http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/903.html
Tweet |
kojitakenの日記
2014-12-27
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141227/1419648643
少し古い記事だが、田中良紹のふざけた記事を見つけたので取り上げて批判しておく。田中良紹については、従来から悪印象を持っていたが、意外にも日記で言及したことはなかったようだ。下記の記事は、孫崎享を思い出させる内容である。一応安倍晋三批判の体裁をとっているが、内容は「ファシズムのすすめ」に他ならない。
岸信介と安倍晋三はこれほど違う(田中良紹) - 個人 - Yahoo!ニュース(2014年3月15日)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20140315-00033588/
はっきり言って岸信介と安倍晋三との比較なら、安倍晋三の方がまだマシだろう。その理由は、田中良紹自身の表現を借りれば、安倍晋三は「政治家ごっこ」をしているに過ぎないからである。つまり岸信介の危険な本質に、安倍晋三はまだ迫り得ていない。この母方の祖父を心から敬愛しているらしい安倍が岸の真の思想に目覚めた時、安倍晋三は正真正銘のファシストとして日本を戦争に導くかもしれない。だが現実的には、そんな可能性、つまり安倍晋三が「覚醒せる国家社会主義者」として戦争を主導する可能性はほとんどない。それよりも安倍晋三の危ない火遊びが偶発的な日中の衝突を招いて、岸がかつてとった道を否応なく再現させられる心配をする方がまだ現実的だ。戦争が本当に始まれば、巨額の戦費を調達せざるを得なくなるから、平時には手をつけられない富裕層からの資金調達にも手をつけざるを得なくなり、それが結果的に格差の解消につながる。戦時の総動員体制というのは結局そんなものだったのではないか。
安倍晋三個人について言えば、新自由主義勢力、すなわち現在の格差を固定するなりさらに拡大するなりしたいと思っている人々と強いつながりがあるから、仮に戦争に入って彼らの不利益になる政策を余儀なくされるようになってまでも、安倍が政権を保ち続けることができるとは想像できない。
もっとも安倍晋三批判はこの記事の本論ではない。主旨はあくまで田中良紹批判である。
田中は「北一輝は坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者である」などと書くが、北一輝は正しく「国家社会主義者」と書くべきであろう。その北一輝に心酔した岸信介も、疑いもなく「国家社会主義者」であった。
戦前の国会は、長く制限選挙であったし、1925年の俗に言う「普通選挙」も、25歳以上の成年男子にのみ選挙権が付与されたに過ぎなかった。当然ながら金持ち増税はできず、格差是正などままならなかった。岸信介ら当時の「革新官僚」は、莫大な戦費を必要とする戦争を利用して、「戦時統制経済体制をつくりあげた」のであって、「その仕組みが戦後になって日本型資本主義による高度経済成長を生み、世界で最も格差の少ない『一億総中流国家』をつくりあげた」ことにつながったのである。つまり、岸信介を語る時、絶対に戦争への言及を欠かしてはならない。
戦争が格差を一気に縮小したのは確かだが、その代償もまた莫大だった。戦争の相手国、自国とも莫大な犠牲を出した。岸信介にはその戦争責任がある。現在、岸の孫である安倍晋三は、さらなる格差拡大に励んでいるが、現在の日本社会の格差問題は、戦争の助けを借りずに解決されなければならない。
そのことを考えれば、岸信介をほめたたえて、政治家を「対米従属派」と「自主独立派」とに分け、岸信介や佐藤栄作(や小沢一郎や鳩山由紀夫)を後者に数え入れる素っ頓狂な孫崎某のような言説を、「リベラル」や「左派」は、絶対に受け入れてはならないのである。
上記の田中良紹の言説は、孫崎享のそれとそっくりである。
孫崎や田中、それに彼らの言説にかぶれる人間よりは、安倍晋三の方がまだマシと思わせるくらいひどい。安倍のネトウヨ趣味も、日本を戦争に突っ込ませるリスクを増大させるものではあるが、自主独立を唱える孫崎や田中、それに幸い一昨年引退したとはいえ鳩山由紀夫一派の「アブナさ」は、その安倍をも上回るひどさではないかと、私には思われる。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK177掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。