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http://www.shueisha-int.co.jp/pdfdata/0236/nihonhanaze.pdf
矢部宏治 やべ ・こうじ
1960年、 兵庫県西宮市生まれ。 慶応大学文学部卒。 (株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。 著書に 『本土の人間は知らないが、 沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)、 共著書に 『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。 企画編集シリーズに「〈知の再発見〉 双書(既刊165冊) 」「J.M.ロバーツ世界の歴史・日本版(全10巻) 」 「〈戦後再発見〉 双書(既刊3冊) 」 (いずれも創元社)。集英社インターナショナル1
みなさん、はじめまして。矢や部べ宏こう治じと申します。
私は一昨年、 「 〈戦後再発見〉双書(創元社刊)」という歴史シリーズを立ち刊行をつづけています。第一巻目の『戦後史の正体』(孫崎享うける著)は、おかげさまで二二万部という大ヒットになりましたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
このシリーズがスタートして少したったころ、読者からメールでこんなメッセージをいただきました。
三 ・ 一一以降、日本人は「大きな謎」を解くための旅をしている。
本当にそうだと思います。二〇一一年三月、福島原発事故が起きてから、私たち日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけているからです。
なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。
なぜ、事故の責任者はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。
2
なぜ、東大教授や大手マスコミは、これまで「原発は絶対安全だ」と言いつづけてきたの
か。
なぜ、事故の結果、ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本で
は再稼働が始まろうとしているのか。
そしてなぜ、福島の子どもたちを中心にあきらかな健康被害が起きているのに、政府や医
療関係者たちはそれを無視しつづけているのか。
だれもがおかしいと思いながら、大きな流れをどうしても止められない。解決へ向かう道
にどう踏み出していいかわからない。そんな状況がいまもつづいています。
本書はそうしたさまざまな謎を解くカギを、敗戦直後までさかのぼる日本の戦後史のなか
に求めようとする試みです。
このあと説明する米軍基地の問題を見てもわかるように、私たちが住むこの日本という国
は、とても正常な国家とは言えないのではないか。そのためこれから私たちは、原発や放射
能汚染をめぐって大変な事態に直面するのではないか。しかもそうした被害は、二〇一三年
二月に成立した特定秘密保護法によって、すべて国民の眼から隠されてしまうのではない
か。さらにはそうして情報が隠いん蔽ぺいされるなか、今後、日本は政府の勝手な解釈改憲によっ
て、海外で侵略的な戦争をするような国になってしまうのではないか。
そう考え、暗く、重い気もちになることもあります。
しかしその一方、明るく、勇気づけられるような出来事に、日々遭遇することも多いのです。
それは日本のいろいろな場所で、いろいろな人たちが、この「大きな謎」を解くための旅
をスタートさせているからです。
私は二〇一〇年から沖縄の米軍基地問題を調べ始め、その後、東京で東日本大震災に遭遇
し、福島の原発災害問題にも直面することになりました。本文中にあるように、沖縄の米軍
基地問題の取材はまさに驚きの連続、つい最近まで誇りに思っていた日本という国の根幹
が、すっかりおかしくなっていることを痛感させられる結果となりました。
その一方で、うれしい発見もあったのです。そうした問題を調べ、自分で本を書くように
なってからわずか数年のあいだに、本当に数多くの尊敬すべき人たちと出会うことができた
からです。
いろいろな市民グループ、お母さんたち、官僚、政治家、弁護士、ジャーナリスト、学
者、医師、ミュージシャン、俳優、経営者、会社員......、立場はさまざまですが、みな、そ
れぞれのやり方で、この「大きな謎」を解くための旅をつづけている人たちです。そういう
人たちは、日本全国に、いろいろな分野にいます。点在していますから目立ちませんが、決
して数は少なくありません。
いま、私たち日本人が直面している問題は、あまりにも巨大で、その背後にひそむ闇もか
ぎりなく深い。
しかし、だからこそ逆に、自分の損得勘定を超えて問題に取り組む人たちの姿が、強い輝
きをもって私たちの心に訴えかけてくるのです。
うまく目的地にたどりつけるかどうかは、正直わからない。ただ自分たちは、それぞれの
持ち場で最善をつくす義務がある。そして崩壊し始めた「戦後日本」という巨大な社会を、
少しでも争いや流血なく、次の時代に移行させていく義務がある。おそらくそれが、 「大き
な謎」を解くための旅をしている人たちの、共通した認識だと思います。
私もまた、そういう思いでこの本を書きました。
本書がみなさんにとって、そうした旅に出るきっかけとなってくれることを、心から願っ
ています。
目次
はじめに
PART 1 沖縄の謎―基地と憲法
PART 2 福島の謎―日本はなぜ、原発を止められないのか
PART 3 安保村の謎1―昭和天皇と日本国憲法
PART 4 安保村の謎2―国連憲章と第2次大戦後の世界
PART 5 最後の謎―自発的隷属状態とその歴史的起源
あとがき
凡例
*引用中の 〔〕 内は著者が補った言葉です。 傍点、 太字、 註も著者によるものです。 引用中の漢字、 カタカナは一部、 ひらがなに替えるなど、 現代語訳で表記している箇所があります。
*図版のキャプションは編集部によるものです。
*PART2の記述については、 一部、 『本当は憲法より大切な 「日米地位協定入門」 』 (前泊博盛編著/創元社) のなかで本書の著者が執筆した内容と、 重複する箇所があります。
PART 1 沖縄の謎 基地と憲法
建物をかすめるようにして、普天間基地へ降りていく米軍機 須田慎太郎
沖縄で見た、日本という国の真実
きっかけは沖縄への、たった二週間の撮影旅行でした。
いまから四年前、写真家と二人で沖縄本島へ渡り、島のすみずみまで歩いて二八ある巨大な米軍基地をすべて撮影する。そして本にするという企画だったのです。
そのとき眼にしたいくつかの風景は、やや大げさに言えば、私の人生を少し変えることになりました。自分が見て、聞いて、そして知った現実を、ひとりでも多くの人に伝えたいと強く思うようになったのです。
たとえば、下の写真をご覧ください。これはその最初の撮影旅行のときに泊まったホテルの屋上から見た風景です。沖縄本島の中部の高台にある、コスタビスタというホテルの屋上(現在、閉鎖中)から南側を見おろしたところで、遠く左上に見えているのが有名な普ふ天てん間ま基地です。
丘の上から見た米軍住宅地区と普天間基地?c須田慎太郎
米軍住宅
1945年4月に米軍が上陸した海岸
普天間基地
この屋上にのぼると、普天間基地から飛びたった米軍機が、島の上をブンブン飛びまわっている様子がよく見えます。沖縄というのはご存じのとおり、もともと南北に長く、東西が狭い形をしているのですが、とくにこのあたりは地形がくびれているので(東西の幅がわずか四キロしかありません)、東側と西側の海が両方よく見えるのです。その美しい景色のなかを、もう陸上・海上関係なく、米軍機がブンブン飛びまわっているのが見える。
あとでくわしく説明しますが、米軍の飛行機は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっています。もちろん沖縄以外の土地ではそれほどあからさまに住宅地を低空飛行したりはしませんが、やろうと思えばどんな飛び方もできる。そういう法的権利をもっているのです。
でもそんな米軍機が、そこだけは絶対に飛ばない場所がある。
どこだかわかりますか?
この写真のなかに写っています。そう、写真の中央にゴルフ場のような芝生にかこまれた住宅地があるのですが、これは基地のなかにある米軍関係者の住宅エリアです。こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練をしない。
なぜでしょう?
もちろん、墜落したときに危ないからです。
冗談じゃなく、本当の話です。この事実を知ったとき、私は自分が生まれ育った日本という国について、これまで何も知らなかったのだということがわかりました。いまからわずか四年前の話です。
米軍機はどこを飛んでいるのか
下の図の米軍機の訓練ルート(二〇一一年八月の航跡図)を見てください。中央に太い線でかこまれているのが普天間基地、その両脇の斜めの線が海岸線です。普天間から飛び立った米軍機が、まさに陸上・海上関係なく飛びまわっていることがわかる。
でも基地の上、図版の中央上部に、ぽっかりと白く残された部分がありますね。これがいまお話しした、米軍住宅のあるエリアです。ここだけは、まったく飛んでいない。
一方、普天間基地の右下に見える楕円形の部分は、真ま栄え原はらという沖縄でも屈指の繁華街がある場所です。そうしたビルが立ち並ぶ町の上を非常に低空で軍用機が飛んでいる。さらに許せないのは、この枠のなかには、二〇〇四年、米軍ヘリが墜落して大騒ぎになった沖縄国際大学があることです。
★普天間飛行場所属のヘリが2011年8月におこなった旋回訓練の航跡図|沖縄防衛局調査。
つまり米軍機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。以前、事故を起こした大学の上でも、相変わらずめちゃくちゃな低空飛行訓練をおこなっている。簡単に言うと彼らは、アメリカ人の生命や安全についてはちゃんと考えているが、日本人の生命や安全についてはいっさい気にかけていないということです。
これはもうだれが考えたって、右とか左とか、親米とか反米とか言ってる場合ではない。もっとずっと、はるか以前の問題です。いったいなぜ、こんなバカげたことが許されているのでしょうか。
初めてこの事実を知ったとき、当然のことながら米軍に対して強い怒りがこみあげてきました。こいつらは日本人を人間あつかいしていないじゃないかと。
しかし少し事情がわかってくると、それほど単純な話ではない。むしろ日本側に大きな問題があることがわかってきます。ここでもうひとつ地図を見てください。
次ページの下の地図は、アメリカ西海岸のサンディエゴにある、ミラマー基地という海兵隊の航空基地とその飛行訓練ルートです。これは伊い波は洋よう一いちさん(元宜ぎ野の湾
わん市長)の講演を聞いて知ったことですが、この基地は山岳地帯にあって、しかも普天間基地のなんと二〇倍の広さがあるので、基本的に基地の敷地内だけで飛行訓練ができるようになっているのです。グレーの部分が基地の敷地、斜線の部分が飛行訓練ルートです。これくらいの広さがなければ、アメリカではそもそも基地として成立しないわけです。(「米軍基地の京都への設置を問う学習集会」での講演/二〇一三年一一月二九日)
さらに基地の左端から海岸に向かって、飛行ルートが延びていますね。滑走路の延長線上ではなく、滑走路から四五度の角度に延びている。なぜそうなっているかというと、滑走路の延長線上に住宅や学校があるからで、その上は飛べないため、斜めに谷たに間あいのルートを飛んでいるのです。
つまりアメリカでは法律によって、米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されているわけです。それを海外においても自国民には同じ基準で適用しているだけですから、アメリカ側から見れば沖縄で米軍住宅の上空を避けて飛ぶことはきわめて当然、あたりまえの話なのです。
だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にあるということになります。
もう一度、七ページの写真を見てください。米軍にとって他国のはずの日本で、いったいなぜ、このような信じられない飛行訓練が放置されているのでしょうか。
海兵隊ミラマー航空基地の滑走路と飛行訓練ルート(mcas safety zone map San Diego county airport land use commission compatibility policy map )
滑走路 飛行訓練ルート (斜線部)
「日本の政治家や官僚には、インテグリティがない」
こうした沖縄の状況は、もちろんアメリカ政府の要望にこたえる形で実現したものです。ですからアメリカ側の交渉担当者は、日本側がどんどん言うことを聞いてくれたら、もちろん文句は言いません。しかしそういうふうに、強い国の言うことはなんでも聞く。相手が自国では絶対にできないようなことでも、原理原則なく受け入れる。その一方、自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない。そういう人間の態度を一番嫌うのが、実はアメリカ人という人たちなのです。だから、心のなかではそうした日本の態度を非常に軽蔑している。
私の友人に同い年のアメリカ人がいて、新聞社につとめているのですが、こうした日本の政治家や官僚の態度について、彼は「インテグリティがない」と表現していました。「インテグリティ(integrity)」というのは、アメリカ人が人間を評価する場合の非常に重要な概念で、「インテグレート」とは統合するという意味ですから、直訳すると「人格上の統合性、首尾一貫性」ということになると思います。つまりあっちとこっちで言うことを変えない。倫理的な原理原則がしっかりしていて、強いものから言われたからといって自分の立場を変えない。また自分の利益になるからといって、いいかげんなうそをつかない。ポジショントークをしない。
そうした人間のことを「インテグリティがある人」と言って、人格的に最高の評価をあたえる。「高潔で清廉な人」といったイメージです。一方、「インテグリティがない人」と言われると、それは人格の完全否定になるそうです。ですからこうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、実はアメリカ人の交渉担当者たちから、心の底から軽蔑されている。そういった証言がいくつもあります。
沖縄の米軍基地をすべて許可なしで撮影し、本にした
こうしたとても信じられない現実を知った驚きが、沖縄から帰って私が米軍基地の本を書いたり、「はじめに」でふれた「〈戦後再発見〉双書」という歴史シリーズを立ちあげる原動力になりました。
米軍基地の本というのは、先にふれた撮影旅行でつくった沖縄・米軍基地の観光ガイドブックです。(右下写真)
沖縄にある二八の米軍基地をすべて許可なしで撮影し、解説を加えています。「〈戦後再発見〉双書」は、私がこの本を書いたことがきっかけで、スタートすることになりました。
いま、米軍基地をすべて許可なしで撮影し、本にしたと言いましたが、本当はそんなことをしてはいけないのです。だいたい軍事基地というのは、海外では近くでカメラを出しただけで没収され、連行されてしまいます。
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること――沖縄・米軍基地観光ガイド』(2011年/書籍情報社)
ロシアの専門家である孫崎享うけるさん(『戦後史の正体』著者・元外交官)に最初にお会いしたとき、「よくこんな本をつくりましたね。ロシアだったら、あなたとカメラマンはまちがいなく射殺されてますよ」
と言われました。沖縄で車の運転を頼んだ年配のドライバーも、
「戦前の日本軍だったら死刑さぁ」と言っていました。
もちろんいまの日本では、そんなことはありませんが、最悪逮捕されることはありえると思っていました。というのは、撮影を始めてからわかったことですが、米軍を日本に駐留させるにあたってつくられた「刑事特別法」という特別な法律があって、そうした撮影が軍事情報の漏洩と判断されたら、一〇年以下の懲役になってしまうからです。これは安倍政権が二〇一三年に成立させた特定秘密保護法の原型ともいうべき法律で、非常に重い罪が設定されているのです。
二〇一〇年六月、鳩山・民主党政権の崩壊
それなのに私のような気の小さい人間が、なぜそんなことをしたかと言いますと、それはいまからちょうど四年前、非常に怒っていたからです。なにに対してかというと、鳩山民主党政権の無残な崩壊に対してでした。
鳩山由紀夫さんの歴史的評価は、さまざまだと思います。 政治は結果責任だという考えからすれば、非常に低い評価しかあたえられない。事実、鳩山政権の登場した前とあとで、日本の政治は信じられないほど悪くなっています。その責任はきわめて重い。多くの人が、もう民主党のことは思い出したくもないと思っている。実は私もそうなのです。
しかし二〇〇九年の八月、多くの日本人が、さすがに自分たちはもう変わらなければいけないと思った。そのことは事実です。戦後ずっと、日本はかなりうまくやってきた。アメリカの弟分(ジュニア・パートナー)としてふるまうことで、敗戦国から世界第二位の経済大国にまでのぼりつめた。しかしそのやり方が、さすがに限界にきてしまった。多くの人がそう思ったのではないでしょうか。
だから戦後初の本格的な政権交代が起こった。国民の支持も非常に高かった。なにかやってくれるんじゃないか。日本が変わるべきときに、変わるべき方向を示してくれるんじゃないか。いまはすっかり評価を落としてしまいましたが、当時はそういう大きな期待を集めた政権でした。
本当の権力の所在はどこなのか?
けれども二〇〇九年九月に成立した鳩山政権は、わずか九カ月しか続きませんでした。とくに問題だったのは、その倒れるまでのプロセスです。
最近のことですので、みなさんよくご記憶だと思いますが、まず鳩山政権が誕生する半年前の三月三日、当時民主党代表だった小沢一郎氏の公設秘書が、政治資金規正法違反の容疑で逮捕されました。いわゆる「小沢事件*」の始まりです。鳩山さんはそのときはまだ、同党のナンバー2である幹事長でした。
遅くとも半年後には総選挙が予定されており、そこで首相になることが確実視されていた野党第一党の党首を、まったくの冤罪(その後、裁判であきらかになりました)で狙い撃ちしたの
ですから、これは完全な国策捜査でした。
しかし本書では、この三月の時点での検察の攻撃を問題にするつもりはありません。もちろんあってはならないことですが、実は歴史のなかでこれは非常によくあるケースだからです。検察というのは、独立性は高いが行政組織ですから、政権の座にいる権力者(この場合は自民党)が政敵を失脚させるために検察を使う。これは日本でも海外でもよくある話です。
ところがこの二〇〇九年のケースが異様だったのは、九月に民主党が政権をとったあとも、検察からの攻撃がやまなかったことでした。鳩山首相と小沢幹事長、つまり国民の圧倒的な支持を得て誕生した新政権のNO1とNO2を、検察がその後もずっと野党時代と変わらず攻撃しつづけた。検察からリークを受けた大手メディアも、それに足並みをそろえた。
この時点で日本の本当の権力の所在が、オモテの政権とはまったく関係のない「どこか別の場所」にあることが、かなり露骨な形であきらかになったわけです。
*?この時点では「西松建設事件」。のちにこの事件は公判を維持できなくなり、政権交代後、「陸山会事件」が訴因に加えられました。この二つをあわせて、「小沢事件」と呼びます。「西松建設事件」での秘書の逮捕から二カ月後、小沢氏は民主党代表を辞任し、その後おこなわれた党内選挙の結果、鳩山氏が代表に就任し、三カ月後の総選挙で勝利しました。
官僚たちが忠誠を誓っていた「首相以外のなにか」とは?
そして最終的に鳩山政権を崩壊させたのは、冒頭で写真をお見せした米軍・普天間基地の、県外または国外への「移設」問題でした。外務省自身が「パンドラの箱」と呼ぶ米軍基地の問題に手をつけ、あっけなく政権が崩壊してしまった。
たいした覚悟も準備もなく、そんなことをしたのが悪かったと批判する人もいます。その気もちもわかります。でもやはり、それは問題の本質ではないんですね。重要なのは、
「戦後初めて本格的な政権交代をなしとげた首相が、だれが見ても危険な外国軍基地をたったひとつ、県外または国外へ動かそうとしたら、大騒ぎになって失脚してしまった」
という事実です。つらい現実ですが、ここをはっきり見ないといけない。しかも鳩山さんの証言にあるように、そのとき外務官僚・防衛官僚たちが真正面から堂々と反旗をひるがえした。
普天間の「移設」問題が大詰めをむかえた二〇一〇年四月六日、鳩山さんが外務省と防衛省の幹部を首相官邸に呼んで秘密の会合をもち、「徳之島移設案」という最終方針を伝えた。そのあと酒をくみかわしながら、
「これからこのメンバーで、この案で、最後まで戦っていく。力を合わせて目標にたどりつこう。ついてはこういった話し合いが外にもれることが、一番ダメージが大きい。とにかく情報管理だけはくれぐれも注意してくれ」と言った。
「この情報だけは絶対、外にもらすなよ」と念を押したわけです。
しかしその翌日、なんと朝日新聞の夕刊一面に、その秘密会合の内容がそのままリークされた*。つまり、
「われわれは、あなたの言うことは聞きませんよ」
という意思表示を堂々とやられてしまったわけです。官僚たちは、正当な選挙で選ばれた首相・鳩山ではない「別のなにか」に対して忠誠を誓っていたと、鳩山さんは語っています。(「普天間移設問題の真実」友愛チャンネル/二〇一三年六月三日)
この鳩山さんの証言は翌年、彼が首相を退陣してからちょうど一年後の二〇一一年五月に「確かな証拠ハードプルーフ」によって裏づけられることになりました。ウィキリークスという機密情報の暴露サイトが、この問題に関するアメリカ政府の公文書を公開したのです。
その内容は、日本のトップクラスの防衛官僚や外務官僚たちが、アメリカ側の交渉担当者に対して、「〔民主党政権の要求に対し〕早期に柔軟さを見せるべきではない」(高見澤將林たかみざわのぶしげ・防衛省防衛政策局長/現内閣官房副長官補・安全保障担当)とか、「〔民主党の考え方は〕馬鹿げたもので、〔いずれ〕学ぶことになるだろう」(齋木昭隆さいきあきたか・外務省アジア大洋州局長/現外務事務次官)
などと批判していたという、まったく信じられないものでした。
*?「朝日新聞」二〇一〇年四月七日夕刊(一面)「米軍普天間飛行場の移設問題で、鳩山首相が六日夜、首相公邸で内閣官房や外務・防衛両省の実務者でつくる作業部会の初会合を開いていたことがわかった。(略)/首相は(略)普天間のヘリ部隊の大部分を鹿児島県・徳之島に移す方向で米側、地元自治体と調整するよう指示し、今後の交渉日程や交渉ルートなどを確認したとみられる。/作業部会では、先に米側に伝えた検討状況について、現時点で米側から返答がない現状も報告された。(以下略)」
http://www.asahi.com/special/futenma/TKY201004070211.html
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4%E3%81%AE%E7%A7%BB%E8%A8%AD%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%E3%80%81%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%8C%E5%85%AD%E6%97%A5%E5%A4%9C%E3%80%81%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%85%AC%E9%82%B8%E3%81%A7%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E3%82%84%E5%A4%96%E5%8B%99%E3%83%BB%E9%98%B2%E8%A1%9B%E4%B8%A1%E7%9C%81%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%8B%99%E8%80%85%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E9%83%A8%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%88%9D%E4%BC%9A%E5%90%88%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82&ie=utf-8&oe=utf-8&hl=ja
昔の自民党は「対米従属路線」以外は、かなりいいところもあった
私は自民党に関しては昔、本をつくったことがあったので(『巨悪vs言論』立花隆/文藝春秋)、自民党にこうした米軍基地の問題、より正確に言えば対米従属の問題が、絶対に解決できないことはよく知っていました。二〇〇六年にアメリカ国務省自身が認めているように、自民党は一九五五年の結党当初から、CIAによる巨額の資金援助を受けていた。その一方でCIAは、社会党内の右派に対しても資金を出して分裂させ、民社党を結成させて左派勢力の力を弱めるという工作もおこなっていました。(Foreign Relations of the United States, 1964-1968 ; vol.29, Part 2: Japan, United States Government Printing Office.)
つまり「冷戦」とよばれる東西対立構造のなか、日本に巨大な米軍を配備しつづけ、「反共の防波堤」とする。そのかわりにさまざまな保護をあたえて経済発展をさせ、「自由主義陣営のショーケース」とする。そうしたアメリカの世界戦略のパートナーとして日本国内に誕生したのが自民党なわけですから、米軍基地問題について「アメリカ政府と交渉して解決しろ」などと言っても、そもそも無理な話なのです。
多くの日本人は、実はそうしたウラ側の事情にうすうす気づいていた。だから政権交代が起こったという側面もあった。というのも、いま振り返ってみれば、森・小泉政権以前の自民党には、かなりいいところがあったわけです。防衛・外交面では徹底した対米従属路線をとったものの、なにより経済的に非常に豊かで、しかも比較的平等な社会を実現した。その点は多くの日本人から評価されていたのだと思います。
しかし、その自民党路線がついに完全に行きづまってしまった。それなら結党の経緯からいって、彼らには絶対にできない痛みのともなう改革、つまり極端な対米従属路線の修正だけは、ほかの党がやるしかないだろう。さすがの保守的な日本人もそう考え、最初はためらいながら、しかし最後は勇気をもって、戦後初の本格的政権交代という大きな一歩を踏み出したのだと思います。
日本国民に政策を決める権利はなかった
ところが日本の権力構造というのは、そんな私たちが学校で習ったようなきれいな民主主義の形にはなっていなかった。鳩山政権が崩壊するまで私たちは、日本人はあくまで民主主義の枠組みのなかで、みずから自民党と自民党的な政策を選んできたのだと思っていました。進む道がAとBがあったら、必ずA、つまり対米従属路線を選んできたけれど、それは自分たちの判断でそうしてきたのだと。
しかし、そうではなかった。そもそも最初から選ぶ権利などなかったのだということがわかってしまった。日本の政治家がどんな公約をかかげ、選挙に勝利しようと、「どこか別の場所」ですでに決まっている方針から外れるような政策は、いっさいおこなえない。事実、その後成立した菅政権、野田政権、安倍政権を見てみると、選挙前の公約とは正反対の政策ばかりを推し進めています。
「ああ、やっぱりそうだったのか……」
この現実を知ったとき、じんわりとした、しかし非常に強い怒りがわいてきました。自分がいままで信じてきた社会のあり方と、現実の社会とが、まったくちがったものだったことがわかったからです。
その象徴が、冒頭からお話ししてきた米軍基地の問題です。いくら日本人の人権が侵害されるような状況があっても、日本人自身は米軍基地の問題にいっさい関与できない。たとえ首相であっても、指一本ふれることはできない。自民党時代には隠されていたその真実が、鳩山政権の誕生と崩壊によって初めてあきらかになったわけです。
いったい沖縄の米軍基地ってなんなんだ、辺へ野の古こってなんなんだ、鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなんだ……。
よく考えると、それほど重大な問題について、自分はなにも知らないわけです。それで出版業者と言えるのか。これは絶対に一度、自分で見に行くしかない。写真をとって本にするしかないと思いました。
原動力は、「走れメロス的怒り」
その本(『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』)を出したあと、東京の書店さんのトークショーでそんな話をしていたら、読者の方から、
「矢部さん、それは『走れメロス的怒り』ですね」
と言われたのです。
「えっ? 『走れメロス』ってそんな話だっけ」
と思って、帰って太宰治の文庫本を引っぱりだして読んでみると、たしかにそうなんです。
この小説は、後半の友情物語のところ、
「ぼくは一瞬だけ、君を疑った。だからぼくを殴れ」
という場面が非常に有名ですけれど、物語の始まりは政治を知らない羊飼いが、王様のおかしな政治に怒って抗議しにいく話なのです。そしてつかまってしまう。
冒頭部分を少し読んでみます。
「メロスは激怒した。必ず、かの邪じゃ知ち暴ぼう虐ぎゃくな王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧ぼく人じん〔羊飼い〕である。笛を吹き、羊と遊んで暮してきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明、メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたこのシラクスの市にやって来た」
私が沖縄に撮影旅行に行ったのは、まさにこうした感じでした。政治を知らぬ、羊飼い的怒りからだったのです。
「それまで笛を吹き、羊と遊んで暮してきた」などというのは、まさに私にぴったりの表現なのです。私は大学を出たあと、大手広告会社に入ったのですが、たった二年で会社を辞めて、あとは小さな出版社をつくって美術や歴史など、自分の好きなジャンルの本ばかりつくってきた、そういうきわめて個人主義的な人間です。ほとんど選挙も行ったことがありませんでした。そうした完全なノンポリが、子どものような正義感で写真家と二人、沖縄に出かけていったというわけです。
沖縄じゅうにあった「絶好の撮影ポイント」
そこから写真家の須田慎太郎さんと一緒に、まったくの無許可で、しかもできるだけ米軍基地に接近して写真をとっていきました。実はそうしたスタイルで基地を勝手に撮影した写真集というのは初めてだったのです。それはある意味当然で、米軍と日本政府の判断によっては、勝手に基地の写真をとると逮捕される可能性があるからです。
あとからわかったことですが、問題を整理するとこうなります。
われわれ日本人には、国内の米軍基地について、もちろん知る権利がある。近隣の住民にとって非常に大きな危険があり、しかも首相を退陣に追いこむような重大問題について、米軍からの発表資料だけですませていいはずがない。どこにどういう基地がどれくらいあって、日々、どういう訓練をしているか、自分たちで調べる権利がある。
しかしその一方、軍事基地なわけですから、すでにのべたとおり刑事特別法という法律がつくられており、そうした撮影が軍事機密の漏洩と判断された場合、一〇年以下の懲役となる可能性がある。そのアウトとセーフの境目はだれにもわかりません。
でも沖縄というのは面白いところで、いろいろな場所に「さあ、ここから基地をとれ」というような建物があるんですね。 たとえば嘉か手で納な基地という一番重要な空軍基地の前には、四階建てのドライブイン(「道の駅かでな」)があって、その四階のデッキが基地を撮影するためにわざわざつくったような絶好のスペースになっている。そこに飛行機マニアがいつも大勢たむろして、望遠レンズで米軍機を撮影している。そういう状況があるのです。
有名な普天間基地にも、すぐ近くの嘉か数かずの高台という場所に公園があって、そこに地球儀の形をした展望台がある。オスプレイがとまっているところが非常によく見えます。
どの米軍基地にも、近くにそうした基地を監視するポイントが必ずあって、近くまで行って聞くと住民の人たちがその場所までつれていってくれる。そのおかげで「沖縄米軍基地・観光ガイドブック」もできたわけです。
だから基本的に、撮影中に逮捕されることはないだろうと思っていました。もちろんわれわれが基地を撮影するときは、フェンスぎりぎりまで接近します。そして米兵に見つからないよう、すばやく撮影します。ですから非常に怖かったのですが、うまく撮影できたあとは、違法かどうか、弁護士にチェックしてもらえばいいと思っていました。もともとあきらかな法律違反があったら商業出版というのは成り立ちませんので、弁護士によるチェックは不可欠だと思っていました。
「左翼大物弁護士」との会話
それで掲載する写真がほぼ決まったとき、写真家の須田さんと一緒に、そうした問題にくわしい弁護士さんのところに行って、原稿をチェックしてもらったのです。ふたり並んで机に座って、
「先生どうでしょう、いろいろ軍事施設や訓練なども写ってますけど、この本をこのまま出したらぼくらはつかまるんでしょうか」
と聞きました。法的にまずい写真があったら、はねてもらおうと思っていたのです。
「まあ、この写真とこの写真は、やめておいたほうがいいでしょうね」
そういうふうに助言してもらえると思っていた。
そうしたらその弁護士さんがジーッと長い時間をかけて、一ページ一ページ原稿を丹念にめくって見て、最後にふっと顔をあげて言ったのが、
「あのね、矢部さん。この本ねぇ………………絶対に売れますよ」と。
まったく意外な言葉だったのですが、その時点でそんなことを言われたのは初めてだったので、すっかりうれしくなって、
「いや先生、大変ありがとうございます。そう言っていただけるなんて、本当に光栄です」
と、まずお礼を言いました。でも考えてみると、今日はそんな話をしにきたわけじゃない。
そこでもう一度、
「でも今日はそういうお話ではなく、この本をこのまま出したら、ぼくと写真家がつかまるかどうか聞きにきたのです」
と聞いてみた。すると今度は、
「つかまったら、もっと売れますよ」
と言われてしまった。話が全然かみあわないわけです。
あとで聞いたらその人は、一九六〇年代にかなり有名な学生運動のリーダーだった人で、当時、ひどいときは年に半分くらいは刑務所に入っていた。もう七〇代で、話し方は非常に紳士的なのですが、ぼくらの態度には不満だったようで、
「なんでこんないい企画、面白い企画をしておいて、つかまったらどうするとか、そういうくだらない話をするんだ」
というのが本音だったようです。いやいや、ぜんぜんくだらなくない。商業出版ですから、つかまることはやりたくないし、できない。
そのあとよく話を聞いてみると、つまりこういうことでした。彼の長年の経験によればこういう「公安関係の問題」(ということになるのだそうです)は、基本的に「つかまる、つかまらない」は法律とは関係がない(!)。公安がつかまえる必要があると思ったら、なにもしていなくてもつかまえるし、必要がないと思ったら、つかまえない。
公安がよくやるのは、近づいていって、なにも接触してないのに自分で勝手に腹を押さえてしゃがみこんで、「公務執行妨害! 逮捕!」とやる。これを「転ころび公こう妨ぼう」というそうです。それは一種の伝統芸のようなもので、その名人といわれる公安までいる。そういうものだと。
ひとしきりそうした話を教えてくれたあと、その弁護士さんは最後に、
「まあ、基本的には、本を書いた人間をつかまえると、逆に本が売れて困ったことになるから、あなたたちがつかまることはないと思いますよ」
と、少しつまらなそうな顔で言ってくれました。
沖縄の地上は一八パーセント、上空は一〇〇パーセント、米軍に支配されている
話をもどしますと、最初に沖縄に行ったあと、一度東京にもどってから出直して、今度は普天間基地の近くにアパートを借りて、約半年かけてその本をつくりました。四年前までなにも知らなかった、まったくの初心者の目から見た米軍基地問題、日本のおかしな現状のレポートということで、逆にわかりやすい面もあるかと思います。さらに数枚、写真を見ながら、ご説明します。
私もそれまで二度ほど、沖縄に遊びに行ったことはあったのです。でも台湾から船で渡ったり、ゴルフなどして遊んでいただけで、米軍機による住宅地の低空飛行についてはまったく知りませんでした。飛行機というのはアッという間に飛んできて、飛びさってしまいますので、実際に住んでみないとその危険性はよくわからないのです。
じゃあその沖縄の米軍基地の全体像はいったいどうなっているのか。右上がその地図です。沖縄本島の一八%が米軍基地になっています。那覇市の右上にあるのが有名な普天間基地、その上が先ほどふれた嘉手納基地、ずっと上の三角にトンがったところが辺野古岬です。
実はこうした沖縄の米軍基地の取材を始めるにあたって、専門家の力はまったく借りませ上んでした。というのも、そもそも沖縄に知り合いがひとりもいなかった。それで沖縄県のホームページを見ていたら、米軍基地についての情報がとてもよくまとめてあったので、とりあえずそれをプリントアウトして、それだけを片手に米軍基地めぐりを始めてみたのです。
だから写真家の須田さんと二人で沖縄に渡る前に、前ページ上の地図は見ていた。そして米軍基地が沖縄本島の一八パーセントを占めているという話を読んで、
「面積の二割近くが米軍基地か……。それは沖縄の人たちも大変だな」
などと話していたのです。
ところがそれはあまかった。というのは、たしかに基地そのものは地上面積の一八パーセントだけれども、そこから飛び立った米軍機は一〇ページの図にあるように、基地の上空以外も飛ぶわけです。陸地の上だけでなく、海の上も飛んでいる。
その理由は「嘉手納空域」というのですが、つい最近まで沖縄の上空は前ページ下の図のようにすっぽりと、米軍の管理空域になっていたからです(二〇一〇年三月にその管理権が米軍側から日本側へ返還されたことになっていますが、形だけの返還で、実態はほとんど変わっていません)。
だからいま「面積の一八パーセントが米軍基地だ」と言いましたが、上空は一〇〇パーセントなのです。二次元では一八パーセントの支配に見えるけれど、三次元では一〇〇パーセント支配されている。米軍機はアメリカ人の住宅上空以外、どこでも自由に飛べるし、どれだけ低空を飛んでもいい。なにをしてもいいのです。日本の法律も、アメリカの法律も、まったく適用されない状況にあります。
日本じゅう、どこでも一瞬で治外法権エリアになる
さらに言えば、これはほとんどの人が知らないことですが、実は地上も潜在的には一〇〇%支配されているのです。
どういうことかというと、たとえば米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利をもっている。
こう言うと、「ちょっと信じられないな」と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかしこれは議論の余地のない事実なのです。その理由は一九五三年に日米両政府が正式に合意した次の取り決めが、現在でも効力をもっているからです。(『本当は憲法より大切な「日米地位協定
入門」』前泊博盛編著/創元社)
「日本国の当局は、(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない」(「日米行政協定第十七条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」一九五三年九月二九日、東京)
一見、それほどたいした内容には思えないかもしれません。しかし実は、これはとんでもない取り決めなのです。文中の「所在地のいかんを問わず(=場所がどこでも)」という部分が、ありえないほどおかしい。それはつまり、米軍基地のなかだけでなく、「アメリカ政府の財産がある場所」は、どこでも一瞬にして治外法権エリアになるということを意味しているからです。
そのため、墜落した米軍機の機体や、飛び散った破片などまでが「アメリカ政府の財産」と考えられ、米軍はそれらを保全するためにあらゆる行動をとることができる。一方、日本の警察や消防は、なにもできないという結果になっているのです。
沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故
そのもっとも有名な例が、二〇〇四年に起きた沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故でした。 二〇〇四年八月一三日午後二時一七分、普天間基地のとなりにある沖縄国際大学に飛行訓練中の米軍ヘリが墜落し、爆発炎上しました。左ページの写真の右下に見える建物が沖縄国際大学です。
こうして訓練をしていた米軍機が沖縄国際大学に墜落し、ヘリの破片が大学と周辺のビルや民家に猛スピードで飛散しました。破片のひとつはマンションのガラスを破り、直前まで赤ん坊がスヤスヤと眠っていた寝室のふすまに突き刺さったのです。ケガ人が出なかったのは「奇跡中の奇跡」だったと、だれもが口をそろえるほどの大事故でした。
さらに人びとに大きなショックをあたえたのは、事故直後、隣接する普天間基地から数十人の米兵たちが基地のフェンスを乗り越え、事故現場の沖縄国際大学になだれこんで、事故現場を封鎖したことでした。
事故後も沖基地縄と国憲際法大学(右端の建物)のすぐ近くで飛行訓練をする米軍ヘリ|c須田慎太郎
そのとき沖縄のテレビ局(琉球朝日放送)が撮影した映像を、一度、世界中の人に見てもらいたいと思います。自分たちが事故を起こしておきながら、「アウト! アウト!」と市民をどなりつけて大学前の道路から排除し、取材中の記者からも力ずくでビデオカメラをとりあげようとする米兵たち。一方、そのかたわらで米兵の許可を得て大学構内に入っていく日本の警察。まさに植民地そのものといった風景がそこに展開されているのです。
つまり、米軍機が事故を起こしたら、どんな場所でもすぐに米軍が封鎖し、日本側の立ち入りを拒否することができる。それが法的に決まっているのです。警察も消防も知事も市長も国会議員も、米軍の許可がないとなかに入れません。いきなり治外法権エリアになるわけです。
ひと言で言うと、憲法がまったく機能しない状態になる。沖縄の人たちも、普段はみんな普通に暮らしているのですが、緊急時にはその現実が露呈する。米軍は日本国憲法を超えた、それより上位の存在だということが、この事故の映像を見るとよくわかります。
このビデオを見ると、
「沖縄の人は、なんてかわいそうなんだ」
と、最初は怒りのような感情がこみあげてきます。しかしすぐに、そのかわいそうな姿は、本土で暮らす自分自身の姿でもあることが、わかってくるわけです。
東京も沖縄と、まったく同じ
なぜなら左ページの図のように、東京を中心とする首都圏上空にも、嘉手納空域と同じ、横田空域という米軍の管理空域があって、日本の飛行機はそこを飛べないようになっているからです。だから羽田空港から西へ向かう飛行機は、まず東の千葉県のほうへ飛んで、そこから急上昇・急旋回してこの空域を越えなければならない。そのため非常に危険な飛行を強いられています。
まったく沖縄と同じなのです。法律というのは日本全国同じですから、米軍が沖縄でできることは本土でもできる。ただ沖縄のように露骨にやっていないだけ。先ほどご紹介した一九五三年の合意内容、
「どんな場所にあろうと、アメリカ政府の財産について日本政府は差し押さえたり調べたりすることはできない」
というのも、アメリカと沖縄ではなく、アメリカと日本全体で結ばれた取り決めです。
だから東京や神奈川でも、米軍機が墜落したら状況は基本的に同じ。日本側は機体に指一本ふれることはできないし、現場を検証して事故の原因を調べることもできない。米軍が日本国憲法を超えた存在であるというのも、日本全国おなじことなのです。
くわしくはPART2(六六ページ)で説明しますが、占領が終わり、一九五二年に日本が独立を回復したとき、そして一九六〇年に安保条約が改定されたとき、どちらも在日米軍の権利はほとんど変わらず維持されたという事実が、アメリカ側の公文書でわかっています。つまり米軍の権利については、占領期のまま現在にいたっているということです。
「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけ
もう一度、八ページの写真を見てください。右上に見えているのが一九四五年に米軍が上陸してきた海岸です。この画面の右側にずっと海岸がつづいていて、その近くはすべて米軍基地になっています。二九ページの地図でいうと、嘉手納基地の左手の海岸です。いまから七〇年前、米軍はこの海岸に多くの軍艦でやってきて、まず艦砲射撃で地上の建物をすべてふきとばし、そのあと上陸して一帯を占領しました。
結局、そのときのまま、ずっとそこにいるわけです。沖縄に行って少し高台にのぼって地上をながめると、そのことがひと目でわかります。海岸に近い、非常に平らで優良な土地を、それから七〇年間、米軍が占拠しつづけている。海沿いの部分だけは一部返還されて商業地区になっているので、車で走っているとわからないのですが、少し高台にのぼると、
「ああ、米軍はあの海岸から一九四五年に上陸してきて、そのままそこに居すわったんだな」
ということが非常によくわかります。
つまり「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけで、一九四五年からずっと同じ形で同じ場所にいるわけです。本土は一九五二年の講和条約、沖縄は一九七二年の本土復帰によって主権を回復したことになっていますが、実際は軍事的な占領状態が継続したということです。
本土の米軍基地から、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた!
嘉手納弾薬基庫地かとら憲嘉法手納基地の飛行場(上)をのぞむ|c須田慎太郎
次にもう一枚写真を見ていただきます。下の写真は、先ほどご紹介した嘉手納という大きな空軍基地のとなりにある弾薬庫を写したものです。上にうっすらと見えているのが嘉手納空軍基地の飛行場です。飛行場と弾薬庫のあいだは、一見、片側二車線の広い道路で分断されているように見えるのですが、実は地下通路で結ばれ、自由に行き来できるようになっています。
こうした弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で一三〇〇発の核兵器が貯蔵されていました。これはアメリカの公文書による数字です。
緊急事には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が地下通路を通って飛行場に運ばれ、飛行機に積みこまれるようになっていた。そしてショックなのは、それが本土の米軍基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるようになっていたということです。
つまりこの嘉手納基地から一度、本土にある三沢や横田、岩国といった米軍基地に核兵器を運んで、そこから新たに爆撃機が飛び立って、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた。青森県にある米軍三沢基地などは、ソ連に近い場所にありますから、ほとんどその訓練しかやっていなかったといいます。
中国やソ連の核がほとんどアメリカに届かない時代から、アメリカは中国やソ連のわき腹のような場所、つまり南北に長く延びる日本列島全体から、一三〇〇発の核兵器をずっと突きつけていた。
アメリカは一九六二年のキューバ危機で、ソ連が核ミサイルを数発キューバに配備したと言って大騒ぎしました。あわや第三次世界大戦か、人類滅亡か、というところまで危機的状況が高まった。
われわれもそのことは、ケネディ兄弟がかっこよく活躍する映画などで知っています。しかしアメリカ自身は、その何百倍もひどいことをずっと日本でやっていたわけです。こうした事実を知ると、いかに私たちがこれまで「アメリカ側に有利な歴史」しか教えられていなかったかがわかります。
憲法九条二項と、沖縄の軍事基地化はセットだった
「えーっ、沖縄に一三〇〇発の核兵器があったの?」
「しかもそれが本土の基地に運ばれて、そこから飛び立って中国やソ連を核攻撃できるよう
になっていただって?」
とても驚きました。この年になるまで、まったく知らなかったからです。
「じゃあ、憲法九条ってなに?」
と当然、疑問をもつわけです。ソ連・中国からしてみたら、自分たちのわき腹に一三〇〇発も核兵器を突きつけておいて、
「憲法九条? 悪い冗談はやめてくれ」という話なのです。
そこで歴史を調べていくと、憲法九条二項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。つまり憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力はなくてもいいと考えたわけです。(一九四八年三月三日、ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)
だから日本の平和憲法、とくに九条二項の「戦力放棄」は、世界じゅうが軍備をやめて平和になりましょうというような話ではまったくない。沖縄の軍事要塞化、核武装化と完全にセット。いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなりちがったものだということがわかりました。
戦後日本では、長らく「反戦・護憲平和主義者」というのが一番気もちのいいポジションでした。私もずっとそうでした。もちろんこの立場から誠実に活動し、日本の右傾化をくいとめてきた方も多数いらっしゃいます。その功績は決して忘れてはなりません。
しかし深刻な反省とともによく考えてみると、自分もふくめ大多数の日本人にとってこの「反戦・護憲平和主義者」という立場は、基本的になんの義務も負わず、しかも心理的には他者より高みにいられる非常に都合のいいポジションなのです。しかし現実の歴史的事実にもとづいていないから、やはり戦後の日本社会のなかで、きちんとした政治勢力にはなりえなかったということになります。
驚愕の「砂川裁判」最高裁判決
沖縄に取材に行って、こうしたさまざまな問題の存在を知りました。しかし最後までわからなかったのは、日本は法治国家のはずです。なぜ、国民の基本的人権をこれほど堂々と踏みにじることができるのか。なぜ、米兵が事故現場から日本の警察や市長を排除できるのか。なぜ同じ町のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上はどれだけ低空飛行をしてもいいなどという、めちゃくちゃなことが許されているのか。
調べていくと、米軍駐留に関するあるひとつの最高裁判決(一九五九年)によって、在日米軍については日本の憲法が機能しない状態、つまり治外法権状態が「法的に認められている」ことがわかりました。
くわしくは、「〈戦後再発見〉双書」第三巻の『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司著/創元社)を読んでいただきたいのですが、これは本当にとんでもない話で、普通の国だったら、問題が解明されるまで内閣がいくつつぶれてもおかしくないような話です。
なにしろ、占領中の一九五〇年から第二代の最高裁判所長官をつとめた田中耕太郎という人物が、独立から七年後の一九五九年、駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。その判決の影響で、在日米軍の治外法権状態が確定してしまった。またそれだけでなく、われわれ日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった。
そうしたまさに「戦後最大」と言っていいような大事件が、最高裁の法廷で起きたのです。いまから半世紀以上前の一九五九年一二月一六日のことです。
法律の問題なので少し観念的な話になりますが、どうかお聞
きください。
憲法と条約と法律の関係―低空飛行の正体は航空法の「適用除外」
まず基本的な問題からご説明します。日本の法体系のなかでは、憲法と、条約、一般の法律の関係は下の図のようになっているそうです。
もともと日米安保条約などの条約は、日本の航空法など、一般の国内法よりも強い。上位にあるそうです。これだけでも私などは「えーっ!」と驚いたのですが、みなさんはいかがでしょう?
これは憲法九八条二項にもとづく解釈で、「日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守する」ということが憲法で定められているからです。この点に関しては、ほぼすべての法学者の見解が一致しているそうです。
その結果、どうなるか。条約が結ばれると、必要に応じて日本の法律(憲法以外の国内法)が書きかえられたり、「特別法」や「特例法」がつくられることになります。つまり下位の法律が、新しい上位の法律に合わせて内容を変えるわけですね。ここまではよろしいでしょうか。
米軍機がなぜ、日本の住宅地上空でめちゃくちゃな低空飛行ができるのかという問題も法的構造は同じで、「日米安全保障条約」と、それにもとづく「日米地位協定」(在日米軍がもつ特権について定めた協定です)を結んだ結果、日本の国内法として、「航空特例法」という左の法律がつくられているからなのです。太字の部分だけで結構ですので、読んでみてください。
「日米地位協定と国連軍地位協定の実施にともなう航空法の特例に関する法律 第三項(一九五二年七月一五日施行)
前項の航空機〔米軍機と国連軍機〕およびその航空機に乗りくんでその運航に従事する者については、航空法第六章の規定は、政令で定めるものをのぞき、適用しない」
初めてこの条文の意味を知ったときは、本当に驚きました。右の特例法で「適用しない」としている「航空法第六章」とは、「航空機の運航」に関する五七条から九九条までをさします。「最低高度」や「制限速度」「飛行禁止区域」などについて定めたその四三もの条文が、まるまる全部「適用除外」となっているのです! つまり米軍機はもともと、高度も安全も、なにも守らずに日本全国の空を飛んでよいことが、法的に決まっているということなのです。
アメリカ国務省のシナリオのもとに出された最高裁判決
けれども、いくら条約(日米安保条約や日米地位協定)は守らなければならないといっても、国民の人権が侵害されていいはずはない。そうした場合は憲法が歯止めをかけることになっています。下の右の図の関係です。
条約は一般の法律よりも強いが、憲法よりも弱い。近代憲法憲法というのは基本的に、権力者の横暴から市民の人権を守るために生まれたものだからです。だから、いくら日本政府が日米安保条約を結んで、それが日本の航空法よりも強い(上位にある)といっても、もし住民の暮らしや健康に重大な障害があれば、きちんと憲法が機能してそうした飛行をやめさせる。
これが本来の法治国家の姿です。
ところが一九五九年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官(前述したとおり、占領中の一九五〇年から、独立の回復をまたいで、安保改訂のあった一九六〇年まで在職しました)が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです*。
するとどうなるか。安保に関する問題については、前ページの右下の三角形の図から、一番上の憲法の部分が消え、左下の図のような関係になってしまう。
つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。
だから在日米軍というのは、日本国内でなにをやってもいい。住宅地での低空飛行や、事故現場の一方的な封鎖など、これまで例に出してきたさまざまな米軍の「違法行為」は、実はちっとも違法じゃなかった。日本の法体系のもとでは完全に合法だということがわかりました。ひどい話です。その後の米軍基地をめぐる騒音訴訟なども、すべてこの判決を応用する形で「米軍機の飛行差し止めはできない」という判決が出ているのです。
そしてさらにひどい話がありました。それはこの砂川裁判の全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて、最初から最後まで、基地をどうしても日本に置きつづけたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行したということです。この驚愕の事実は、いまから六年前(二〇〇八年)、アメリカの公文書によって初めてあきらかになりました。
判決を出した日本の最高裁長官も、市民側とやりあった日本の最高検察庁も、アメリカ国務省からの指示および誘導を受けていたことがわかっています。『検証・法治国家崩壊』にすべて公文書の写真付きで解説してありますので、興味のある方はぜひお読みください。本当に驚愕の事実です。
*?正確には「日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は(略)裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする」(「判決要旨六」)という判決でした。
「統治行為論」という、まやかし
この判決の根拠を、日本の保守派は「統治行為論」とよんで、法学上の「公理」のようにあつかっています。政治的にきわめて重要な、国家の統治にかかわるような問題については、司法は判断を留保する。それはアメリカやフランスなど、世界の先進国で認められている司法のあり方で、そうした重要な問題は、最終的には国民が選挙によって選択するしかないのだと。
一見、説得されてしまいそうになります。私も数年前、まだ有名大学の教授たちを無条件で信用していたときなら疑問に思わなかったでしょう。しかし少しでも批判的な眼で見れば、この理論があきらかにおかしいことがわかります。
たとえば米軍機をめぐる騒音訴訟を例にとって考えてみましょう。高性能の戦闘機というのは、もう信じられないような爆音がしますから、当然健康被害が出ます。音というより振動です。体全体が衝撃を受ける。
そこでたまりかねた基地周辺の住民たちが、基本的人権の侵害だとして、飛行の差し止めを求める訴訟を起こしています。でも、止められない。判決で最高裁は、住民がそうした騒音や振動によって被害を受けているという認定まではするのです。でも、そこから先、飛行の差し止めはしない。そういう不思議な判決を出すのです。
最高裁はその理由を「米軍は日本政府が直接指揮することのできない『第三者』だから、日本政府に対してその飛行の差し止めを求めることはできない」という、まったく理解不能なロジックによって説明しています。この判決のロジックは、一般に「第三者行為論」とよばれていますが、その根拠となっているのが、日米安保条約のような高度な政治的問題については最高裁は憲法判断をしないでよいという「統治行為論」であることはあきらかです。
しかしよく考えてみてください。国民の健康被害という重大な人権侵害に対して、最高裁が「統治行為論」的立場から判断を回避したら、それはすなわち三権分立の否定になる。それくらいは、中学生でもわかる話ではないでしょうか。
元裁判官で明治大学教授の瀬せ木ぎ比ひ呂ろ志し氏は、この最高裁の判決について、
「そもそも、アメリカと日米安保条約を締結したのは国である。つまり、国が米軍の飛行を許容したのである。(略)アメリカのやることだから国は一切あずかり知らないというのであれば、何のために憲法があるのか?」(『絶望の裁判所』講談社) ときびしく批判しています。もちろん、だれが考えてもこちらが正論です。
アメリカやフランスでも、日本のような「統治行為論」は認められていない
実はアメリカにもフランスにも、日本で使われているような意味での「統治行為論」は存在しません。まずフランスを見てみましょう。日本の「統治行為」という言葉のもとになったフランスの「アクト・ド・グヴェルヌマン(acte de gouvernement)」ですが、意外にも、
「〔フランスの学界では〕統治行為論は、その反法治主義的な性格のゆえに、むしろ多数の学説により支持されていない」
「〔フランスの〕判例の中には統治行為の概念規定はおろか、その理論的根拠も示されていないうえに、一般に統治行為の根拠条文とされているものが一度も引用されていない」
と、この問題の第一人者である慶応大学名誉教授の小林節氏は書いています。(『政治問題の法理』日本評論社)
そして統治行為論の安易な容認は、「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかね」ず、「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」と指摘しています。まさに正論と言えるでしょう。逆に言えば、砂川裁判以降、約半世紀にわたって日本の最高裁は、小林教授が懸念したとおりのことをやりつづけているのです。
一方、アメリカには「統治行為論」という言葉は存在せず、「政ポリティカル・クエスチョン治問題」という概念があります。そのもっとも初期の例は、一九世紀にロード・アイランド州で内乱が起き、正統な政府であることを主張するふたつの州政府が並立した、そのとき連邦国家であるアメリカ合衆国の最高裁は、「どちらが州の正統政府かという問題については、独自に決定できない」という判断を下したというものです。そのような、判決によっては無政府状態を引き起こしかねない問題は、裁判所ではなく大統領の判断にゆだねるのが適当としたわけです。
フランスと違うのは、アメリカでは判例のなかでこの「政治問題」という概念が、かなり幅広く認められているということです。なかでも外交や戦争といった分野では、それを「政治問題」として司法が判断を避けるというケースがたしかにある。
しかしそれはあくまでも、「対外関係においては戦線(つまり自国の窓口)を統一することが賢明」(C・G・ポウスト)であるという立場から、絶対的な国益の確保を前提として、一時的に権力を大統領ほかに統合するという考えなのであって、外国軍についての条約や協定を恒常的に自国の憲法より上位に置くという日本の「統治行為論」とは、まったくちがったものなのです。
歴史が証明しているのは、日本の最高裁は政府の関与する人権侵害や国策上の問題に対し、絶対に違憲判決を出さないということです。「統治行為論」はそうした極端に政府に従属的な最高裁のあり方に、免罪符をあたえる役割をはたしている。日本の憲法学者はいろいろと詭弁を弄ろうしてそのことを擁護しようとしていますが、日本国憲法第八一条を見てください。そこにはこう書かれているのです。
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」
これ以上、明快な条文もないでしょう。この条文を読めば、もっとも重要な問題について絶対に憲法判断をしない現在の最高裁そのものが、日本国憲法に完全に違反した存在であることが、だれの眼にもあきらかだと思います。
アメリカとの条約が、日本国憲法よりも上位に位置することが確定した
深刻なのは、田中耕太郎が書いたこの最高裁判決の影響がおよぶのが、軍事の問題だけではないということです。最大のポイントは、この判決によって、
「アメリカ政府(上位)」 > 「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違イ リーガル法な形で温存されていた権力構造が、
「アメリカとの条約群(上位)」 > 「憲法を含む日本の国内法(下位)」という形で法リーガル的に確定してしまったことにあります。
安保条約の条文は全部で一〇カ条しかありませんが、その下には在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。さらにその日米地位協定にもとづき、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は六〇年以上にわたって毎月、会議をしているわけです。
それが「日米合同委員会」という名の組織なのですが、左ページの図のように、外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが毎月二回会議をしている。そこでいろいろな合意が生まれ、議事録に書きこまれていく。合意したが議事録には書かない、いわゆる「密約」もある。全体でひとつの国の法体系のような膨大な取り決めがあるわけです。しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。
官僚たちが忠誠を誓っていたのは、「安保法体系」だった
そうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は、憲法学者の長谷川正まさ安やす・名古屋大学名誉教授によって、「安保法体系」と名づけられています。その「安保法体系」が、砂川裁判の最高裁判決によって、日本の国内法よりも上位に位置することが確定してしまった。つまり裁判になったら、絶対にそちらが勝つ。すると官僚は当然、勝つほうにつくわけです。
官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。
日米合同委員会組織図
海上演習場部会議長
水産庁漁政部長建設部会
議長 防衛省地方協力局
地方協力企画課長
港湾部会
議長 国土交通省港湾局長
道路橋梁部会
議長 国土交通省道路局長
陸上演習場部会
議長 農林水産省経営局長
施設調整部会
議長 防衛省地方協力局地方調整課長
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
施設整備・移設部会
議長 防衛省地方協力局提供施設課長
沖縄自動車道建設調整
特別作業班
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
SACO実施部会
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
気象分科委員会
代表 気象庁長官
基本労務契約・船員契約紛争処理小委員会
代表 法務省大臣官房審議官
刑事裁判管轄権分科委員会
代表 法務省刑事局公安課長
契約調停委員会
代表 防衛省地方協力局調達官
財務分科委員会
代表 財務省大臣官房審議官
施設分科委員会
代表 防衛省地方協力局次長
周波数分科委員会
代表 総務省総合通信基盤局長
出入国分科委員会
代表 法務省大臣官房審議官
調達調整分科委員会
代表 経済産業省貿易経済協力局長
通信分科委員会
代表 総務省総合通信基盤局長
民間航空分科委員会
代表 国土交通省航空局管制保安部長
民事裁判管轄権分科委員会
代表 法務省大臣官房審議官
労務分科委員会
代表 防衛省地方協力局労務管理課長
航空機騒音対策分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方協力企画課長
事故分科委員会
代表 防衛省地方協力局補償課長
電波障害問題に関する特別分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方協力企画課長
車両通行分科委員会
代表 国土交通省道路局長
環境分科委員会
代表 環境省水・大気環境局総務課長
環境問題に係る協力に関する特別分科委員会
代表 外務省北米局参事官
日米合同委員会合意の見直しに関する特別分科委員会
代表 外務省北米局日米地位協定室長
刑事裁判手続きに関する特別専門家委員会
代表 外務省北米局参事官
訓練移転分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方調整課長
事件・事故通報手続に関する特別作業部会
代表 外務省北米局日米地位協定室長
事故現場における協力に関する特別分科委員会
代表 外務省北米局参事官
在日米軍再編統括部会
代表 外務省北米局日米安全保障条約課長
防衛省防衛政策局日米防衛協力課長
検疫部会
議長 外務省北米局日米地位協定室補佐
平成24年2月現在(外務省ホームページより)
日米合同委員会
日本側代表|外務省北米局長
代表代理|法務省大臣官房長
農林水産省経営局長
防衛省地方協力局長
外務省北米局参事官
財務省大臣官房審議官
米側代表|在日米軍司令部副司令官
代表代理|在日米大使館公使
在日米軍司令部第五部長
在日米陸軍司令部参謀長
在日米空軍司令部副司令官
在日米海軍司令部参謀長
在日米海兵隊基地司令部参謀長
*以下「代表」及び「議長」は、
日本側代表・議長を示す。
しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。
とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去一七人中一二人。そのうち九人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです。
このように過去六〇年以上にわたって、安保法体系を協議するインナー・サークルに属した人間が、必ず日本の権力機構のトップにすわるという構造ができあがっている。ひとりの超エリート官僚がいたとして、彼の上司も、そのまた上司も、さらにその上司も、すべてこのサークルのメンバーです。逆らうことなどできるはずがない。だから鳩山さんの証言にあるように、日本国憲法によって選ばれた首相に対し、エリート官僚たちが徒党を組んで、真正面から反旗をひるがえすというようなことが起こるわけです。
この章のはじめで、私が沖縄に行ったきっかけは、
「鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなのか」
「官僚たちが忠誠を誓っていた『首相以外のなにか』とは、いったいなんだったのか」
という疑問だったと言いましたが、この構造を知って、その疑問に答えが出ました。
彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っていたということだったのです。
Part2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか に続く
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