http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/289.html
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「私は「韓国からの留学生を一本釣りしろ」という「指令」を、ある専従活動家から受けた。「この事業(サオプ)は、他言してはならない」と、釘も刺された。私の予想通りであったが、馬鹿馬鹿しいことこの上なかったのは、私の友人も同じ日に「指令」を受けていて、「しまった、これは言ってはいけなかったんだ…」と私の前で口ごもったことである。
金日成主義者どもが、何をしようとしていたか、推して知れた。その後、大学院に進学が決まった私に、「科学者協会」の専従が接触してきて、「自分は統一革命党員だ。韓国の民主化闘争にトンムは直接参加すべきだ」ときた。この男、漢字はわからないが「キム・ウォンジョ」と私に名乗った(風評によると90年代に死亡したそうだ)。「それは革命の輪出だ、もっとはっきり言ったらスパイを送り込むということじやないか」と私が反論すると、キムは「ゆっくり論争しよう」と笑顔で応え、その後も何回か接触してきた。その間も「関西大学大学院に二人の韓国人留学生がいる。友達になっておいてくれ」と私に言うことを彼は忘れなかったのだが……」(パギやんこと趙博)
新聞記者、テレビ、政治家、官僚、学者、酪農家、商社マン、原子力技術者・・・・
青山繁晴さんによると日本国内にいる北朝鮮工作員は2万人。多くは定年まで会社勤めや主婦で終わるという。
お隣韓国でも北朝鮮は同様の工作をしていますが、韓国では野党議員が防衛機密を盗み出そうとして逮捕された。
反オスプレイ、反秘密保護法、反原発・・・
大阪、京都・滋賀、北九州、沖縄、北海道・・・
何故、「特定地域」でこんなにも反政権運動が起きるか、理由が分かった気がします。
★『インパクション』 No.137 (2003.8.30) 特集「北朝鮮」異論
【私の「金日成主義」体験】 by 趙 博
http://fanto.org/archive/chimata/chimata5.htm
1970年に崩壊した神戸外大学生自治会は、旧規約に基づく学生大会の成立を経て、77年夏に正式に再建された。当時、全学代議員会議長であった私は、そして「在日朝鮮人」という社会的歴史的立場を明らかにできず、「革命的警戒心」なる大義名分に隠れて日本名で自治会活動と学生運動に没頭していた私は、己の民族的立場に悩み、その自覚を模索していた。
78年、自ら進んで「在日朝鮮留学生同盟」の門を叩いたのだが、朝鮮総連や朝鮮労働党がいかにマルクス・レーニン主義の原則から逸脱しているかは諸文献を通じて理解していたし、主体思想(チュチェ・ササン)なるペテンと金日成主義という「左翼小児病」の権化には警戒してもしすぎることはない──と自分に言い間かせた上での加盟であった。若く傲慢な私は、今度は「共産主義者」という自分の思想的立場を明らかにしないで、留学同の盟員となった。大学内で「朝鮮文化研究会」を作って、さっそく同胞学生の結集を図った。神戸大、関学、神戸学院大など、留学同拠点大学の同努(トンム)たちの友情と支援に支えられて、私は朝鮮語や歴史、南北分断の現実や日本での民族差別の実態など、懸命に学習した。見る物聞く物、すべてが新鮮で感動的だった。なによりも「朝鮮人」であることを誇る先輩トンムの堂々とした姿や、女性トンム達の屈託のない笑顔と会話、溌刺とした文化活動、朝鮮大学校での熱気溢れる全国合宿等、私は「民族」に触れ、蒙を啓かれた。自分が否定的にしか捉えてなかった「朝鮮」が目の前で光り輝き、祖父母や父母の「生」の根幹に触れる思いを何度しただろうか。日本社会の同化と排に素晴らしい文化と組織を守り発展させてきたのだ!──幾度となく感涙に咽ぴ、そのたぴに、朝鮮から迷げていた己の浅はかさを思い知らされた。
我が青春の「留学同」は、しかし、「偉大な首領様」を賛美し、「祖同統一」の悲願達成のための「民主基地」と社会主義を守り、朝鮮革命の闘士を育てる役割も担っていた。私たちは、己の民族的主体性の確立が革命の主体になる、マルクス主義唯物論は革命における人間の役割を明らかにできなかった、主体思想は人類史最高の哲学であり民衆解放の思想である、と教えられた。一にも二にも「主体性」の確立だ、真理の基準は実践にある……デューイやジェームスも驚く「プラグマティズム」、はたまた、池田大作ですら恐れおののいたであろう「人間革命」が私の眼前で語られ、段々と心酔していくトンム達の姿があった。
「理論学習」だけではない、「批判事業(ピパン・サオプ)」も頻繁に行われた。「○○は同志愛に欠ける」「XXは資本主義的発想が抜け切れてない」「△△は忠誠心が足らない」皆の前で批判されたトンムは、その批判を謙虚に受け止め、反論することなく沈思黙考して自己総括の糧とするのだ。私に対する、ある「批判」を今も鮮明に覚えている。「トンムはよく勉強しているが、埋論と実践がかみ合ってない。つまり思想となってない。ジーパンをはいて朝鮮革命ができると思っているのか!」
革命ごっこが個人の意識やサークルの部室だけでの話なら、まだ無邪気なものだっただろう。私は「韓国からの留学生を一本釣りしろ」という「指令」を、ある専従活動家から受けた。「この事業(サオプ)は、他言してはならない」と、釘も刺された。私の予想通りであったが、馬鹿馬鹿しいことこの上なかったのは、私の友人も同じ日に「指令」を受けていて、「しまった、これは言ってはいけなかったんだ…」と私の前で口ごもったことである。金日成主義者どもが、何をしようとしていたか、推して知れた。その後、大学院に進学が決まった私に、「科学者協会」の専従が接触してきて、「自分は統一革命党員だ。韓国の民主化闘争にトンムは直接参加すべきだ」ときた。この男、漢字はわからないが「キム・ウォンジョ」と私に名乗った(風評によると90年代に死亡したそうだ)。「それは革命の輪出だ、もっとはっきり言ったらスパイを送り込むということじやないか」と私が反論すると、キムは「ゆっくり論争しよう」と笑顔で応え、その後も何回か接触してきた。その間も「関西大学大学院に二人の韓国人留学生がいる。友達になっておいてくれ」と私に言うことを彼は忘れなかったのだが……。
彼は、ほんとうに誠実だった。誠実に「革命」のための任務を遂行しようとしていたのだと思う。キムの名誉のために、そのことだけは付言しておきたい。しかし、三ヶ月ほど経った頃、私の様々な「反論」をあしらいかねたのか、キムは「平壌から正式にトンムに招聘があった。革命の聖地で、しっかり勉強してはどうか」と切り出した。「あんたらは、そうやって何人の人問の人生を狂わせたのだ、ふざけるな、お前が行けよ!」と私が語気を荒げると、周囲の人目も憚らずキムは朝鮮語で「この道17年、私には誇りがあるのだ!若造が一人前の口をきくな」と怒鳴った。
「ああ、このおっさん、工作員失格やなあ」……私は哀れに思うしかなかったのだ。韓国籍者と帰化者への同等のオルグは、かなりなされていたようだ。この文章を書きつつも、「市民生活」から消えていった数名のトンムの顔が思い浮かんで、憤懣のやり場がない。
北朝鮮バッシングは、今に始まったことではない。しかし、今回の拉致騒動以降の百家争鳴のなかで私が齟齬を感じるのは、「朝鮮草命」を標榜した金日成主義への思想的批判が一切ないことである。キミタチ朝鮮の共産主義者は、いったい何をしているのだ? 日本のマスコミや、「日本人の拉致被害」という絶対正義を入手した好戦勢力が金正日打倒を言うのは、当然じやないか。「反北朝鮮勢力」や「民族差別主義者」が増加したのか?違うだろう。今まで隠れていた奴ら(キミタチの好きな反革命分子や修正主義者だよ)が大手を振っているだけじやないか。間題はそんな奴らが「反共和国」を振りかざしていることではないのだ。事実は単純だ。「主体」の側からの総括、つまり責任ある批判のなさにつけ込まれているだけなのだ。
革命の主体ではない私は、頭を低くして敵の弾に当たらないように警戒しつつ、断固生き抜くだけである。殺されてたまるか!!
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★http://www.ryuhaktong.org/notice/tokto.html
≪日本の「独島領有権」主張に反対する≫
在日朝鮮留学生同盟 中央常任委員会声明
在日朝鮮留学生同盟は、民族的良心と普遍的正義を大切に考える在日同胞学生たちの気持ちを代弁し、最近の島根県による「竹島の日」条例制定をはじめ 日本の「独島領有権」主張を、日本の歴史修正・歪曲の動きである同時に、軍国主義化のもう一つの厳重な動きと認識し、これに断然反対、糾弾する。
さる3月16日に島根県が制定した「竹島の日」条例と日本の「独島領有権」主張は、歴史的に見ても国際法的に見ても、日本の朝鮮に対する根拠ない卑劣な 主権侵犯行為である。歴史的に考察すれば、「三国史記・新羅本記」,「高麗史」,「世宗実録・地理誌」,「新増東国與地勝覧」などの歴史文献を通じて見ても、 朝鮮が鬱陵島とともに独島を実効支配して来たし、独島が朝鮮の主権下にあったということはあまりにも明白だ。また1876年日本の「太政官決定」と、 当時太政大臣代理であった岩倉具視の作成した「鬱陵島とその外のある島(=竹島)は、本邦(=日本)と関係の無いものだと理解している」という指令文などの 日本側資料を見ても、最近の日本の「独島領有権」主張には根拠が無いということを証明している・・・・
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★http://www.kokuminrengo.net/old/2005/200507-news.htm
東京で吉元政矩氏講演会
米軍再編とアジアの共生
元沖縄県副知事の「吉元政矩氏講演会」が五月二十七日、東京・全水道会館で槙枝元文氏をはじめ九人の呼びかけで行われ、約百人が参加しました。
講演に先立ち、呼びかけ人を代表して、元日教組副委員長の西澤清氏が開会の挨拶を行いました。西澤氏は日本の学校教育が如何に近現代史を教えていないか、ということを自らの体験を踏まえて指摘しました。
吉元氏から「米軍再編とアジアの共生」と題する講演を受けました。
会場からも中国留学生、在日朝鮮留学生同盟など若い世代の発言、呼びかけ人でもある横田基地飛行差し止め訴訟団の福本道夫氏から、横田基地の今後についてのなどの質問があり、大変盛り上がった講演会となりました。(国民連合・東京事務局)
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★日朝協会「京都府連合会」です。
「3・20 沖縄・安保問題」学習講演会の成功へご協力のお願い
http://blog.goo.ne.jp/niccho_kyoto/e/6c7199b4fae2b4cb3ac1dcdf55cdaa17
さて、すでに、京都安保ニュースでお知らせしていますが、3月20日、「沖縄・安保問題学習講演会」を開催します。この講演会の成功と、オスプレイ本土演習反対への緊急のとりくみをよびかけます。みなさんのご協力をお願いします。
Xバンドレーダー基地は、すでに、青森県つがる市に配備されています。なんとしても「米軍基地は許さない」という大きな世論を巻き起こすことが今求められています。
京都での運動の出発点として位置づけられる「3・20学習講演会」の成功へ皆さんの大きなご協力をお願いいたします。
「えっ!京都に米軍基地?」講演会案内チラシができました。各団体に一定部数届けます。参加案内に活用してください。
オスプレイ配備撤回・本土演習反対の大運動をオスプレイ岩国移動から本土演習の計画が報じられています。安保破棄中央実行委員会は、緊急の声明を発表するとともに、一斉に首相と防衛大臣への抗議行動をよびかけています。
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★立命館大学に複数の失踪者 教職員が関与か?★
http://www.logsoku.com/r/asia/1076568538/
1 : 日出づる処の名無し[sage] 投稿日:04/02/12 15:48 ID:kTsa92QM [1/1回]
同じ学校から複数の失踪者
http://www.worldtimes.co.jp/w/japan/news/030926-100602.html
立命館大など、教職員が関与か−失踪調査会が見解示す
北朝鮮に拉致された可能性のある失踪者を調査している特定失踪調査会(荒木和博代表)は二十五日、
東京都港区の友愛会館で会見し、拉致問題に関する見解を発表した。
見解は、日朝首脳会談から一年が経過したのを機にまとめたもので、失踪者に共通する特徴などにも言及している。
会見の中で荒木代表は「邦人以外に、在日韓国人、在日朝鮮人が、帰国事業としてではなく、
拉致されている可能性がある」と指摘。「拉致問題解決には、国が国民奪還の意志を明確に示し、
(経済制裁などを)実行することが不可欠。拉致被害者の救出の責任は、政治家や官僚だけでなく、
私たち国民すべてにある」との見解を示した。
調査会は一月の設立後、これまでに不明者約三百七十人について調査を進めてきた。
会見では、今年七月三十日に公表した失踪者百五十人について、
うち二十人(九組)が同じ小、中または高校の卒業生だったことを明らかにした。
また、立命館大学の経済学部、経営学部出身者が数人失踪していること、
五年、十年の周期で失踪していることなども分かった。
調査会関係者は「教職員組合がなんらかの形で関与していたのではないか」と話した。
・・・
13 : 日出づる処の名無し[sage] 投稿日:04/02/12 17:42 ID:xwrIHDDe [2/2回]
徐勝(日本名福田勝)は、一九六七年四月、在日工作員ソ・ヘウンの誘いと保証のもとに朝鮮労働党候補党員として入党し、 「社会学の教理」などの思想哲学書を貧り読む。一九六七年八月〜九月七日、非合法で北朝鮮に渡り映画鑑賞、平壌、平安南通、黄海道などを見学、その後思想教育を受け「韓国に長期潜入し革命事業実現のため韓国の政治、経済、社会、 文化、軍事、など各部分の詳細な情報を収集する」指令を受けた。一九六八年四月、母国留学生に偽装して韓国に潜入し、 一九六八年七月まで韓国の国会議員(金某)の家を拠点として情報を収集しながらソウル大学を中心として地下組織を組織し
活動を展開。大学の休校中日本に帰り、収集した情報を報告。一九七〇年八月三日〜九月八日、実弟ソ・ジュンシギを同伴し 再び北朝鮮に渡り、平壌市内のモランボン招待所で毎日二時間の思想教育を受け、一九七〇年十月、韓国に潜入。
任務遂行中の一九七一年四月に検挙。
http://www.infovlad.net/underground/asia/nkorea/ref/covertactions.html
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★呉清達をめぐる疑惑
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=86&Itemid=26
1975年、学院浸透在日同胞留学生スパイ集団事件の「在日北傀工作拠点責任者」呉清達氏は現在、日本の大阪経済法科大学副学長であり、国際高麗学会の常任顧問である。
韓国精神文化研究院(院 長・張乙炳)が、その呉清達氏の入国を推進している。精文研は7月18〜20日、三日間の予定で第1回世界韓国学学術大会を準備している。呉清達氏が常任 顧問である国際高麗学会は今回の学術大会の共同主催者のうちのひとつで、彼が副学長を勤める大阪経済法科大学付設アジア研究所は、今回の学術大会の協賛者 のひとつである。このため呉清達氏は、今回の世界韓国学学術大会の海外諮問委員として委嘱された。
1975年11月 22日、当時の中央情報部は在日同胞母国留学生を装った学院浸透スパイ集団21人を摘発した、と発表した。この発表によれば、「在日北傀工作拠点責任者」 呉清達(当時34歳・大阪市の啓成学院院長)は、日本の大阪で在日スパイ金貴雄・安日秀・白玉光などと北傀労働党党細胞である「金日成主義研究会」を組織 し、在日同胞を抱き込みスパイ教育を行い、留学生の身分で韓国内に浸透させたとされている。彼ら在日同胞留学生スパイは、韓国国内の情報収集。学院内にお ける反政府組織の構築、および学院の騒擾煽動、軍将校の抱き込みなどを企て検挙された。
この事件の主犯である白玉光に対するソウル刑事地方法院の判決文を中心として、呉清達の行跡を再構成してみる。
在 日同胞、白玉光(1948年出生)は大阪大学在学中、在日北傀工作員の金貴雄に抱き込まれた。白玉光は1968年から1975年のあいだ、数回にわたり北 朝鮮に入国し、密封教育を受けて労働党に入党した。民団系韓国青年同盟大阪支部・韓国大阪青年会議所などで活動した彼が呉清達と関係を持つようになったの は、1973年10月〜1975年4月12日の「金日成主義研究会」活動を通じてのことだった。
1973年10月のある日(判決文には日時不明とされている)、白玉光は日本の三重県伊勢志摩にある賃貸別荘で「在日北傀工作指導員」呉清達(当時32歳)・金貴雄・金チャンスなどと会い「金日成主義研究会」を結成した。
金日成主義研究会の目的は1973年11月中旬、白玉光が僑胞青年であった金泰明に研究会への加入を勧誘しながら述べた言葉のなかによく現れている。これに よれば、「金日成主義研究会は、金日成の主体思想を指導理念とし、韓国の革命と祖国統一のために日本を拠点として韓国に革命組織を構築して、北傀儡支配の 下に祖国統一を成し遂げる」ことを目的として組織された団体だ。
この金日成主義研究会の委員長が、まさに当時、大阪大学大学院工学部博士課程に在学中だった呉清達であった。金貴雄は副委員長、金チャンスは総務部長、白玉光は連絡部長を担当した。
この日の集会で参席者たちは、研究会の事業方向は研究会全員が討議決定し、具体的な事項は委員長である呉清達と個別的な討論を経て施行するようにした。役員各自は1年以内に、在日同胞青年学生の中から核心を選抜、指導育成して韓国に派遣するようにした。
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★『ウリハッキョ』上映会in京都・滋賀
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071026/p2
11月から12月にかけて、関西(京都・滋賀)の各大学でも、日本人と在日朝鮮人の学生を中心にしたメンバーによる上映会が行われることになりました。
学生だけでなく、一般の方も入場できるとのことですので、是非ご覧ください。
以下、MLから転載します。
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映 画 「 ウ リ ハ ッ キ ョ 」
〜 上映会 〜
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
韓国から来た映画監督キム・ミョンジュンが、「北海道朝鮮初中高級学校」を舞台に3年の撮影と
1年6ヶ月の編集を経て完成させた作品。(2006釜山国際映画祭 雲波賞受賞)
「朝鮮人が朝鮮学校に通う」という平凡な真実を勇敢に実践する姿を描いたドキュメンタリー映画。
★twitter+留学同
https://twitter.com/search?q=%E7%95%99%E5%AD%A6%E5%90%8C&src=typd
<参考リンク>
◆毎日新聞に関西テレビも?日本を攻撃する在日、同和、メディアの驚愕の反政権のネットワーク!?
http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/168.html
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