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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42564
「社会、経済、そして現代的生活のインフラストラクチャーのより一層の統合が引き起こした、国境を越える体系的なリスクに世界はさらされている」
こう警告を発しているのはオクスフォード大学マーテイン・スクール学部長のイアン・ゴールデイン氏である(「グローバリゼーションの脅威に目を向けよ」東洋経済オンライン)。
確かに様々な脅威が国境上にあふれ出してきている。統合された金融システムが経済危機を繁殖させ、飛行機の国際便は疫病を拡散させる。相互接続されたコンピュータは、サイバー犯罪者たちにとって格好の活躍の場と化しているし、中東のイスラム国はインターネットを利用して世界中の若者を募集している。
グローバリゼーションはここ数十年間、世界全体で未曾有の規模の富を作り出した。しかし国民国家という枠組みを超えるこれらのリスクが、今後巨大な悪影響をもたらす可能性がある。
各国政府の協力がはかばかしくない状況を尻目に、世界の有権者の間でグローバリゼーションに対する懸念がかつてなく高まり、保護主義など市場への一層の国家管理を提唱する政党(極右及び極左)の支持が急拡大している。
このような状況に対しゴールテイン氏は「短絡的な政治的ご都合主義を克服しなくてはならない。さもなければ、全世界が後悔する日が訪れるであろう」としている。グローバリゼーションが与える政治への負のインパクトに対処するのは万国共通の課題である。
「戦後型家族」からこぼれ落ちる人が増えている
日本の政治に目を転じると、12月14日に行われた衆議院総選挙で、自民・公明両党が326議席を獲得し勝利したが、「熱狂なき選挙であり、熱狂なき圧勝(小泉進次郎衆議院議員)」と評されるように、投票率は52.7%と戦後最低を更新してしまった。
その理由について作家の冷泉彰彦氏は、「政権交代の可能な二大政党制が崩壊している中での小選挙区制への不信任という理解が正しい」としている。低投票率は、民主主義への不信感がエスカレートしていることの表れだったわけではない。
注目すべきは「自民党より右」を掲げて選挙戦を戦った次世代の党が、改選前の19議席から2議席になるという壊滅的敗北を喫したことだ。
「男女とも30歳ぐらいまでに結婚して、正規雇用者である夫が家計を担い、妻が家事・育児の責任を持ち、老後に配偶者か子に看取られて亡くなる」という「戦後型家族」(山田昌弘中央大学教授)からこぼれ落ちる人々が増加している。そんな状況のなかで、若者の政治傾向に詳しい評論家の古谷経衡氏は、「『自民党より右』を否定した有権者が望むのは、弱者にやさしい穏健で微温的な、常識的な感覚の『保守』の確立ではないか」と分析する。
合併につぐ合併で「地域共同体」機能が低下
家族のシェルター機能が劣化し続ける中にあって、「大きな家」とも言える地域共同体の機能低下も著しい。
明治維新から約20年後に市制・町村制が施行されて以降、日本では市町村の数は一貫して減少している。
「明治の大合併」(1888〜1889年にかけて市町村数が7万1314から1万5859に減少)、「昭和の大合併」(1956〜1961年にかけて市町村数が9868から3472に減少)を経て、「平成の大合併」(1999〜2010年)では全国の市町村の数は3234から1727にまで減少し、1市町村当たりの人口数は欧米諸国中イギリスに次いで多くなってしまった(7万人超)。1市町村の平均面積も2倍となり、地縁共同体だった市町村は巨大な行政システムの一部に埋没してしまった感が強い。
東日本大震災の被災地では「自治体の合併が震災直後の体制づくりや復興へのプロセスの足を引っ張っている」との声が多く聞かれる。専門家の間でも「巨大化した市町村システムの下、住民が広域巨大災害に巻き込まれる可能性が飛躍的に上昇している」との懸念が高まっている。
戦後の日本では「市町村の規模の拡大は格上げ」と受け止められ、効率性の観点からの議論が中心であった。自治がもたらす恩恵がほとんど顧みられることがなく、地域の側も自治の意識が弱かったと言っても過言ではないが、ここに落とし穴はあるのではないか。
アメリカの地方自治に気づきを得たトクヴィル
「自治の習慣を完全に放棄した人々が、彼らを指導すべき人物を正しく選ぶのに成功し得るとは考えにくい」
これは「アメリカの民主政治」で著名なフランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(1805〜1859年)の警句である。彼は革命直前に断行された行政的中央集権化という大改革が血みどろのフランス革命を招く直接の原因になったと捉えていた。
トクヴィルはアメリカを訪問した際に、ニューイングランドのタウンシップを目のあたりにして、「市民が自らの行政官をすべて任命し、自らに課税し、自らに税金を割り当てて徴収する」という生きた地方自治のあり方の重要性を痛感した。
そして地域の活動に直接参加するという経験から、市民の間に公益に対する責任感(=理性的愛国心:公徳の精神ではなく利益に基づく、私益と公益との調和を目指す公共精神)が生まれる様を見て、地方自治のメリットは行政面ばかりでなく政治面でも表れることを喝破した。
それを踏まえて「市民に公共福利への関心を持たせ、相互に協力させるためには、地域の小事の管理運営を負わせることがはるかに大事である」として「政治面では中央集権が必要だが、行政面では分権化を進めるべきだ」と強く主張した。
トクヴィルのアメリカ訪問から180年後に当たる現在のフランスでは、1市町村(コミューン)当たりの人口数は約1600人と欧米諸国の中でもっとも少なくなっている。フランスでは地方税の6割が基礎自治体レベル(コミューン+広域共同体)に充当され、その税率が毎年市町村で決定される。そのため、国政選挙より地方(コミューン)選挙の投票率が高い。
コミューン内では村長や議会が基本方針を決定するが、実行するのは住民自身である(地方議員も積極的に行政参加している)。課題ごとに複数のNPOが組織され、60歳代が中心的な役割を演じている。
このような状況に憧れた人が1980年代以降に次々に都市から農村に移動し、農村部の小規模なコミューンでは住民の3分の2が都市からの移住者というケースが少なくないという。
自治の意識が薄れた戦後の日本
「政治制度はその国の習俗に根ざしたものにすべきである」とするトクヴィルだが、意外なことに日本でもアメリカと同様の自治が戦前まで行われていた。
幕府のお膝元である江戸では町年寄や町名主らが「町法」という規則を定め、住民から町入用(現在の地方税に相当、全体で年間15万5000両と大大名並みの予算規模だった)を徴収して、道路の補修や治安・防災面、さらには司法機能などの自治を行っていた。このため約100万人という人口を擁しながら、江戸の町政は300人前後の役人で運営されていた。
農村部でも鎮守の森の下、治安から軍事に至る村のあらゆる問題を決定するため徹底した話し合い(寄り合い)を行い、これに基づいて自治を行っていた。
明治維新後も政府は地方行政に干渉する余裕がなかったために、しばらくの間、江戸時代の自治が存続していた。西郷や大久保、さらには山縣などの明治政府の要人たちは、むしろ江戸時代の自治のあり方を高く評価していた。
征韓論で下野した西郷隆盛は、藩内を多数の郷邑(きょうゆう)に分け、自らが設立した私学校の生徒たちに幅広い行政分野を任せるという「重郷主義」を貫いていた。
山縣有朋も「市町村議会こそ立憲主義の学校」として江戸の自治を踏まえた国家像を描いていたが、国防強化の要請の高まりから、その初心を貫徹することができなかった。
しかし、昭和に入っても地方自治体の職員の7割が無給(名誉職)であったように、自治の伝統は生きていた。
戦後の日本国憲法で「地方自治」が明記されたが、戦時体制化の意識が続いたために自治の意識は薄れるばかりで、最近では国民は「行政サービスの受け手」という側面のみが強調されるようになった。現在の日本人は「漠然とした不安」に苛まれていると指摘されることが多いが、この依存体質が不安心理をかき立てているのではないだろうか。
日本各地のコミュニティづくりの試み
一人ひとりの国民が支えることによって国家は成り立っているということは自明である。だが、国民が国家を支えるに当たっては、一定規模の集団に属する必要がある。
地域社会を住民が自らの力で担う仕組みを構築するには、欧米の事情をかんがみ、数千人程度の住民数が適当だろう。しかし現在の市町村はその適正規模をはるかに超えてしまった。そこでいま必要なのは、市町村を細分化した「コミュニテイ」の単位を構築することである。
その際は、1970年に自治省(現・総務省)が定めた「コミュニテイに関する対策要綱」が参考になる。同要綱では、その地区の設定を「小学校の通学区域や町内会の範囲など」としている。
小学校の数は現在約2万強、1校区当たりの住民数は約6000人である。広島県三次市河地区等のように「小学校を中心とする地域コミュニテイ」づくりに励んでいるところも少なくない(文部科学省の規制緩和措置等により小学校の統廃合が最近加速している点は気にかかる)。
自治会(町内会)は現在約30万弱あり、親睦機能を中心に活動している。役員の高齢男性化が進み、加入率も減少傾向にあるが、活発な活動を行っているところも少なくない。
東京都立川市の大山自治会の住民は3200人(高齢化率は30%超)で、その加入率は100%である。自治会長の佐藤良子氏の在任期間は15年を超えるが、世代ごとに役員を推薦制で選ぶ仕組みを構築するなど数々の画期的な取り組みを行っている。特にユニークなのは、地域のために自らの力を発揮して創造的に生きる大人を「創年」と称して高齢者の積極的な参加を促していることである。
限界集落の意外な真実
「増田レポート」(『地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減』、増田寛也著)の発表を契機により「地方が消滅する」との悲観論が広まっているが、山下祐介・首都大学東京准教授らが指摘するように「高齢化の進行による集落消滅は起きていなし、限界集落ほど災害後の地域の運営は上手になされている。少しずつではあるが若者の地方移住が進んでいる」
頑張っている地方の人々の「誇り」が空洞化する事態は避けなければならないし、自治の観点からは、むしろ地方にこそ可能性があることを私たちはよく認識すべきである。
「日本人は一人ひとりは弱いかもしれないが、顔見知り集団に忠節を尽くす時に最大のパワーを発揮する」と言われている。今こそ戦前の自治に思いを馳せつつコミュニテイの再生を図り、グローバリゼーションの脅威に対抗できる政治の土台を再構築しようではないか。
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