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苦い。哀(かな)しい。突き刺さる。戦後70年目前。古処(こどころ)誠二の『中尉』を読まずに何を読む。
舞台は敗戦前後のビルマ(ミャンマー)。主人公は日本陸軍の軍医中尉。「ロンジーをはいて町中を歩いていればそれこそビルマ人と見分けがつくまい」。竹山道雄の『ビルマの竪琴』を思い出す。主人公の水島上等兵は「ルーンジという腰巻のようなものをすると、どう見ても生れながらのビルマ人でした」。
二人の行動も似る。上等兵は叫ぶ。「ビルマ全国に散乱している同胞の白骨を、そのままにしておくことはできません!」。中尉の励むのも「遺骨収容」。だが動機は違う。上等兵は自らの意思で敗戦後に。ヒューマニズムの発露だ。中尉は任務で敗戦前に。遺体が置き去りでは「軍の沽券(こけん)に関わる」。
そう、『中尉』は『ビルマの竪琴』の美しい物語をかたっぱしから転倒させる。『ビルマの竪琴』では隊長から兵までが音楽で一枚岩になる。「埴生(はにゅう)の宿」や「蛍の光」を愛唱。敵軍とさえ仲良しに。が、『中尉』は逆を行く。ビルマ人や日本兵が歌っても、空々しいばかり。同じ日本の軍隊の中でさえ心が通わない。タテ割りが過ぎるせいだ。
歩兵と衛生兵と補給掛。思想も言葉も違う。『中尉』はそれぞれのタコツボを緻密(ちみつ)に書き分ける。そのリアリズムが尋常でない。恐らく作家の履歴が生きている。自衛隊員だったのだ。とにかくタコツボが違えばバラバラだ。
そのうち、中尉に「遺骨収容」の無理が祟(たた)る。マラリアが悪化。記憶力は低下。動作も緩慢に。任務の成果も褒められず、ダメ軍人の烙印(らくいん)を押される。「おーい、水島。一しょに日本にかえろう!」とは言われない。やがてビルマ人の武装強盗団に拉致され行方不明。消えておしまい。
空しすぎる。しかも単なる昔話と読めないところが怖い。タテ割り。視野狭窄(きょうさく)。自己正当化。タコツボの中の意見しか聞かず。過ちには頬被(ほおかぶ)り。戦後70年のこの国が見える。「8・15」のあと日本人は何か変われたのか。
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金原ひとみの「持たざる者」は「3・11」のあと、今度こそ変わりたくなった日本人の物語と読める。オムニバス形式。主人公も複数。まずクリエーターの男性が登場する。「3・11」を境に心が壊れてゆく。売れっ子から持たざる者へ。たちまち転落。この国の自信喪失を象徴する。
男が駄目なら女の出番。中でもエリナが期待を持たせる。シングル・マザー。「3・11」の原発事故の衝撃から子連れでロンドンに脱出。祖国への帰属意識を持たざる者とか。タコツボはもうイヤとか。そういう新しい意識を発展させそう。変われる日本人の真打ち登場か。「3・11」は日本の小説にもクンデラのような亡命者文学を可能とするのか。が、肩透かしを食う。エリナは軽すぎる。しかもおのれの存在の軽さを耐えられないとも思っていないらしい。日本とフェイスブックで和(なご)んだり。そういう甘さが絶望を掘り下げない。
そのあとに衝撃的な終篇(しゅうへん)が来る。主人公は朱里。彼女は嫁と姑(しゅうとめ)のホーム・ドラマを繰り広げる。橋田壽賀子風の。朱里は夫の親との二世帯住宅で暮らす。他家に嫁入りした持たざる女。夫の家というタコツボに足場を築こうと孤軍奮闘。震災、原発、どこ吹く風。二世帯住宅で生き抜く方が重要。エリナよりも朱里なのか。「3・11」でも日本人は変われない。これはもう絶望宣言だ。
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舞城(まいじょう)王太郎の「淵(ふち)の王」は一種のホラー小説。構造が独特。小説を読むというよりパソコン・ゲームをしているような。話者の設定が不可思議なせいだ。一人称で綴(つづ)られる。しかし、その「私」や「俺」は物語の世界とは別次元に居るらしい。外側からもどかしく物語を眺める。特定の登場人物をアイドルにする。思い入れる。愛しさえする。
筋書きにはジャパニーズ・ホラーの意匠が総動員される。犬神信仰や不気味な子供など。細部は複雑怪奇。しかし全体を律する世界観は極めて単純。正と邪。善と悪。光と闇。明快な二元論的対立。ゾロアスター教もびっくり。
ともかく邪念が善なる登場人物に襲いかかる。時に命が失われる。そのとき物語の外の「私」や「俺」は怒る。邪念に向かい叫ぶ。「最後にお前を食うのは、俺だ!」
なんなんだ、これは! ホラー・ゲームに没頭する。架空のキャラクターに心情移入する。虚構と現実の区別がつかなくなる。興奮する。「私」や「俺」はゲーマーなのか。
「8・15」も「3・11」も難しい。現実世界がややこしくなればなるほど、人は単純な物語に逃避したくなる。そこに現れるのがゲーム的世界。簡単な価値観で通る。憎むべき悪をたやすく見出だせる。がんばって打ち負かして歓喜する。呪文のようなワン・フレーズで万事解決と信ずる。ゲームに限らない。今の日本の政治や社会がそうなっている。「淵の王」はそんな日本の戯画として秀逸だ。
タコツボにもゲーム的世界観にもはまりたくありません。大晦日(おおみそか)の願かけです。
(評論家)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11531825.html
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