倍政権が解釈改憲の根拠に利用した「1972年の政府見解」に言及している。社説は≪1972年の政府見解の根幹を踏襲し、過去の解釈との論理的整合性を維持しており、合理的な範囲内の変更である≫と記しているが、これは明らかな嘘。「1972年の政府見解」は、集団的自衛権の行使を明確に否定したものだからだ。念のため、全文を紹介しておきたい。
国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第5条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソビエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。そして、わが国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。
ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。
憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
安倍や読売の人間は、集団的自衛権の行使は認められないとする「見解」の結論を無視して、都合のいい部分だけを使ったに過ぎない。1972年の政府見解をまとめたのは、平和主義に徹し、中国との国交を開いた故・田中角栄元首相。こんな使われ方をしては、浮かばれまい。
戦争・原発 推進役の読売新聞
三権分立が機能しない場合、権力の監視を行い、抑止力となるのは「ジャーナリズム」のはずだ。しかし、この国では戦前、新聞が戦争を煽り、戦時中は軍部と結託して負け戦ばかりの実情を隠ぺいした。その先頭に立ったのが、警察官僚上がりの正力松太郎(後の衆院議員)率いる読売新聞だった。戦後、正力は原発を日本に導入するため紙面を使って大キャンペーンを展開。「原子力の父」と呼ばれる存在となる。地震大国である我が国に、54基もの原発を整備するという非常識な事態を招いたのは、読売新聞だったと言っても過言ではない。その結果が現在のフクシマである。
読売新聞は、戦争と原発を日本に根付かせることを社是とする新聞社だ。世論誘導もお得意なら、嘘も平気で書く。プロ野球の球団(ジャイアンツ)を持ち、大衆紙の仮面を被ってはいるが、じつは権力側の味方。一般庶民の幸福など、まったく眼中にはないエセ報道機関なのである。そういえば、読売が支配する球団は「巨人軍」。12球団のうち、名前に「軍」がつくのはここだけだ。やっぱり戦(いくさ)が好きということか……。
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