http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/485.html
Tweet |
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/bda4a0310ebf036189f067c1c6c2203d
2015年01月05日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(土屋勝裕、小松昌代製作総指揮、渡邊良雄、末永創演出、 大島里美、宮村優子脚本、出演者・井上真央など、ナレーター・池田秀一)の放送が1月4日から始まった。NHK大河ドラマ第54作目である。第1回(1月4日)のあらすじは、以下の通りであった。
「嘉永3(1850)年、萩。杉文(ふみ)は下級武士の娘。大好きな兄の吉田寅次郎(伊勢谷友介)は若き兵学者として期待を集めていたが、鎖国の日本の未来に危機感を募らせ禁書を手にする。その頃、文は小田村伊之助(大沢たかお)と運命的な出会いを果たす。
儒学者の後継者ながらも世界に目を向けていた伊之助は、寅次郎と同じ禁書を持っていた。
その禁書をめぐる騒動の中で、文は二人を出会わせようとするが・・・」
◆吉田松陰は、長州毛利藩の藩校「明倫館」の軍学教授(兵学教授)である。播州赤穂浅野藩の大石良雄以下47人の赤穂浪士が元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜、主君・浅野内匠頭長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害。長州毛利藩は、下級武士を預かり、切腹・斬首まで面倒を見た。赤穂藩は、流罪の身になった兵学者・山鹿素行を引き取り、藩主以下、その薫陶を受けたことで知られている。この山鹿流軍学は、幕末まで伝えられ、明倫館は、吉田松陰がその神髄を教えてきた。
◆山鹿流軍学の本質は、「孫子の兵法」にある。孫子は孫武といい、紀元前535年? 〜没年不詳である。中国古代・春秋時代の武将・軍事思想家である。「戦わずして勝つ」という戦略思想で有名である。
だが、毛利家は、もっと長く深いところで、「孫子の兵法」と結びついていた。孫武(紀元前544年〜紀元前496年)が、呉王・闔閭に仕え、百度戦って百度勝利して残した教え「孫子の兵法」は、奈良時代の学者・公卿である吉備真備(695年〜775年)が遣唐留学生として、阿倍仲麻呂・玄ムらとともに入唐し、735年に多くの典籍を携えて帰朝したなかにあった。これを平安時代随一と言われた学者・大江匡房が大成した。この大江匡房の子孫が大江朝臣毛利元就が実戦に応用して、中国・四国・九州を制覇して120万石の戦国大大名となった。その末裔が、長州萩藩の軍学教授・吉田松陰ら「幕末の青春群像」であった。いまから147年前の明治維新に導いた。
◆「何のために学問をするのか」という吉田松陰の言葉は、現代の日本民族に、「出世のためか」、「カネ儲けのためか」という問いを鋭い刃の如く突き付けている。「公のために生きるのか」それとも「私利私欲のために生きるのか」と。
日本は、大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争など複合的戦争)に敗れてから、70周年を迎えた。これから先、国際社会の中で日本民族は、どう生きていくのか。取り敢えず「400年間戦争のない平和な時代を築く」には、どうすればよいのか。真剣にこのテーマに取り組んでいく必要がある。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、これからの日本民族の生き方を問うている。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK177掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。