疑惑の北朝鮮「付属」大学大阪経法大は朝鮮総聯のスパイ拠点か!?(宝島30 1995年8月号) 文部省から学校法人の認可を受けた日本の大学を牛耳る人物は、朝鮮総聯の幹部活動家であり、なおかつ韓国政府から、大型スパイ事件の首謀者として指弾されていた! 金武義(きむ・むい) 「大阪経済法科大学……ウン知ってるよ。友達が何人も行ったもん。アレやろ、あそこ、入試でサクブン書いたら入れんねんやろ?だいたいあんなとこ、落ちる方が難しいわ」 大阪市生野区で生まれ育ち、現在は東京で風俗嬢として働く若い在日同胞が笑った。彼女は「作文」を「サ・ク・ブ・ン」と強調した。 ぼくは苦笑した。大阪経済法科大学(以下、経法大と略)は、もちろん学校法人の認可を受けた正規の日本の大学であるが、地元でのその評判は芳しいものではないらしい。 「でもなんで経法大のことなんか訊くの?」 怪訝そうな顔で、彼女が問う。ぼくは「まあ、ちょっとね」と言葉を濁した。 ぼくが知りたいのは、もちろんこの耳慣れない新興大学の入試難易度ではない。この大学には、次のような、さまざまな黒い噂がまとわりついている。 《設立時から、広域暴力団との癒着が囁かれている大学》 《定員など無視し、入れるだけの学生を入れてアコギに稼ぐ金権大学》 《長らく三面記事に話題を提供してきた無法大学》 だが、これらはまだ可愛い方だった。極めつけはそれこそ常軌を逸している。 《北朝鮮勢力に支配された、対南(対韓国)工作の拠点として使われている大学》 信じる、信じない以前の、荒唐無稽としか思えない話である。 なぜこんな噂が流されるのか。それは経法大が、在日の学者・経営陣が中心になっている日本では珍しい大学だからである。だからこそぼくは、その誹謗中傷の背後にあるものを知りたいと思ったのだ。 “朝鮮総聯の大学”? 『Humanization』と題された、九五年度版の経法大受験生向けのパンフレットがある。 全九〇ぺージ、オールカラーという立派なものだ。その教員一覧を見ると、経法大には非常に多数の在日韓国・朝鮮人スタッフが含まれていることがわかる。もっとも多いのが教養部で、専任教授から講師まで含めて六十八人中、実に十四人が韓国・朝鮮人だ(パンフレットが発行された九四年時点)。経済学部・法学部にも、他の大学と比較する限り、在日人士の進出が目立つ。 だが、もちろんそれを悪いと言うのではない。学問の世界にはいまだ民族差別が根強く、仮に有能であっても在日であったがために大学への奉職を阻まれた例も多いと聞く。埋もれた人材を救済・活用できる機関があるのであれば、それに越したことはない。 ぼくが経法大の取材をはじめる直接のきっかけとなったのは、京都に住む現役の朝鮮総聯幹部活動家氏の証言だった。彼は、長らく専従職員として朝鮮総聯活動−−北朝鮮絶対支持愛国活動に携わってきた人である。その彼が言う。 「在日が多いことが問題ではないんです。もしまともに運営されてそうなったのなら、それは非常に素晴らしいことですよ。しかし、経法大の教員名簿に出てくるのは、ほとんどが朝鮮総聯に所属している人間なんです。経済学と法学の大学教育をするのに、こうも同じ組織に所属する者ばかりが必要なのか。朝鮮総聯が学術団体だというならまだしも、あくまで在日朝鮮人の大衆団体なんですよ。どう考えても変でしょう?」 彼は、かねがね「昨今の朝鮮総聯は明らかに間違っている」と主張している。現場にとどまりながら、密かに改革を志しているようだ。「北朝鮮の対南工作の拠点」というスキャンダラスな発言も、まずは彼の口から聞いた。 ぼくは尋ねた。 「けれど、朝鮮総聯の人間が多いから対南工作の拠点だ、というのも極端ではないですか?上層部はともかく、組織の大多数はあなたが言う通りの大衆団体なのだから」 彼は答えた。 「たしかに、採用された彼ら自身にそんな意識はないでしょう。憧れの大学教員の名刺が持てて、素直に喜んでいるだけだと思います。だが、大阪の韓国領事館は経法大の動向に強い関心を寄せているらしいのです。いやしくも一国の領事館が根も葉もない風聞だけでは動かないでしょう。韓国領事館をしてそうさせるだけの根拠はある、ということです」 現在、韓国領事館は関西の各朝鮮学校よりも経法大の内情を把握する方に力を注いでいるとのことである。「その根拠は、第一に副学長の経歴でしょうね」 と彼は言った。 学園浸透スパイ事件 一九七〇年代、韓国では在日朝鮮人を交えた「北朝鮮のスパイ事件」の摘発が相次ぎ、日本ではそれに対する救援運動が盛んだった。 もっとも有名なものがいわゆる「徐兄弟事件」だろう。今も終わらない民衆不在の南北対立が、もっとも激化した時代だった。 救援団体が発行した資料を見ると、他にも「基幹産業スパイ団事件」「大物スパイ団事件」「統一戦線形成スパイ団事件」「学園浸透スパイ団事件」等と、おどろおどろしいネーミングを施された事件が多数列挙されている。 七〇年代当時の朝鮮総聯社会では、「スパイ事件」はまったく架空の話ではなかった。当時、朝鮮総聯組織ないしはその周辺で、対南工作(=スパイ)活動に勧誘された経験がある者は、決して少なくはない。 現・経法大副学長(教養部教授)の呉清達(オ・チョンダル)氏は、このうちの「学園浸透スパイ団事件」(または、発表された日付をとって一一・二二事件ともいう)の首謀者として韓国当局に名指しで指弾されている。呉氏は大阪大学工学部に学び船舶工学を修めた人で、後に工学博士となった。 学園浸透スパイ団事件は、七五年に摘発された。主に関西出身の在日留学生十八名が逮捕され、七七年三月までに三名の死刑を含めて全員の有罪が確定する(後に減刑)。規模の大きさから言えば、数あるスパイ事件でも有数のものである。 『東亜日報』など韓国の日刊紙の報道によれば、逮捕された在日の青年たちは六八年からたびたび極秘に入北し、朝鮮労働党の党員となり、対南工作教育を受けていたという。 彼らはその後、留学生として韓国に渡り、学生生活を送るふうを装いながら、金日成主義による反体制地下組織を広げていった。もちろん目的は「赤化統一」−−韓国政府を打倒し、北朝鮮主導の革命を起こすことだった。 判決文には、彼ら工作員のオルグ・教育に携わった黒幕として、朝鮮総聯活動家ら十三名の名前が挙げられている。これら「指導員」の筆頭であるとされたのが、他ならぬ呉清達氏なのである。呉氏は、阪大在学中は朝鮮総聯の傘下団体である留学同(=在日本朝鮮留学生同盟)、卒業してからは同じく科協(=在日本朝鮮科学技術協会)に属した、総聯の第一線の活動家だった。 六八年、北朝鮮から導入した工作員たちが、大統領官邸を襲撃したいわゆる「青瓦台事件」を契機に、韓国政府は全国民に対し在民登録法の改正を実施した。もちろん、工作員の浸透を防ぐための政策だった。これにより、それまで韓国国内へ直接スパイを派遣していた北朝鮮は、朝鮮総聯を利用して日本経由でスパイを送り込む方法を採るようになっていった。 当時、朝鮮総聯活動家の間では「鳩を飛ばす」という隠語で、対南工作活動を表現していた。その実態は、韓国渡航を不自然に思われない民団系あるいは日本に帰化した同胞たちをスパイに仕立て、送り込むことだった。 韓国の反共法は、言論の自由を根底から否定したもので、これに基づいて摘発されれば死刑の可能性があることも周知の事実だった。つまり朝鮮総聯活動家たちは、将来のある若者を「祖国統一」の美名のもとに平然と死地に追いやっていた、いわば確信犯だった。そして経法大副学長の呉氏もまた、自らの手で「鳩を飛ばして」いたと疑われている(もちろん彼は、マスコミの取材などに対し、まったくの事実無根であると主張している)。 現在も韓国領事館サイド(すなわち領事館を通じて情報収集を行なう国家安全企画部サイド)が経法大の動きにナーバスなのは、副学長の要職にある皆が(韓国当局の認識では)かっての国家破壊策動者だったからである。 創立者はトルコ経営者 学校法人大阪経済法律学園・大阪経済法科大学は七一年に第一期生を入学させた。創立者は、在日同胞商工人のなかでも成功者として名高い金尚淑(キム・サンスク 金沢尚淑)氏である。金沢氏は、教育産業の出身ではなく、風俗営業や債権取り立てなど、どちらかと言えばダーティビジネスの分野で財を成した人だった。 「トルコの利益で大学経営−−身売り説もある大阪経済法科大学の"惨状"理事長、金沢尚淑さん『上六トルコ」の経営者」(『週刊新潮』七八年六月十五日号) マスコミの恰好の餌食にされたのも、金沢氏の特異なキャラクターによるところが大きいようだ。彼が、まったく畑違いの大学経営に乗り出そうとした動機については「新手の銭儲けだった」とする人が多い。 「利潤が頭になかったとは言わないが、しかしそればかりではなかった。金沢さんなりの理想が、そこにはあった」 こう語るのは、金沢氏とも面識があった関西に在住する初老の在日同胞である。 ある時から金沢氏は、社会に貢献する事業の展閉を考えるようになる。最終的に大学設立を決意するのだが、そうなったのは周囲にブレーンとして朝鮮総聯の教育分野の人間がいたからだった。尹和玉(ユン・ファオク)氏−−大阪市の舎利寺朝鮮初級学校の校長などを歴任した人物である。 「金沢さん自身は朝鮮総聯に所属していず、むしろ共産主義は大嫌いな人だった。ではなぜ付き合いがあったかと言えば、つまり朝銀(朝鮮信用組合)の関係です。ありていに言って、彼は朝銀に隠し預金を預けていた。脱税の手伝いをして貰っていたわけです」 金沢氏が資金を拠出し、尹氏が理事になる人材をかき集め、経法大は開学にこぎつける。理念自白体は崇高だったとは言え、大学経営には素人だった金沢氏は、自己流すなわちダーティビジネスの手法で運営を進めようとする。 「信じられないでしょうが、初代事務局幹部には、佐々木組(後に一和会に属した広域暴力団)の人間が就任したくらいです」 学生や教員がこのような事態を容認するはずもなく、スタート早々経法大は紛争に揺れる。事態の収拾にウンザリした金沢氏は、大学を手放そうとさえ考えるようになる。「せっかく在日同胞が作った大学なのに、あまりにもったいない−−それが大学に関係していた同胞の氣持ちでした」 朝鮮総聯は、中央から最高幹部を大阪に派遣して、金沢氏に翻意を迫った。朝鮮総聯の動きに対抗し、韓国民団も有力商工人たちで金沢氏を開む懇談会をつくり、脱得に当った。やがてそれは、学生を蚊帳の外に置いたまま南北の主導権争いとなってゆく。とりあえず事態が収まったのは、在日社会では、"名言”とされている、尹氏の次の宣言である。 「この大学は、同胞の手によって築かれた、いずれは統一した祖国に捧げるべき民族財産です。ここは一番、皆さんで力を合わせて守ってゆきましょう」 なるほど在日にとっては名言かも知れないが、そこに日本の若者たちが学ぶ高等教育機関であるという意識は微塵もない。初老氏は語る。 「金沢さんの子息の家庭教師をしていたのが縁で大学に入ってきたのが呉清達氏でした。金沢さんは八五年十月に亡くなり、以後、経法大の経営は子息たちが引き継ぐ。若い彼らに代わって実権を握ったのは呉氏です。それから経法大は在日同胞の財産ではなく、露骨に北朝鮮勢力に占拠されることとなりました」 北朝鮮勢力と決めつけるのはともかく、金沢氏の死後、呉清達氏の影響力が強くなっただろうことは、例えば学校法人登記簿からも見てとれる。 呉清達氏白身は、八一年二月に理事に就任しているが、創立者の死去前後からかつての教え子てある二人の子息−−金俊行(キム・ジュネン 金沢俊行)氏、金俊孝(キム・ジュンヒョ 金沢俊孝)氏が理事に就任する(ちなみに、兄弟は他にもいる)。そして、それ以降、それまでの理事名簿には名前のなかった人物たちが相次いで登場してくるのである。 半年後の八六年四月七日には、科協に所属し、呉氏の腹心と目される教養部教授の南正院(ナム・ジョンウォン)氏が理事に就任する。そして、九三年三月にはやはり科協出身で教養部教授の高博(コウ・バク 石山博)氏が理事となる。こうして実に、八人の理事中過半数の五人を呉清達氏の影響が強い在日同胞が占めるようになった。 初老氏は、いまだに現職の理事たちとも親しい。取材に答えているのが自分だと知ったら、呉氏たちは仰天するだろう、と笑う。 超過入学で二十三億円 今年、大阪経済法科大学には千八十九名の学生が入学手続きをとった。これは、定員四百名(経済学部・法学部各二百名)の二倍強になる。水増し入学という表現では追いつかない、超・超過入学である。まさに、定員などあってなきが如しと言わんばかりだ。 それも今年に限った現象ではなく、七一年の大学創立以来、一貫して続いていることである。実際、経法大は開学後しばらくは倍率一・○倍、つまりは全入だったのだ。 なぜ、これほどの学生が必要なのか。教職員組合からも再三にわたって是正が要求されながら、経法大当局はいまだその根拠を明らかにしたことはない。 「山本駐車場のスクールバスの行列、食堂の行列、帰りの駐車場のスクールバスの行列、これらの『行列』現象は、本学の学生総数はその収容能力を超えていることを示している。これらの『行列」は連休明けに『解消』すると思われるが、それは『行列』現象が嫌で、学生が登学しなくなるからでもある」(『大阪経済法科大学教職員組合ニュース』九二年五月七日号) 内部では、超・超過入学の理由として「財政上の必要」が挙げられているという。いったい三倍近い入学者を出さなければ経営が立ち行かないとは、どういうことなのか。 学費から考えてみると、初年度が入学金二十五万円、授業料が前・後期で七十九万円、計百四万円。計算してみると、定員から超過した学生が納付する分だけで、七億一千万円以上になる。二回生以降の学費を計算すると、プラス十六億三千万円以上である。超・超過入学は例年のことなのだから、経法大は莫大な収入を毎年手にしていることになる。 その一方で、経法大はこれまでいちども日本私学振興財団が支出する私学助成金を受給したことがない。全国には、私学助成金を受けていない大学が十五大学(九四年のデータ)あるが(まだ受給資格のない新設大学は除く)、それらは何らかの問題を起こして受給の資格を失ったものが大多数である。経法大のように学校法人の認可からいちども受けていない学校はきわめて珍しい。学校法人は各種法人のなかでももっとも公共性が高いものと位置づけられている。だからこそ税金からの助成金も許容されるのだが、経法大の現状(定員過剰)ではいかんともしがたい。 実は、私学助成金を受けると受けないとでは、公認会計士の監査その他、行政当局からの管理に違いが出てくる。受けない方が結果としてゆるやかになることは言うまでもない。 また経法大は、四月に開いた大学会議(理事を中心とした意志決定会議)で、来年度も千人以上の学生を入学させることをすでに決定しているとも聞く。副学長・呉清達氏をはじめ、朝鮮総聯人士が経営の実権を握る大学で、使途不明の大金が納められ続けている。 総聯系偏向人事 取材を続けるうちに、やっと数人の現職の教職員に会うことができた。ただし、条件として、いずれもが完全匿名を要求してきた。 「性別、年齢、役職だけではなく、日本人か在日かも絶対に書かないでください。信じられないでしょうが、話した内容から、大学当局に特定されてしまう可能性が強いんです。私たちも、生活がかかっていますから」 彼らはまた、異口同音に人事の奇怪さを訴えた。当然昇格して然るべき人間がいつまでも据え置かれ、その一方で時期尚早な昇格がある。その一例としてあげられたのが、今春の教養部の二人の在日助教授の人事である。「経法大の規準に、教授になるのに助教授在任六年以上という規定があります。朝鮮語の呉満(オ・マン)先生は助教授の十年選手、英語の宋南(ソン・ナムソン)先生はやっと六年くらいだったと思います」 二人の研究業績にはとくに問題はなかった。言い換えれば、宋南先氏も並み居る先輩助教投たちを飛び越すほどの業績を挙げていたわけではなかった。二人の教授昇格が教授会の審議にかけられる。結果は、二人とも可決。しかし、その得票が問題だった。 「呉満先生は、賛成三十五、反対一、白票二。文句のない内容です。それに対し、宋南先生は反対と白票が十一票も出た。大学の教授会で批判票が十一も出るのは、尋常ではない」常識で考えれば、教授に昇格するのは呉満氏一人か、あるいは、二人揃ってであろう。しかし、四月一日の辞令交付式に晴れて教授になったのは宋南先生であり、呉満氏の名前はなかった。 「理由は簡単です。宋南先先生は、経法大に何人かいる朝鮮大学校OBの一人、つまり呉清達先生と同じ政治的立場の人です。対して呉満先生は、ソウル大の大学院修了で、ハッキリ言って韓国側の人ですから」 経法大では、呉清達氏の支配を完成させるための人事が露骨に進められているのだという(なお、この取材の最中の六月一日に異例の大学会議が開かれ、呉満氏は教授に昇格したと聞いた)。 現・千葉大学名誉教授の福尾武彦氏は、教養部教授として経法大に五年間在職したことがある。福尾氏は、「私はもう経法大と何の関係もないし、取材に答えたことで失うものは何もないですから」と、今回の取材でただ一人実名で答えてくれた。 「学内では、呉清達氏をはじめ幹部の皆さんが北朝鮮系列であることは周知の事実でした。そして、その理事会の専横が強い非民主的な学校でしたね。私はいくつかの事例で、これはおかしいなと痛感しました」教育学者である福尾氏は、ある教員の社会教育学関連の論文審査に加わったことがある。定められた審査規準は問題はなかった。ところが、理事全側は「このような論文では認められない。執筆者の教員は、定められた業績をあげなかったと判断する」という意味のことを言ってきた。 「その先生が組合の活動家だったからでしょう。組合活動家が嫌がられるのはいずこも同じです」 福尾氏は、審査委員の一人として対処に追われる。 「率直に言って、とくに優秀な論文ではなかった。しかし、規準は満たしていました。理事会で、クレームをつけたのは経済学の教員でしたが、なぜ、教育学者の私が認めた論文を、経済学者によって否定されなくてはならないのか。これは、学問の専門性を否定しかねない、大学としては由々しきことだったのです」 約半年続いたこの騒動は、最終的に論文が認められて決着したが、それにしても、なぜこうもなりふり構わぬ行動で教員を支配しなくてはならないのか。そう指摘しつつ、福尾氏はこうも弁護する。 「由々しきことではあるのですが・・・。その一方で、今も在日の優秀な研究者が差別され日本の大学に就職できないという現実が一般にはあるのです。ところが、経法大では職が保証されるわけです」 だが、先の現職教員たちは言う。「学会に残る根強い差別は否定しません。だが、これではかえって日本の研究者へ韓国・朝鮮人への嫌悪感を植えつけることにならないか。呉清達先生の子飼いで人事を固めている現状では、何らかの政治的目的があると疑われても仕方ないのではないでしょうか」 呉満氏をはじめ、朝鮮大学校OBの一人である金成秀(キム・ソンス)氏など、教養部の助教授たちになんとか会おうとしたが、いずれも拒絶された。経法大教職員組合書記長の前圭一氏(教養部助教授)からも「人事に問題があるのは事実だが、取材には協力出来ない」と連絡があった。 バラ捲かれた怪文書 九三年、主に西日本の少なくない高校に三通の差出人不明のワープロ怪文書が送りつけられた。いずれも「大阪経済法科大学特集!」と銘打って、ふざけた調子で徹底的に大学をこき下ろしている。 「学生に恵想教育(原文ママ。「思想教育」の誤りか)の自由をあたえるには我等の大経法大だけです」 「真の人間教育・思想教育を学べる大学は、東京の朝鮮大学と第二の朝鮮大学を目ざす大経法大だけです」 「呉清達教授を中心に学内北朝鮮思想発展の為同志一丸頑張っています」 「希望ある我らが赤き学舎に万歳 偉大なる神、金日成閣下万歳」 これに対し、大学当局は即座に学長窪田宏名で「かかる似非文書は、いずれも本学とは何ら関係のないもの」との声明文を作成、配布した。 その六年前の八七年には、日本当局−−法務省入国管理局が調査に動いている。入国管理局の内部文書によれば、その意図は北朝鮮勢力が大学に与えている影響を明らかにするためだった。 「不法残留韓国人呉○〇(原文実名)のめかけ金XX(原文実名)の就学校である大阪経済法科大学を調査中、同大学関係者の中には朝総連グループ及び韓国民主回復統一促進国民会議グループが存在し、同校運営に大きな影響を与えていることが判明した」 こう書き出された文書は、大学設立の経緯から細かく概要を記述した後に、「最近の動き」としてこう述べている。 「(経法大は)国際交流の一環としてルーズベルト大学(中略)北京大学の各語学セミナールと姉妹校提携を結んだ。同大学の朝総連グループは、これを基盤にソウル大学との姉妹校提締を積極的に図っている。同グループは、表向きにはソウル大学との提携によって大学株を上げることとしているが、真のねらいは対韓工作の拠点作りではないかと関係機関では見ている」 ここに出てくる「韓国民主回復統一促進国民会議」(略称・韓民統)とは、七〇年代に韓国民団から分裂した在日政治団体のことである。反共・軍政反対・民主化要求・在日政治犯釈放を一貫して運動方針として掲げ、一定の成果を挙げてきた。 現在は在日本韓国民主統一連合(略称・韓統連)と改称し、反共主義は保ったまま「民族和合」を謳い朝鮮総聯との共同歩調をとることが目立ってきている。 故・金沢理事長の子息たちは、韓民統青年組織の最高幹部だった。韓国の公安が経法大に対して警戒を緩めない根拠の一つは、呉清達氏らバリバリの朝鮮総聯活動家とともに、彼の影響下にある韓統連勢力の存在があるだろうことは疑いがない。 あなた、それを書くんですか? 一通りの周辺取材を終え、一連の疑問の核心に迫るべく、ぼくはまず、疑惑の中心である呉清達氏に取材を申し込んだ。 「大学に関する取材は、すべて事務局で答えます。そちらに電話してください」 貫禄のある、重厚な声だった。ぼくは経法大に向かった。 大学でぼくを待っていたのは、庶務課長と課長補佐の二名である。結論から言えば、彼らとの議論はまったく噛み合わなかった。彼らは電話でも言えるような公式見解以上のことは決して口にしなかったのである。 「経法大は朝鮮総聯と韓統連の影響下にあり、対南工作の拠点だと言われていますが」 「ありえないことです。何を根拠にそんなことをおっしゃるのですか」 「ぼくの取材では、まず人事の片寄りです」 「民主的な人事です。寄附行為(会社法人でいう定款にあたるもの。人事その他の規則が定められている。いわゆる"寄付"とは別の概念)に違反したところはありません」 「なぜ定員の三倍近い学生が必要なのですか」 「いずれは改善してゆきます。九州の私立大学では十二倍もの学生を入れたところがあります。ウチだけではありません」 「経法大は、私学助成金を一度も受給していませんね。受給しなければ学生の経済的負担がそれだけ増えることになると思うのですが。これはなぜですか」 「ですから、定員オーバーのため受給する資格がないんです。いずれ改善されたらその時に考えます」 「助成を受けると、行政の管理がより厳しくなると聞いています。文部省私学助成課に取材したところ、チェックを避けるためわざと申請しない大学も現実に存在する、とのことでした。どこの大学かは教えてくれませんでしたが……」 庶務課長氏はこの質問には直接答えず、「何かと手続きが繁雑になる、とは聞いています」と答えるにとどまった。 平行線を辿った取材の最後に、在日の教職員が過剰なほどに多いことは認めるか、と訊いてみた。さすがにこれは否定しない。 「まあ、ウチが他に比べて特殊であるのは確かなんでしょうが・・・」 そこで、彼らは逆にぼくに聞いてきた。 「あなた、それを書くんですか?」 「ええ。事実ですから」 返ってきたのは、予想外の言葉だった。 「それは困ります。受験生へのイメージが悪くなりますから」 在日の有為な人材を教職員に揃えているというのなら、堂々とそれをPRすればいいではないか。これこそ、典型的な民族差別ではないのか。 不愉快なのは、お互い様だった。 その夜、数年間経法大に奉職していた元事務職員氏と会うことになっていた。鶴橋の喫茶店で待ち含わせた彼は、これまでの取材内容を執拗に知りたがった。差し支えないと判断した範囲で、これまでの経過を彼に話した。彼の眉がピクリと動いたのは、先ほどの一件だった。 「そんなこと言ったんですか。経法大らしいな。あなたが会ったその二人だって、呉清達先生が連れてきた在日の人じゃないですか」 さすがにこときは、言葉も出なかった。 平壌での大晩餐会 経法大には四つの付属研究所があり、その中でもっとも活発に活動しているのが「アジア研究所」である。大学としての専門にない社会学分野の研究所が充実しているのもおかしな話なのだが、ここは「朝鮮統一のための国際シンポジウム」をはじめ、いくつかの国際的規模のシンポジウム・学会を開催している。 「アジア研究所の研究員は、もう八割が学外の在日たちです。われわれ正規の教員の立つ瀬がありません」(現職教員) アジア研究所で興味深いのは日本人著名学者のネットワークである。日本評論社から出版された「南北朝鮮統一論」(アジア研究所編)には、代表編者として、経法大経済学部教授の姜昌周氏(朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮社会科学者協会〈略称は社協〉に所属)とともに、立命館大学教授の関寛治氏の名がクレジットされている。 関氏はアジア研究所の研究員でもあるが、あまり一般には知られていない別の肩書きを持っている。金日成思想を学び、それを日本革命にも生かそうとする日本人たちのセクト−−いわゆる「チュチェ派」の重鎮なのだ。九四年二月に結成された「全国キムジョンイル著作研究会全国連絡協議会」顧問、そして「チュチェ思想国際研究所」の顧問でもある。このセクトの特徴は、金日成・金正日に「絶対の忠誠を誓う」文書をたびたび採択していることだ。 アジア研究所は、韓国からも多数の学者を日本に招いているが、韓国公安筋に聞くと、「韓国の学者と言っても、どうせそういう傾向で有名な人ばかりじゃないですか」 と言い放った。 「要するに、アジア研究所が経法大のミソなんですよ。北朝鮮勢力の主導で、韓国内左翼に影響力を行使している。経法大の政治的疑惑は、アジア研究所の動向を見て初めて理解できるんです」(現職教員) 一方で、呉清達氏はますます北朝鮮との連携を深めている。 「呉清達氏はしょっちゅう平壌に行っている、大VIPです」(初老氏) 九一年の夏、祖国訪問で北朝鮮を訪問した複数の在日同胞たちは、呉清達氏一行が主催した大宴全を目撃している。平壌一の高級ホテル・高麗ホテルで行なわれたその晩餐会には、百名以上が出席していた。かの国の庶民にとっては夢のまた夢でしかない山海の珍味がテーブルにところ狭しと並べられ、酒も各種取り揃えられた華やかなものだった。名目は、経法大と提携している朝鮮社会科学院との交流である。呉氏はしばらく高麗ホテルに滞在し、連日ゴルフに精を出していた。在日同胞たちは、平壌における彼の権勢に驚嘆した。そして、その権力の源泉が、経法大からもたらされる莫大な利益にあるのではないかと囁きあった。 経法大には、「青丘会」という在日韓国・朝鮮人教職員の親睦全がある。 「この内部では、いまだに経法大は在日同胞の民族財産だと語られ続けています。しかし大学は南北朝鮮の政治闘争の道具ではありません。彼らのやり方は、在日朝鮮人としても間違っています」(現職教員) 「在日同胞のために」「祖国のために」というスローガンは確かに口当たりがいい。だが、一歩間違えれば、他ならぬその在日同胞や祖国の信用を甚だしく失墜させることにもなる微妙なものなのだ。 もはや事務では回答できるレベルではない。朝鮮総聯の幹部活動家であり、対南謀略工作の責任者であると指弾され、北朝鮮政府に対しても隠然たる力を持ち、なおかつ日木の学佼法人に最高権力者として君臨し、経法大をめぐるすべての疑惑の中心にいると思われる呉清達氏自身に答えてもらう以外にない。 再び自宅に電話し、取材を申し込もうとした。が、名乗った途端、「結構です」の声とともに、一方的に電話は切られてしまった。 朝鮮半島(韓国民団と韓国・朝鮮総連と北朝鮮) 金武義(きむ・むい) Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存) http://nippon-senmon.tripod.com/hantou/kimu_mui/km_osaka.html
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