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2015-01-14 08:56:01
パリの週刊誌の風刺画掲載に端を発するテロ事件に対し、世界中で大きな抗議運動が起こり、日本の報道機関も特集を組んで大きく扱っています。しかし、おかしなことがまかり通っています。発端となった風刺画を掲載することから逃げているのです。
朝日新聞も読売新聞も、そしてNHKなどテレビ各社も、問題の風刺画を掲載しません。大きく取り上げているのは、テロの犯人たちを「表現の自由の敵」として批判するだけです。テロの犯人たちを批判することは”安全圏”と読んでいる。しかし、風刺画を掲載することは、”危険水域”と見ているようです。君子危うきに近寄らず、くわばら、くわばら。
事件の根を掘り下げ、「表現の自由とは、報道の自由とは、言論の自由とは」と本質的な議論を深める努力が欠けているように思われます。
日本で、もし激しくヘイトスピーチする人間たちに、韓国人あるいは朝鮮人が反撃して実力を行使した場合、批判されるべきは韓国・朝鮮人だけなのでしょうか。「お前ら、日本から出ていけ。ぶっ殺したろか。死ね」などと口汚くののしったヘイト人間たちは、お構いなしなのでしょうか。
人間の尊厳を傷つけ、侮辱した場合でも、それは「言論の自由あるいは表現の自由」として認めなければならないのか、といった問題です。
京都ではヘイトスピーチに対し、裁判所が高額の賠償金をヘイト側に課す判決を下しました。しかし、その後もヘイトスピーチは続いており、警察は取り締まろうともしていません。
日本では、口先だけの「表現の自由、報道の自由、言論の自由」で済ませている面があるように思われます。今回のパリのテロ事件に対してもそうです。
(注1) テレビ朝日の報道ステーションは、「テロの犯人たちを批判するだけでいいのか」、という趣旨を明らかにした、といわれます。ボクはそれを確認できていません。
(注2) 朝日新聞は本日1月14日の朝刊で、「風刺画 転載か否か 世界のメディア 割れる判断」という見出しを掲げ大きく扱い、朝日自体が掲載を見送っている理由については、長典俊ゼネラルエディターが「特定の宗教や民族への侮辱を含む表現かどうか、公序良俗に著しく反する表現かどうかなどを踏まえて判断している」と説明しています。
インターネット上では、こんな書き込みが見られます。「単に表現の自由だけを叫び、イスラムの人々の尊厳、人間としての尊厳に思いを致さない風刺画はいかがなものか。「東京新聞(1月9日版)で紹介している日本人イスラム教徒の下山茂氏の『風刺というのは弱い立場の人が権力者をからかうもの。そうでない人を傷つけたり、おとしめたりするのは、パロディと言えないのでは』」という言葉の方がよほど核心をついている」
編集者を残虐した行為は糾弾されなければならないのは勿論です。しかし、今回の事件を利用しようとする政治指導者もいます。たとえば、イスラエルのネタニヤフ首相。パリのデモ行進に参加し、イスラム批判の先頭に立つ姿をテレビに映させて世界に誇示しました。
そして、今回の犯人たちと、自分が攻撃するガザ地区のハマスの人々をダブらせる印象操作で、イスラエルの大量虐殺を正当化しようとしているようです。
端的にいえば、今回の犯人たちの行為を糾弾するのと同レベルで、イスラエルのネタニヤフ首相が先導するガザ虐殺を糾弾することが改めてきわめて重要ではないでしょうか。イスラエルのガザ虐殺は、歴史的な規模になっています。ヒトラーのユダヤ虐殺に匹敵する蛮行です。
日本の報道機関には、今回のテロ事件のよる問題提起を真正面から受け止め、掘り下げる議論を深める機会としてほしいものです。真の「表現の自由、報道の自由、言論の自由」に対する成熟をはかる機会として活かしてほしいと願います。
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