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15年は関連法が国会で審議・具体化される年
外国で戦争できる国になる?「集団的自衛権」再考
2014年は、日本の安全保障政策が大きく舵を切った年として、記憶されるだろう。14年7月1日、安倍政権が「集団的自衛権行使の容認」を閣議決定したからだ。来る15年は国会でそれを実行するために必要な関連法が審議される。そこで、14年の日本の政治的決定の中で、最大のテーマの一つとなった集団的自衛権の論点を振り返ってみよう。(ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎)
そもそも「集団的自衛権」とは何だろうか。簡単に言うと自衛権とは外国からの違法な武力攻撃に対して、反撃するために武力を行使する権利のことだ。さらに、自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権に分かれる。個別的自衛権はほぼ自衛権と同じ。これに対して集団的自衛権は、自国は武力攻撃を受けていないが、他国が武力攻撃を受けた場合に、これに反撃するために武力を行使する権利である。
個別的自衛権と集団的自衛権の違いは、前者が自国への攻撃に対する反撃であるのに対して、後者は他国への攻撃を自国への攻撃とみなして、反撃するという点にある。個別的であれ、集団的であれ、自衛権は国際的に認められた権利だが、集団的自衛権は自国ではない他国への攻撃という点がポイントだ。
解釈改憲は許されるか
集団的自衛権を巡る議論が複雑に感じられるのは、それを認めるに際して憲法解釈の変更だけでよいのかという政策変更に伴う手続き論、日本の安全保障にとって集団的自衛権の行使が必要なのかという環境認識が、絡み合って議論されているためだ。集団的自衛権に関する安倍内閣の閣議決定以前の政府の公式見解は、一言で言えば、「権利は保有しているが、行使はできない」だった。それまでは、憲法第9条のもとでは、そう解釈されていたのである。
DOLでは「シリーズ・日本のアジェンダ」で、集団的自衛権行使容認の是非について、集中連載を行った。集団的自衛権の論点を編集部が整理したのが『あー、複雑!いったい何が問題なのか 「集団的自衛権」問題の論点を整理する』。日本国憲法との関係で論じたのが、元内閣法制局長で弁護士の阪田雅裕氏による『憲法解釈の変更による行使容認に反対 行使が不可欠なら憲法改正こそが王道』だ。阪田氏は「憲法を守るべき立場にある政府が、自ら60年にもわたって言い続け、国民にも共有されている憲法の解釈を、一内閣の政治的な判断によって変更することが認められるとすれば、いったい憲法は何のためにあるのかということになります」と、解釈改憲を手厳しく批判する。
元自衛官でジャーナリストの江口晋太朗氏も民主主義における参加のプロセスの観点から、憲法解釈の変更による行使容認に反対している(『問われているのは日本のプリンシプル 民主主義のプロセス軽視の行使容認に反対』)。
日本を巡る国際情勢に対する認識
日本を巡る安全保障環境の変化の中で、安倍首相が集団的自衛権の行使が必要なケースとして、朝鮮半島有事に際して、邦人を救出した米艦船の事例などを挙げて説明した。軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が連載「戦略目からウロコ」で、各事例の現実性と問題点を詳細に検討している(「安保法制懇の「4類型」「5事例」を徹底検証」、「迷走始めた『集団的自衛権行使容認』議論」、「安保法制懇が挙げる『グレーゾーン』は存在せず」)。政府が挙げる各事例では、個別的自衛権で対応可能なケース、憲法を変えないと無理筋のケースがあるうえ、行使内容の限定論に至っては、現在よりも後退することもあると指摘する。
首相の挙げた事例、日本を巡る安全保障環境に対する認識の問題点、こらからの戦争の変化を見通したうえで、日本の役割を包括的に論じたのが、国際政治・外交史の大家で前関西学院大学教授・豊下楢彦氏の『行使容認の閣議決定をどう見る 戦争の「備え」なき戦争へ』である。そもそも日本国憲法は戦争を前提にしておらず、土台のないところに急いで家を建てようとしているようなもの、とその危うさを指摘している。
日本総研国際戦略研究所理事長の田中均氏も連載「世界を見る眼」で、外交官として長く日本の安全保障問題に携わってきた経験を踏まえて、集団的自衛権問題を包括的に論じている(『まず集団的自衛権の行使容認ありきではあるまい 安全保障体制の強化のためになすべきことは?』)。
一方、政権与党の立場から、集団的自衛権について応えているのが、自民党・石破茂幹事長(当時)のインタビュー(『冷戦時代と安全保障環境は全く違う 解釈変更で行使可能となる理由を語ろう』)。安全保障環境の変化に対する認識、集団的自衛権の必要性、なぜ憲法解釈の変更でよいのかについて、余すところなく語っている。
視点を変えて、国際政治やアメリカでは、日本の集団自衛権問題がどのように捉えられているかについて、元航空自衛隊空将で米ハーバード大学シニアフェロー小野田治氏と、国際コラムニストの加藤嘉一氏が語り合っている(『「パワーシフト」のなかで激変する日本の安全保障 集団的自衛権は平和と安定のための一つのツール』)。対談後編(『安保政策のなかで誇張される集団的自衛権 冷ややかで警戒感を帯びる米国の視線』)では小野田氏が「国際社会における日本の政治的な立場に対して、日本人の頭からすっぽりと抜けていると思います。だからこそ、国際的にどのような国を目指していくのか、というビックピクチャーやゴール、ビジョンを語っても、ほとんど理解されないし議論が深まっていかない」と指摘しているが、まさに日本の政治と日本国民の特徴をよく言い表している。
政府は自衛の措置としての武力行使の新三要件として――(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと――を挙げている。(1)によって、集団的自衛権の行使が可能となった。
ただ、より具体的な条件は法整備にゆだねられる。平和国家日本のあり様を大きく変えるかもれない、集団的自衛権について、冬休みの間にしばし考えを巡らせてはいかがだろうか。最後に、小野田・加藤対談で語られた加藤氏の言葉を読者のみなさんにお送りしたい。「国際社会で日本はどのような国として生きていくのかというビジョンと戦略の問題を政府だけでなく、民間レベル、そして若い人たちもこれまで以上に真剣に考え、行動を起こしていかないといけません。集団的自衛権のみをひとり歩きさせてはならない」。
http://diamond.jp/articles/-/64439
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