http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/715.html
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「白議員は「公明党案は問題が多い。しかし、それでも自民党は反対するだろう。民主党は今後どう意見を集約するかが課題になる。出来るだけ早く取り組んでいく考えだし、朝鮮籍排除といった法案にはならないだろう」と述べた。
二木氏は「『地方も国政も連動している』「参政権ほしければ帰化すればいい」との自民党内の意見は相当根強い。公明党と民主党が手を結ぶことがカギ」と語った。
辛さんは「政治家に大切なのは『不幸せにならないシステム』を作ること。当事者の在日を入れて法案を作るべき。朝鮮籍を排除するという分断を作り出す法案は論外」と強調した。
陳さんは「日本社会は今後外国人が急増する。日本の社会統合ビジョンを考えるなら定住外国人の地方参政権は認められるべき」と主張した。
地方参政権は早期実現で意見が一致したが、国政参政権では、意見が分かれた。
辛さんは「日本は在日の歴史を根本的に見つめ、外国籍のままで国政も認めるべき」と発言、これについて白議員は「地方参政権はともかく、国政は外国籍では難しい。在日の歴史的経緯はあっても、まず地方参政権から入るべき」と主張した・・・」
公明党の正体もよく分かりました。
創価学会関西拡大作戦で池田大作氏はまず、大阪西成に拠点を作ったんですよね。
パギやんこと趙博氏の出身地です。
青山繁晴さん、安部総理が公明党を警戒していたのも納得。
東洋経済日報から
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2004/post_1733.php
2004/11/19
<在日社会>在日コリアンフォーラム・政治参加めぐり議論百出
第2回在日コリアンフォーラム「在日コリアンの政治参加を求めて〜参政権、国籍、そしてアイデンティティー」が14日、東京・水道橋の在日韓国YMCAで開かれた。主催は在日コリアン弁護士協会(LAZAK)で、約250人が参加した。昨年11月の大阪でのフォーラムに続いて開かれたもので、在日コリアンが日本社会にどう政治参加していくか、熱心な論議が繰り広げられた。
フォーラムは白眞勲・民主党参議院議員、陳賢徳・在日韓国民団中央本部中央執行委員、辛淑玉・人材育成コンサルタント、二木啓孝・日刊現代編集部長をパネリストに行われた。
まずLAZAK共同代表の高英毅弁護士が「在日コリアンと参政権|在日コリアンは『二級市民か』」と題して基調報告を行った(別掲)。
パネルディスカッションでは各自が意見を述べた後(別掲)、討論に入った。まず地方参政権問題では、公明党が国会に提出した「永住外国人の地方選挙権付与法案」が被選挙権を除き、選挙権も朝鮮籍を排除した法案となっていることについて話し合われた。
白議員は「公明党案は問題が多い。しかし、それでも自民党は反対するだろう。民主党は今後どう意見を集約するかが課題になる。出来るだけ早く取り組んでいく考えだし、朝鮮籍排除といった法案にはならないだろう」と述べた。
二木氏は「『地方も国政も連動している』「参政権ほしければ帰化すればいい」との自民党内の意見は相当根強い。公明党と民主党が手を結ぶことがカギ」と語った。
辛さんは「政治家に大切なのは『不幸せにならないシステム』を作ること。当事者の在日を入れて法案を作るべき。朝鮮籍を排除するという分断を作り出す法案は論外」と強調した。
陳さんは「日本社会は今後外国人が急増する。日本の社会統合ビジョンを考えるなら定住外国人の地方参政権は認められるべき」と主張した。
地方参政権は早期実現で意見が一致したが、国政参政権では、意見が分かれた。
辛さんは「日本は在日の歴史を根本的に見つめ、外国籍のままで国政も認めるべき」と発言、これについて白議員は「地方参政権はともかく、国政は外国籍では難しい。在日の歴史的経緯はあっても、まず地方参政権から入るべき」と主張した。
これに対して辛さんは「二重国籍や生地主義の考え方もあっていいい。私が私のまま、弱者が弱者のまま生きられる社会、帰化をというなら権利帰化とすべきだ」と述べた。
白議員は「国会議員にはこの問題に無関心な人が多い。また私には差出人不明の嫌がらせメールがよく来る。そういう現実の中では半歩ずつ進む忍耐が必要」と述べた。
二木さんは「参政権は国民の権利とある現行憲法の15条、93条をどう変えていくか考えないと国政の話は難しい。EUのようなアジア共同体作りも視野に入れる必要がある」と語った。
最後に陳さんは「自分は本名を使うことで在日を日本社会に認知させようと企業活動してきた。そういう活動の延長に参政権があると考えている。自分たちの後輩がより活躍する社会とするために、参政権を獲得したい」と訴えた。
白議員は「若手の新人政治家も輩出してきている。国会も変わっていくはず」と述べた。
辛さんは「被害者が声をあげなければ加害者か変わらない。私たちが歴史のトゲなら、トゲとして生き続けたい」と語り、二木さんは「この問題を報道し続け実現への力になりたい」と締めくくった。
会場からは、「在日の問題であると同時に日本人へのメッセージと受け止めた」「在日の人たちがどの国の国政にも参与できないのはおかしい」「日本政府が参政権を認めないのは差別意識から来ていると思う」などの声が日本人から寄せられた。
在日コリアンからは、「白さんにはルーツを同じくする国会議員としてがんばってほしい」「法案作成の場に在日が関与するにはどうすればいいのか」「届け出制で日本国籍取得が認められるようになってほしい」などの意見が在日から寄せられた。
LAZAKが主張する「二級市民からの脱却」をどう実現するのか、在日の政治参与についての議論はまだ始まったばかりであり、今後、在日内部の意見一致、日本の憲法改正問題、在日のアイデンティティーなどの議論と具体的方策の提示が課題となる。
<参考リンク>
■池田大作の“ルーツ”は西成あいりん地区
http://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/ef7393d91b99e27b08ceacc93a90f5b9
日雇い労働者の町である西成のあいりん地区は、橋下徹の西成特区構想や生活保護問題でもクローズアップされた。かっての花園旅館はそのあいりん地区に隣接していた。
「昭和27年2月当時、大阪にはまだ創価学会員が一人もいませんでした。そこで初代大阪支部長になったのが、白木義一郎さんでした。プロ野球のセネターズ(注:のちの東急フライヤーズ、現日本ハムファイターズ)のピッチャーとして活躍した白木さんが、肩を傷めて阪急ブレーブスにトレードになつた年です」
関西在住の古参創価学会幹部がそう振り返る。
「学会内で関西の日と呼ばれる2月1日は、その阪急のキャンプインの日ですねん。白木義一郎さんのお父さんは、初代創価学会の会長である牧口常三郎さん時代からの数少ない幹部だつたんですけど、本人は若い頃、学会に対するアレルギーが強かった。プロ野球界に入ってからも学会に反発して入信せなんだんです。けど、肩を傷めて阪急にトレードに出されるのがよほど堪えたんでしょう。日蓮正宗に帰依するようになり、学会活動も熱心になった。
それで、二代会長の戸田城聖先生にトレードの件を報告したところ、戸田先生が、『大阪に行くならいい機会だ、君を支部長心得にするから、折伏して向こうで信者を増やせ』と命じたんです」
白木義一郎は1919年9月20日、東京蒲田に生まれる。慶應義塾大学のエースピッチャーとして鳴らし、終戦の翌46年(昭和21)にセネターズ入りし、いきなり30勝をあげスターになる。
プロ野球選手初の国会議員としても有名だ。
もつとも1年目の負け数も22あつた。そんな当時の無理な登板が肩を傷める原因になったのかもしれない。そうして熱心な創価学会員となる。
大阪に移住した白木が、創価学会を広めるために拠点にしたのがほかでもない、西成の花園旅館だったのである。
ちなみに白木は池田大作夫人である香峯子の旧姓だが、義一郎と池田夫人はいとこ同士にあたる。
「池田先生にしてみたら、すでに白木さんは身内のようなものだったのかもしれません。その白木さんのお目付け役として、戸田先生が大阪に送り込んだのが、池田名誉会長でした。
信者の折伏となれば、泊まるところや集まる場所、座談会ができるところが必要になる。それができる旅館を押さえ、いうんで、陣取ったのが花園旅館でした。
そうして花園旅館に池田先生をはじめ数人の幹部が集結し、関西創価学会の基礎を築いていった。と同時に、政治活動も行ない、国会や府市議会に議員を送り込んだのです」(前出、古参幹部)
関西創価学会発祥の地となつた花園旅館は、あいりん地区に沿って南北に走る南海本線の脇にあった。現在のスーパー、イズミヤ本店の隣に位置する。
近くには、日雇い労働者やホームレスがたむろするあいりん地区の三角公園もある。
その木造旅館の大広間を借り切り、若き日の池田大作たちが日蓮正宗の曼荼羅を拝んだ。花園旅館は創価学会の信者折伏のため、作戦を練った場所である。
28年生まれの池田はまだ24歳。白木より9つ下だ。高利貸しの大蔵商事の営業部長として頭角を現し、二代目会長の戸田城聖の黒子役として奔走していた時期にあたるが、創価学会内では青年部の第一部長に過ぎない。三代目会長どころか、まだまだ組織内では認められてはいなかった
という。
「池田先生が戸田先生に『これからこの創価学会は東日本だけでは駄目やから西の拠点をつくり
ましょう』と提案したのが大阪支部づくりだといわれています。大阪を押さえたら西日本は制覇できるいう話になり、そこへ白木さんの大阪行きがきまった。白木さんのいとこである香峯子さんと池田先生が付き合つていたこともあり、白羽の矢が立ったのだと思います。花園旅館で寝泊まりしながら、東京の応援部隊といっしょに数人で西成地域の住人リストを作成し、名簿を持って折伏して回つたといいます。そうして池田先生は実績をあげた。だから今も創価学会にとって大阪は聖地であり、西成は聖地の中の聖地なのです」・・・
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