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[写真]安倍首相。第二次政権の安倍首相は第一次政権時と比べて明らかにケンカ上手になった、という。(ロイター/アフロ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141230-00000017-wordleaf-pol
THE PAGE 1月2日(金)9時0分配信
第二次政権の安倍首相は第一次政権時と比べて明らかにケンカ上手になった。首相あるいはその周辺が過去の政治からよく学んでいることがうかがえる。
今日の日本政治の基底をなすのは1994年の政治改革である。政治改革は、非自民非共産の8党会派からなる細川連立政権のもとで、(1)衆議院の選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変更する選挙制度改革、(2)政治家個人への企業・団体献金の制限と献金の透明化を図る政治資金改革、そして(3)税によって賄われる政党交付金制度の整備、を内容としている。政治改革により、政治家個人ではなく政党中心の政治、利益誘導ではなく政策中心の政治の実現が目指された。
政治改革後の政治にはいくつかの特徴がみられる。その例を挙げるとすれば、第1には政権が有権者からの付託を受けるうえで衆院選の重要性が大きく高まったこと、第2には党首が政治の前面に登場するようになったこと、第3には政治のテーマ設定が重要になったこと、第4にメディアを味方につけ離反させないことが重要になったこと、第5に世論の支持が高ければ党内は抑え込める可能性が特に自民党では高まったこと、などということになろう。安倍・自民党もまたこうした変化に対応してきた。2014年の解散・総選挙は、こうした学習を経た安倍政治の特徴を如実に物語っている。
今回、安倍・自民党は、「アベノミクス」以外を争点にしないように最大限の努力を払っている。首相は街頭演説では大きな議論を呼び続けている集団的自衛権や特定秘密保護法には触れず、自民党の選挙公約にも言及はなかった。特に集団的自衛権関連の安全保障法制の整備は2015年に行われることになっており、政権を担う自公両党の主張に齟齬があるなか、有権者はその真の意味合いについて知らなければ本来的には候補者や政党を選択することはできない。憲法改正についても、自民党が具体的に訴えることはなかった。原発政策を長年主導してきた自民党政権が福島第一原発の事故を総括し、反省し、未来を展望することもなかった。中国との緊張関係をどうするのか、あるいは日本の国際的な評価に大きく響いている靖国問題をどうするのかについても説明はなかった。徹底して「アベノミクス」という経済政策をテーマに絞る戦術をとったのが安倍・自民党である。
ただ、その際も、「アベノミクス」が具体的に何を意味するのか、語られることはなかった。「第一の矢」である異常な金融緩和とこれに伴う円安誘導、それに「第二の矢」である伝統的な公共事業が結局はアベノミクスの実態なのではないのか。さらに「第三の矢」が農政改革であり、カジノ解禁であり、雇用の流動化の加速であり、原発の輸出や再稼働であれば、影響は大きい。世論の方向性が定まっていないにもかかわらず、ここでも安倍・自民党からの説明は乏しかった。今日の日本において深刻な課題となっている社会保障や貧困問題についても、消費増税の延期を理由とした解散であったにもかかわらず、今後の構想が語られることはほとんどなかった。
今回の解散は、野党やマスメディアが異なるテーマを総選挙の主題にできないようにするためのスナップ・ショットの抜き打ち解散でもあった。もちろん、野党の側の準備不足は当然野党に非がある。しかし、問題は安倍・自民党の側が正攻法の議論を回避しようとしたその姿勢にある。これはテレビへの対応にも端的に表れている。すでに多く論じられてはいるが、自民党は、各テレビ局に要望書を送り、出演者の発言回数や時間の配分、ゲスト出演者の選定、テーマ設定、街頭インタヴューや資料映像の使い方について「公平中立、公正」を求めた。結果的に、マスメディア特にワイドショーやバラエティに近い情報番組は解散や総選挙を大きく取り上げることはなかった。少数政党ならば「公平中立、公正」を求めることは理解も可能であるが、政権を担当し、圧倒的に多くの議員数を抱えて、あらゆる場面で優位に立つ政党がこのような要望書を出すというのは、政治における議論の範囲を狭め、政権の業績を評価し今後を考える機会を奪う行為にほかならない。最大政党の危機感がそこには反映されているということかもしれない。だが、野党やマスメディアを「良い子」にしようとする行為は自由な社会にとって背信的である。大きな権力をどうにかコントロールし「ほかの道」を考え認める機会を奪うことになるからである。
くわえて、今回の解散は、有権者に考える時間も与えないものであった。日本の選挙運動期間はきわめて短い。今回も投票日は告示日から12日後である。これ自体問題ではあるが、近年は解散から総選挙までの期間が比較的長くなり、人びとが考える時間は増えている。2009年の場合は解散から総選挙まで40日もあった。それが今回はたったの23日である。突然の解散に人びとが戸惑う中で、とにかく総選挙をやってしまおうという姿勢がそこには見て取れる。今回の解散・総選挙は、安倍首相の言葉とは裏腹に、さまざまな政策について幅広い議論が喚起され、政権と政権党がこれを受けて立つという「王道」の戦いとはとても言えなかった。
安倍首相は、政治改革後の政治において、総選挙が政権の正当化にとって決定的に重要な契機であることを理解し、これに訴えることを選択した。支持率を維持できれば、党内におけるグリップも確保できると首相は認識している。首相が前面に出てテーマ設定を行うという姿勢も示し続けた。しかし、人びととの対話と真の意味での選択の機会、そしてこれによって政権にもたらされる人びとからの信頼の獲得という道が求められることはなかった。民主党のように、約束し過ぎれば、政権運営の足枷になりかねない。ならば約束は狭く、曖昧にする。そのような姿勢が安倍・自民党にはみられたのではないか。マスメデイアも味方につけるのではなく、「公平中立、公正」という建前とテレビ事業者に対する許認可という力の組み合わせによって、テレビを無力化する道を採った。何が問われているのか、何が行われてきたのか、何が選択肢なのか、選択の帰結は何かについて真摯に語られ、あるいは人びとの意見が求められることはなかった。十分な議論もないままに議員と政党、政権の選択が求められ、選挙の結果、全てが了解されたという形式のみが重視された。
政治改革は、政権交代可能な複数の政党が政権をめぐって競合し、総選挙の際にその政党が掲げるマニフェスト(選挙公約)を有権者が選択することで、政治と人びととのつながりを作り、人びとの思いを政治に反映させ、政治家に責任を負わせることを目指した運動である。そこでは、政党は、自らの行う政策プログラムを有権者に誠実に示し、有権者は望ましいプログラムを選択できなければならないはずであった。
安倍首相は、総選挙に勝利することで政権運営の正当化を行うという、政治改革によって作り出された表の手続きを利用することに成功し、ケンカ上手を示した。しかし、政党間の競争がない状況をあえて選択し、政権が真に追求しようとする政策は隠して議論せず、人びとの理解と了解を誠実に求める姿勢をみせたとは言えない。選挙運動期間中、語られることがあまりなかった安全保障法制の整備と憲法改正については総選挙後すぐに語られ始めている。政治改革が本来的に求めた、政治と人びととのつながりの確保と信頼の醸成というその魂は置き去りにされた。政治改革の魂は顧みられず、総選挙という手続きとそこでの勝利という形式のみが重視された。政党間に適切な競争がない状況では、責任を問われないかたちで、権力行使の正当化のみを総選挙で得ようとすることが、実は政治改革の構想からは可能となる。制度の整備だけでは日本のリベラル・デモクラシーの質は担保されないということである。
安倍・自民党には、総選挙が人びとからの信頼の獲得を目指す作業であって、自らの意思を人びとに押し付ける正当化の機会ではないということを今一度認識してもらう必要がある。首相は、総選挙の前後にテレビ出演してインタヴューに応えているが、その際に示された態度からは、異なる意見や批判が存在することを認められず、聞く耳を持たない指導者の姿が浮かび上がり、不安を禁じ得ない。政治指導者のケンカ上手も、実はケンカの相手が有権者、国民であったということでは冗談にはならない。
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高安 健将(たかやす けんすけ)
成蹊大学法学部教授。専門は比較政治学・政治過程論。Ph.D. (Government) University of London.著書に、『首相の権力―日英比較からみる政権党とのダイナミズム』(創文社)など。
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