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2015年01月03日
以下の週刊実話の森永卓郎コラムが目についた。正直に生きる、森永氏らしい視点だが、残念ながら、真実を言い当ててはいないのだろうと思う。まあ、評論家である以上、何らかの処方箋的解説を加えなければならなのだから、その苦渋の解説を書かなければならない事情はよく判る。しかし、銭に関係ない立場で、日本の現状を解析するなら、野党も与党も、目くそ鼻くそなわけで、既存のプラットフォームが壊れない限り、ずるずるベッタリなサイクルメカニズムが発揮されるだけど、どうしようもない状況なのだと思う。
≪ 森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 対立軸がみえてきた
衆議院選挙は、与党の議席が3分の2以上を占める与党の圧勝に終わった。アベノミクスの継続を問うという与党が示した争点に対して、明確な対立軸を示せなかった野党の戦略負けだったと私は思う。
ただ、選挙結果には、今後、野党示すべき対案の姿を映し出すヒントが隠されていた。一つは、大幅に議席を減らすといわれた維新の党が終盤で盛り返して、ほぼ勢力を維持したことだ。維新は、身を切る改革を優先させるべきだと選挙戦で強く主張したのだ。
実際、安倍内閣の財政膨脹は、とてつもない。今年度予算は、前年度当初予算と比べると2兆2000億円も増えている。過去10年間の平均予算増が4000億円だから、1兆8000億円も増額になっている。
そして選挙後、補正予算の規模を1兆円積み増しして、3兆円規模とすることを決めたから、昨年度当初予算と比べると4兆8000億円もの予算増額となった。今年度の消費税増税による税収増が4兆5000億円だから、増収以上の財政拡張を決めたことになる。
財政拡張が社会保障の充実に回されたのであれば、まだ納得ができる。しかし、そうではない。例えば、国家公務員の冬のボーナスは、前年比で21%も増えた。震災復興の財源確保のための給与削減が終了したことと、民間賞与に合わせて国家公務員の支給月数を増やしたからだ。
しかし、国家公務員の給与や賞与は、事業所規模50人以上の事業所の正社員のみを調査して、そこに水準を合わせている。アベノミクスは、中小企業を置き去りにして大企業の業績だけを大きく改善した。公務員は、その大企業と同じ恩恵を賞与で受けているというわけだ。
もし、中小企業も含めた給与調査をすれば、それだけで国家公務員の人件費を2割以上カットできる。しかも、安倍政権は財政政策を官僚に丸投げしている。選挙直後に、補正予算の中身がすぐに決まること自体が、官僚の用意したシナリオに乗っている証拠だ。
財政の無駄遣いを思い切って削減すれば、それを財源に消費税の引き上げも阻止できる。2016年夏の参議院選挙に向けて、野党は、消費税凍結プラス大胆な行政改革という対立軸を共通して掲げれば、勝機が得られるだろう。
実は、もう一つの対立軸がある。今回の選挙で次世代の党は、壊滅的に議席を減らした。一方、公明、共産が議席を増やした。安全保障政策でタカ派が支持を失い、ハト派が支持を増やしたのだ。安倍総理は、集団的自衛権の行使を可能にする法律整備を行うと同時に、憲法改正に向けての議論を深めていく方針を明らかにしている。だから、それに反対するハト派政策を打ち出せれば、かなり多くの国民の支持が得られるだろう。
今回の総選挙で、沖縄は四つの小選挙区すべてで自民党の候補者が敗れた。普天間基地の辺野古移設反対という政策で一致し、候補者を一本化した成果だった。
2016年夏の参議院選挙に向けて、野党は同じことの再現を目指せばよい。
もし、それができなければ、政権交代の可能性が限りなく小さくなり、日本は自民党の単独支配が続く55年体制の時代に戻ってしまうだろう ≫(週刊実話: 森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 対立軸がみえてきた)
最近つくづく実感するのだが、21世紀という時代は20世紀に繁栄を謳歌した欧米文化の“死に様”を見ると世紀なのだと思う。日欧が経済成長を基盤とする利益分配構造の中で、資本主義を通じて得た利益をいかに国民に分配するか、その分配先で政党の色分けがされていた。この利益の分配システムの中で、実はガラス細工のようなデモクラシーが機能していたと云う事実をまざまざと理解できる時代がやってきたようだ。つまり、資本主義と民主主義はセットとなり、その土台は「経済成長」に支えられていたのである。
アメリカの資本主義というか金融主義は、正体が掴みにくい経済システムであり、金融工学と云う実体のない経済機構で、マネーゲームを行う装置であって、小生も一時期使っていた「金融資本主義」、資本主義の“亜種”程度に呼んでいたものは、実は資本主義と何ら関係のない、ことなるシステムのように感じるようになってきた。通貨基軸であるドルの増産縮小で、通貨をコントロールすることで利益を得ていただけで、ヒトやモノの介在が殆どないのだから、幽霊のような仕組みがあるだけの経済なので、好調なのか不調なのか、それを目視出来ない、つまりは八百長が幾らでも入り込む余地のある経済なので、日欧や他の国に比べて、経済統計自体、信用性があるかどうか不明である。
おそらく、狡賢いユダ及びアングロサクソンは、人間の文化的な意味での成長の限界を感じていたのだろう。このままでは、資本主義が目指す市場原理の基礎である市場の供給バランスが崩れる。そこで、ヒトやモノが介在しない新たな市場を、通貨基軸のドルをベースに金融と云う市場をバーチャルに作り上げたのだと思う。開発途上国や後進国の資本主義における市場が、本来の需要を生み出すには、相当の時間を要するだろうし、市場が実現するかどうかも怪しいのだから、何とか覇権国として、資本主義と民主主義が未だに機能している状況を作ろうとした苦肉の策だったと思われる。
とどのつまりな表現だが、資本主義も民主主義も、実は機能不全に陥っていると考えた方が妥当な結果を生みだす。そのニヒルなくらいの現状認識から、物事を考えなければならない世紀に入っていると云うことだ。こういう時代になると、過去を眺めるのなら、100年、200年ではなく、産業革命以前くらいの時代感覚に思いを馳せる必要があるのではないだろうか。無論、自由とか民主制と云うものは、一定の範囲で維持されるべきだが、金科玉条として振りかざすものではなくなっているのだと思う。
そういう意味では、自民党も民主党も社民党も、20世紀的組織の上に乗っかった政党で、制度が崩壊仕懸っている資本主義に、何らかの形で依存した政党である点で、同じなのだから、明確な対立軸を提示できる政党は限られている。共産党にしても、対既存のシステムを意識したうえで存在しているので、或る意味で、パラダイムの範疇に属している。つまり、対立軸を国民に提示できないモラトリアムな時代に入っているのだから、かなり長期にわたり、産みの苦しみは継続するだろう。
次の時代をイメージすることを、既存の枠組みで上手に生きてきている人々に求めても、何ひとつ示してはくれないだろう。彼らは、パラダイムの中で上手に泳いだ人々なのだから、彼らの勢力から救世主が生まれることを望んでも意味はない。それこそ天変地異的な出来事が来て、国民の醸成する、確実なうねり「意識の共有」が出現しない限り、パラダイムシフトは発生せず、枝葉末節な議論がグルグルと回るだけだろう。大きな目で眺めれば、政治、行政、司法、マスメディア、学者に多くを望んでも無理である。
じゃあどうにもならないじゃないか!と云うお怒りを受けそうだが、そう我々では如何ともしがたい、厄介な時代に入っているのだ。既存のプラットフォームが、過去の蓄積の余力を残している限り、自らのプラットフォームを投げ捨てることはないし、永らえるあらゆる弥縫策を打つのは自明だ。これの時代の運命なのだから、強く非難も出来ない。善かれ悪しかれ、日本は最悪な事態が、人々に見えてくるまで、20年、30年の時間が残されている。その頃になれば、格差社会が、実は「差別社会」だと多くの人々が気づくのだろう。70%が底辺に差別された社会では、意識の共有が「空気」として、醸成されるかもしれない。
しかし、そんな起きるか起きないかと判らない事象を待つよりも、覇権勢力の分布がドラスティックに起きる期待の方が筆者は強いのだと考えている。アメリカの更なるバブル崩壊(ドル基軸の崩壊)とユーラシア大陸勢力の共同体が成立するバッティングポイントが現れる方が早いのだろうと考える。それは、2020年までには起きると思われるので、東京オリンピックなんてものも、幻の世界のスポーツ祭典になるのかもしれない。正直、日本人が自らの力で、難局を切り抜けるのではなく、覇権の移動時期に、どちらのポジショニングで、その時期を迎えるのかが、非常に興味深い。まあ、現状を見る限り、旧覇権側の先兵にさせられているような気もする。このような観点に立ってしまうと、日々の政治など、どうでもいいのかなと思ったりする日々が続くような気がしてならない。
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