19. 2015年1月11日 04:42:55
: KEVmILtwF6
どーか誰にも見つかりませんようにブログ
2011年08月13日 http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51855746.htmlさんより
闇将軍マネーと、その系譜 <全文転載> 1992年に起こった東京佐川事件という経済事件がありました。東京佐川急便の当時の社長を含めた経営陣らが自社に損失を与えて特別背任罪に問われたという事件でした。経済事件ならではのややこしさがありますが、社会的には、そのカネの流れという部分に注目が集まっていた。 東京佐川の被害総額は952億円に昇るという空前の経済事件で、指定広域暴力団稲川会系の企業などにカネが渡っていた他、20億円の裏金が政界へ流れたと供述が残されている。 その20億円うちの5億円が、当時の自民党の最大派閥であった経世会の会長として君臨していた金丸信に渡っていたことが発覚、闇献金事件へと発展する。(当時は派閥政治が全盛で、経世会のトップである金丸は「政界のドン」でもあった。) 経世会というのは1987年に結成されている。当時は竹下派が通称で、その発足時には竹下登や金丸信、小沢一郎らが田中角栄率いる田中派から分裂する形で結成されている。 状況としては田中角栄がロッキード事件で失脚していたが、失脚後も《闇将軍》として君臨して自民党内で確固たる地位を保っていたが、世代交代を合言葉にして田中派を分裂させて誕生している。 その裏切りに田中角栄は大いに怒ったといい、この1987年、皇民党を名乗る右翼団体が次期総裁候補であった竹下登をホメ殺しにした際、その和解条件として竹下登を田中角栄に謝罪する事などを盛り込んでいる。 また、その仲裁を取り持ったのが、金丸で、金丸から東京佐川社長を通して稲川会二代目組長が仲介をしていたことでも、その人脈というのが理解できますやね。 この経世会には、金丸、竹下、小沢の頭文字の金竹小(こんちくしょう)が発足当初に主導していたものの、メンバーには小渕恵三、橋本龍太郎、羽田孜と後に総理職に就く面々がずらりと揃っていた。竹下登は既に総理を辞した後で、会長は金丸信。そして、この金丸は自身は総理職を欲さずに《闇将軍》を地で行く政界のドンとして君臨していた。 闇献金が発覚すると、金丸はアッサリとそれを認める。自民党副総裁と経世会会長の職から離れる等の方針を想起に打ち出すも小沢一郎は自民党副総裁を辞めるのは仕方がないが、経世会の会長を辞めることはないと慰留している。 小沢伝説の一つでもあるんですが政治資金規正法に詳しく、元々は弁護士を目指していた小沢一郎は、東京地検特捜部に対して敵意を剥き出しにしている。遺恨が生じたのは、この金丸を巡る一連の対立構図が、ずーっと田中角栄→金丸信→小沢一郎という《闇将軍》と呼ばれる権威継承者の宿命になっているかのようにも思える。 大スキャンダルだったにも関わらず、金丸は任意聴取を拒否。どういう裏側があったのか、金丸が自白上申書を提出するのと引き換えに検察は金丸の聴取を断念。東京地検特捜部は大物政治家だからといって裏で司法取引に応じたのかという不満が沸騰。 金丸に対しての非難も収まらず、国会での証人喚問が問われると、金丸は議員辞職という逃げを打って幕引きを図った。どうしても証人喚問は嫌だったし、国民に説明をする事も拒否したんです。 その結果、金丸は罰金20万円の略式起訴となる。東京地検特捜部のメンツは地に落ち、マスコミは検察批判をはじめ、何者かによって東京地検の門に黄色いペンキをぶち巻かれるという最悪の顛末を辿る。東京地検が屈したかと思いきや、国税局の方から金丸脱税疑惑というのが新たに舞い込んで金丸逮捕という逆転劇が起こる。 この際、永田町の金丸事務所の金庫から1億3千万円相当の金の延棒が発見されて驚かされる。(しかも、通常の金の延棒には刻印があるが、実は刻印のないものだったという。) 田中派の発足から竹下派の発足まで、かなり政界に深く食い込んでいた金丸が政界から去った事で、今度は経世会に揺らぎが生じる。歴史は繰り返す。かつて田中派が分裂したように、経世会も小渕恵三率いる小渕派と小沢一郎率いる小沢派とで覇権争いが起こって分裂する。 分裂の直前、小沢一郎は金丸に「次期、経世会会長に指名してくれ」と申し出ていたという。しかし、金丸は「政界を去ることに決めたのだから後継を指名するワケにはいかない」と小沢の申し出を断ったという。●その後、小沢から金丸へは電話の一本さえ来ないという。(この部分のソースは金丸信吾・松田賢弥氏によってダブルチェックされているという。) 結局、経世会会長の跡目争いは小渕恵三に軍配が上がる。跡目争いに敗れた小沢一郎は羽田孜を担いで羽田派(改革フォーラム21)を旗揚げして袂を分かつ。 で、この経世会分裂騒動に関して、小沢一郎の元秘書が昨年、爆弾証言をしているワケです。 拙ブログ:小沢邸に13億円を運んだという元側近の証言〜2010/7/25 かねてから、この経世会の分裂の際、小沢一郎が経世会の金庫からカネを運び出してしまったというウワサがあったのですが、それを実行したと元秘書が週刊誌で生々しく証言している。 この爆弾証言をされた高橋嘉信氏は側近中の側近と呼ばれた大物で、氏によると十三億円を盗み出して小沢邸へ運んだとなる。これも文藝春秋に於ける対談記事中の野中広務の回想、週刊文春誌上での高橋証言、更には船田元らの証言で重複的になされている話なんですよね…。 ワンポイントあげるなら、当時の小沢一郎の秘書であった八尋氏(故人)と橋本龍太郎の遣り取りなどは、まるで推理映画レベルです。ポマードとタバコの匂いを漂わせている橋本龍太郎が「鍵を寄越せ!」と八尋氏に迫り、「渡せない」と大声で遣り合っていたという。橋龍は当時はテレビ的にはオバサマキラーでしたが、イライラとした表情が目立つ方でしたからね…。 その後、小沢一郎は新党を結成しては分解を繰り返し、そうした中で本来、解党するのなら国庫に返納すべきと定められている政党助成金の問題を抱えている。政党助成金というのは税金から支出されているワケですから、その政党を解党する場合は国庫に返すというのが道理。 ●ですが、事前に個人の政治団体に寄付するという裏技をしており、それらが国会で追及されているのはご存知の通り。 ごくごく最近、自民党の柴山昌彦議員が藤井裕久と署名がある15億円の領収書、その署名を巡る攻防がありましたよね。あれは藤井さんが受け取った事にして、そのまま陸山会へ流れたとされている15億円だったりする。筆跡も酷似している拡大フリップが提示されて、「この署名はあなたか?」と執拗に追及し、藤井さんは「分からない」や「認識していない」等と言葉を濁しまくって、粘りに粘った異常な国会中継は記憶に新しいところ。 拙ブログ:藤井裕久官房副長官の非常に疑わしい署名〜2011/3/6 http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51779124.html ●これだけネタが上がっているのに、「小沢氏に対する日本国内の強力かつ長期的な人物破壊キャンペーンは、世界に類をみない」なんて書籍が発刊されていたりする。小沢氏を攻めることは、即ち陰謀であるとされてしまう理不尽がある…。 どうしてアンタッチャブルなのか? 仮に「小沢さんは金銭問題としてクロだと思うが政治家としての小沢一郎を支持している」というのであれば、耳を貸す余地がある。ですが、違うんですよね…。 ●小沢さんに関してはカルト宗教のようなバイアスがあって、必ず、「あれは陰謀に嵌められているんです。ホントはシロです。悪いのはマスコミと自民党と検察庁です」と平気で陰謀論を展開して小沢さんを守ろうとするんですよね。 ●確かに確定的な物証は明らかにされていないのかも知れませんが、これだけの状況証拠が揃っていたらクロと判断するのが妥当と判断するし、それが当然でしょう。 ●そう判断しないと公共の正義に適わなくなってしまう。それは、かつて金丸信に対して「なんで罰金20万円と略式起訴で済んじゃうんだよ!」と怒ったときの厳しい世論、厳しいマスコミの追及と比べてもアンバランスなんですよね。 ●なんで小沢さんだけが例外になるのか。闇将軍的な政治家、ダーティーな部分を背負った政治家を支持するにしても、その胡散臭さを追及する事を攻撃したり、報道そのものをタブーとするのは解せませんやね。 ●なのにインテリ層も突如として飛躍して、「小沢一郎に関しては羽目られているだけである」と、平気で展開している。「嫌疑不十分なのだから、それ以上、追及すべきではない」とかね。 ●ですが、真相究明こそが哲学の基礎、人間が思考する場合の基礎ですよね。何故、諦めろというバイアスが、これほど強烈にかかるのか…。 残念ながら日本に於ける闇将軍の系譜、金権政治の系譜とは、正しくコレなんだろうって思うのがフツウの感覚なのに…。 ●陰謀論に陰謀論で対抗する気はさらさらなくて、一部、インターネットや一部のカルト系雑誌でも取り上げられている、「小沢一郎氏の出自は済州島の血脈である」のようなものは地雷として仕掛けられたものでしょう。その情報を真に受けたら、ひっくり返されてしまうだけ。 そうしたネガキャンを以ってして「小沢氏は人物破壊されている」というキャンペーンになるのかも知れませんが、小沢さんの金銭問題というのは、ずーっと半ば明らかになっていて、しかも説明する説明すると言いながら説明をしていない。 ●この不健全さというのが気になります。 小沢一郎という政治家の行動原理は即ち「権力」であり、その権力争いの中で計略に長けているだけでしかないように思える。小沢さんを誰かが担いでしまうと、かならず小沢一郎を巡ってシンパかアンチかという軸が出来てしまい、最後まで政局争いになってしまうのは、その為でしょう。 ●政治的な意思があるのではく、行動原理として権力掌握の為に動いてしまう政治家。実に驚くレベルで小沢一郎の元から側近が裏切っているし、師である田中角栄を裏切り、金丸信をも裏切っている。田中にも金丸にも可愛がられていたにも関わらず、結果として親分を裏切り続けてきた政治家でもある。 書生時代やら運転手時代やらの証言からすれば、おそらく小沢一郎の人物像というのは、きっちりと仕事をする愚直な人物である。苦労をしても手を抜かない、日本人的な美徳も持つ人物かも知れない。ですが、それは愚直なまでに権力掌握を志向してしまう。やはり、闇将軍の系譜の人物に思える。 小沢さんは自分自身で、「僕はマザコンかも知れない」とマザコンを匂わせる発言をしたことがあるという。 ●ですが、あれほど慕っていた田中角栄を裏切り、同じように慕っていた金丸信を裏切っているという部分が【父親殺し】なんですよね…。田中角栄の恨みは竹下登に向かっていた事が予想できる。田中角栄は小沢一郎に自分の死んだ長男の影を投影していたという証言が実際にあるという。 ●また、金丸信のケースだと裏切って後には音信不通だというのに金丸は「小沢は(裁判に)来ていたか?」等と、終始、気にかけていたという。これだけ親分に可愛がられながらも、冷酷になれるパーソナリティというのも珍しい気がします。 ●側近や同僚も、かなりの確率で小沢さんの元から去っていく。どうにも問題が決裂すると、「俺が去るか、君が去るかだ」と迫るタイプだという。 ●なので、実はマザコンだという分析は正しくなくて、ファザコンでしょう。自身の語っている「マザコン」とは単なる母親好きの意でしかない。ところが、父親に対してのコンプレックスは父と同じように弁護士を目指し、それでいて父が受かった司法試験に失敗している。人格形成は、この頃までに終わると考えられるので、小沢青年は父親に対しての劣等感という意味でコンプレックスを背負っていたと思う。 田中角栄や金丸信に可愛がられたのは、東北人にありがちな寡黙で真面目な人物像だからでしょう。で、実際に可愛がられて悪い気がする人間は少ないでしょう。実際、田中も金丸も「オヤジ」と呼んでいたという。しかし、その田中という父親も金丸という父親も偉大すぎて、おそらく、こういうケースで真面目な青年は劣等感にさいなまれる。 おそらく、本当は小沢一郎は田中角栄や金丸信に対してもドライではなかったでしょう。どちらかというと、その裏切りに関してのみ、意図的というか、敢えて自分から裏切って、縁を断ちるかのような、背伸びをしてドライな行動をとっている。この辺りの感情というのが非常に複雑ですが、この環境はファザコンへと導くと思うんです。 男児は幼児期に母親を独占しようとするが、父親や兄弟によって独占できないことを学習するというフロイト系の仮説がありましたよね。多くのケースでは、そのプロセスを辿って精神を発達させるんだとか。ですが、稀に父親の不在、兄弟の不在によって母親の愛を独占してしまうケースがあるし、ごくごく稀に、母親がその子を溺愛したまま発育し、或る時点で男児は父親殺しというものを体感してしまう。 ●小沢さんのストーリーからすると、父親を越えられないという連続だった気がします。実父も大臣でしたが、田中角栄に金丸信というのは、青年が越えるには、あまりにも巨大だった筈ですよね。それでも、裏切りを貫徹した、父親殺しを貫徹している。 ●総べては権力の為。総べては田中や金丸と肩を並べる為の選択だし、田中や金丸を超える為の選択だったのではなかったと思える。 ーーーーーーーー 2010年07月25日 http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51596068.html 小沢邸に13億円を運んだという元側近の証言 <全文転載> ●爆弾ネタなのに、何故かテレビや大手新聞のようなメディアは沈黙してしまう事がある。先月の「小沢邸に私が13億円を運びました」の証言が、全くテレビで取り上げられないのは、如何にも違和感があります。フツウなら金賢姫さんの来日よりも、重要な大きなネタなのに。 それは週刊文春6/10号に掲載された元側近秘書、高橋嘉信氏※の語った内容についてです。(【高】の文字はハシゴダカが正確。)以下、敬称などは略して当事の状況と、証言を摺り合わせてみます。 平成4年8月、経世会会長にして自民党副総裁というポストで栄華を極めていた金丸信氏が東京佐川から5億円のヤミ献金を受け取っていた事が発覚。金丸本人が事実を認めて副総裁の辞任を表明。
この際、小沢はヤミ献金問題の収拾に乗り出すが、派内協議もせずに独断で金丸の会見を設定したとされている。この独断で金丸の会見設定をした行為に対して経世会内では「クーデターだ」と反発が起こった。 さて、ここまでの内容について週刊文春に掲載された状況説明は、「松田賢弥と本誌取材班」によるもの。「そんなの嘘だい!」という声もあろうかと思うので慎重に検証します。月刊誌としての文藝春秋八月号に於ける野中広務と立花隆、後藤謙次の対談で補強します。 では野中の弁から太字部分、原文に忠実に引用します。 野中 「ええ、私は小沢一郎という政治家を悪魔だと思っていますから。そう思うようになったのは92年の東京佐川急便闇献金問題のときです。8/27に金丸さんが佐川急便から五億円の献金があったことを認め、自民党副総裁を辞任する記者会見を開きます。我々は何も知らなかったので驚きました。それで、調べてみると会見の前に小沢さんが金丸さんの副総裁辞任届を宮沢喜一総理(当事)のところへ持っていき、宮沢さんが受け取りを拒否すると、小沢さんは「子供の使いじゃありません」と言って、出て行ったという」 立花 「小沢が金丸を失脚させようと、突然の辞任会見を仕組んだという事ですね」 野中 「そうです。そういうことを平気でやる人間なんです」 野中が小沢一郎を評して悪魔呼ばわりするのは、この東京佐川事件の処理に於ける金丸信に対してクーデターが論拠になっているという事。 まだまだ前提条件の段階ですが、当事の状況、経世会の内部事情は野中証言と週刊文春とで完全に符合しています。 同年9/25に金丸は東京地検特捜部に容疑を認める上申書を提出。その結果、略式起訴され罰金20万円となった。 しかし、世論の反発は凄まじく、金丸信は同年10/4、議員辞職を余儀なくされた。それは経世会会長の辞任も意味していた。 経世会(竹下派)は会長の座を巡る熾烈な抗争が起こっていた。抗争となったのは小沢一郎を担ぐ小沢グループと小渕恵三を担ぐ小渕グループ。 同年10/28、経世会総会で小渕恵三が新会長に決定する。それを不服とした小沢グループは同年同日「改革フォーラム21」を旗揚げ。経世会が分裂状態に。 この分裂により、従来の経世会事務所があった砂防会館別館三階は、一時的に空白地帯になった。小渕グループは紀尾井町の赤坂プリンスホテルを拠点とし、小沢グループは永田町のキャピタル東急を拠点とした為、本来の事務所があった砂防会館は空白地帯になった。 で、その分裂状態のときに、砂防会館の経世会事務所にあったグレイの巨大な金庫から忽然と現金が消えたという。 その経世会が分裂状態にあったとき、13億円の現金を小沢邸に運びましたという証言を、側近中の側近であった元秘書が起こしている訳です。これはニュースバリューとして考えたら、主要メディアが報じないのは不自然でしょう。 小沢支持者なら「その元秘書の狂言である」とか「そもそも週刊文春なんて週刊誌はクソだ」等と言い出すでしょう。ですが、それは検討違いで、松田賢弥氏というジャーナリストは小沢追及の第一人者だし、過去には週刊文春ではなく週刊現代で告発をしていたジャーナリストであり、松田氏の発信した記事は国会でも取り上げられているし、東京地検さえも松田氏の過去記事を参考にしているであろう事が予想されているものです。そして何よりも、松田氏の追及とは全く異なる角度に存在している《野中広務》という存在が、それと符合するような証言を今になって語り始めてしまっているワケです。 高橋嘉信証言について問われた野中の弁は、以下のとおり。 「経世会の金庫の中には十億くらいが入っていたのが、いつの間にか二億くらいしか残っていなかったので、小沢さんが八億ぐらい持ち出したんだろうと思っていました。しかし、運んだ高橋元秘書本人が十三億だと言うんだからそうなんでしょう。これほど大きな額とは思いませんでした。でもこの話は検察審査会とか国税とかいう問題じゃなくて、要するに泥棒ですよ」 つまり、野中は経世会の金庫に二億円しか残っていなかったから、日頃から十億円ぐらい入っていた金庫なのだから、差し引き八億円ぐらいを小沢が持ち出していたのだと思っていたところ、証言によれば実は十三億の持ち出しであったらしいから、そうなのだろうの意。 再び週刊文春6/10号に沿って、その騒動の経過を追っていきます。 高橋元秘書がカネを小沢邸に運び出したという実行シーンの証言というのは、信憑性は低くはないでしょう。高橋さんによれば、関与していたのは経世会の鍵を預かっていた八尋護事務局長(「小沢の金庫番」と呼ばれた人物で2006年に没しています。)と、最終的にカネを小沢邸に運び込んだ際、それを受け取る役目をした小沢夫人までが関与していた事になる。 分裂状態が起こった事で、小渕グループは「小沢が勝手に金庫からカネを運び出してしまうのではないか」と警戒していたという。橋本龍太郎が金庫の鍵を預かっていた八尋に対して、「鍵を渡せ」と迫ったが、八尋は「これは金丸会長から預かった鍵だから、金丸会長に渡すのならいいが、それでなければ駄目だ」と突っ撥ねたという。 この橋本龍太郎と八尋との「鍵を寄越せ/渡せない」という問答については、船田元が当事の事情を知っており、橋本龍太郎が八尋に「鍵を返せ」と言い寄ったが鍵を取り返せなかったという旨の証言している。つまり、この状況もウラは取れているワケです。 そうした緊張状態の中、小沢グループは虎視眈々と現金輸送作戦を展開させていた。 八尋が合図を送り、それまで運び出す役目の証言者(高橋元秘書)は待機するような算段だったという。そして或るタイミングで八尋から電話が入る。議員会館にいた証言者は砂防会館の通常は使用されていない裏の駐車スペースへと、用意していた車で向かったという。電話があってから、そこまで間は4〜5分。 証言者が非常階段を昇りかけたとき、既に八尋がドアを開けて待っていたという。八尋の足元には大きな紙袋が数多く並べられていたという。紙袋はビニール(セロファン?!)のカバーがついた大きめの紙袋を二重にしたもので、外部から見えないように新聞紙が上にかぶせられていたという。 証言は以下のように生々しい。、「紙袋はかなりの重量で両手に下げると腕がしびれるようでした。トランクに入れた時に『本当にカネかな』と思って新聞紙をどかして中身を見ました。ビニールで梱包された万札の束がぎっしりで、『一袋、一億円だな』と思いました」 13個の紙袋をクルマに積んだ証言者は、霞が関から首都高に乗り、三軒茶屋で降りて道路脇に停車してから小沢夫人(和子氏)に電話を入れたという。小沢邸は警察官がいて警備をしているで事務所のある玄関の方は怪しまれると思われたことから小沢夫人に「勝手口を開けておいて欲しい」と言うと、「わかった、わかった」と返答したという。 小沢邸に着くと、既に勝手口は開いていて夫人が待っていたという。証言者が勝手口に紙袋を降ろすと、夫人が台所の方へと更に紙袋を運んだという。夫人は台所の上がり口となる場所に全ての紙袋を運び込んだという。更に、秘書や家事手伝いでさえ入る事がない小沢一郎の書斎へと紙袋を運び終えると、証言者は夫人に断わりを入れた上で、議員会館へと戻り、何事もなかったように仕事を続けたのだという。 そして証言の最後は、以下のとおり。 「岩手めんこいテレビの巨額な株疑惑問題やこの経世会のカネの問題はなどは、今回の小沢に絡む四億円の土地購入資金の原資解明に避けて通れない事実であると考え、検察に話しました。しかし、調書にはされませんでした」 ん? 「検察に話しました。しかし、調書にはされませんでした」 の真意が微妙ですね。実は引っ掛かる。もしや検察内部にコネの意!?
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