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未来展望から 海洋覇権と大陸覇権が対立する21世紀(3)(世相を斬る あいば達也)
http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/225.html
投稿者 笑坊 日時 2014 年 12 月 29 日 15:48:24: EaaOcpw/cGfrA
 

http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/087384136f229260b17233821e8c7509
2014年12月29日

 このような見出しを書くと、欧米的価値観に頭のテッペンからつま先まで、どっぷりと浸かった日本人の主流派な人々や、それに順応する人々から、あり得ない妄想なんか意味がないという非難が起きるのは当然なのだろう。明治維新以降、英米仏独など欧米先進諸国を見倣い、追いつき追い越せを目標に生きてきた日本であり、その国民なのだから、自然に身についた価値観だと思うのもよく判る。幕末から明治を含めて150年くらいの間日本が、その流れの中で奮戦努力したのは判る。間に第二次大戦を挟むわけだが、大きくは天皇の存在と、その官吏である中央官僚組織が為政を、時の政治家達になり代わり、執行していたと、哲学、社会学や歴史の概観として捉えることが出来る。

 無論、天皇の主権が絶大であった時代と象徴化された時代の別はあるが、天皇は存在し続けた。この存在は、飛鳥時代においても確認可能なのだから、日本の歴史的な特長だと捉えておくことは、非常に重要な他の国々との大きな差である。中央官僚組織が、天皇や、時の政府の要求に基づき、為政に必要な法律を作成し、天皇や政治家や政府の意図に関係なく、霞が関文学を散りばめることで、裁量行政と云う「見えないポリティックスパワー」を発揮しているのは、幕府、明治、昭和、平成においても、同質の隠れた支配力を持っている。

 原則論だが、裁判官など司法組織に属する人々も中央官僚組織の一部を成していると解釈しておいても、大きな見当違いに行きつくことはない。おそらく、一部の新聞人など除けば、多くのメディア企業、関係者も中央官僚組織の一部化していると言っても良いだろう。当然、中央官僚組織の裁量行政に相互扶助関係にある企業群も、その組織と同質化することが多いので、結果的にその行き先は中央官僚組織の一部構成員的要素を備えることになる。つまり、企業も、その体質にもよるが、行政官僚の差配ひとつで経営の方向性が決定するような大規模な製造業などでは、民間でありながら国家に近い民間でもある。

 “海洋覇権と大陸覇権”と云う見出しを出しておきながら、オマエは何を言い出すのか、と腹立つのもよく判るのだが、欧米列強に付き従う歴史が150年以上続くと、家族で考えると4世代から5世代の人々の営々とした記憶が残るわけである。特に、20世紀から21世紀にかけて生きている我々は、その記憶や記録、言い伝えられたこと、そして自分が経験してきたことなどが中心になって、物事を理解し実行する文化が当然のもののようになってしまう。江戸時代、まして飛鳥、平安、鎌倉、戦国時代に、自分たちの血脈がどうなっていて、江戸後期にはどうなっていたのか、そこまで遡れる家系は僅かなのだろうし、西洋文化よりも東洋文化の影響で、日本が国家観を育んできた文化伝統の記憶は無に等しくなっているであろうことを意識しておくべきだ。しかし、その東洋文化こそが、国家基盤の醸成に西洋文化以上に寄与した事実に背を向けてはいけない。

 仮に弥生後期に西暦が始まったとして、歴史の起点と考えれば、我々は2000年以上、日本と云う国のかたちの中で生きているのだから、欧米文化に浸っているのは150年程度に過ぎないわけだ。1850年分の日本の歴史は、どこに現在の日本人に残されているのか。いや、色んな形で生き残ってはいるだろう。魂のよりどころに、縄文人の話が出てくるように、自分たちが失ったものを思い出す時に、縄文人だとか武士の魂だとか、色んな市井の歴史観が顔を出す程度だ。

 しかし、幾ら現在に近いからといって、直近150年を近視眼に、如何にも「正義」である如く論ずるのは如何なものだろうかと云う感想があるのだが。どうも現代人を見ていると、欧米価値観が「普遍的絶対価値」として捉えがちなのだと思う。まさに目の前を動き回っている価値観なのだから、それを信じてどこが悪い!そういう反論も可能ではある(笑)。しかし、見えるものしか観ない、知っても生きる術にならないモノには心及ばない、という生き方こそが、「茹でガエル」を増産する道なのではないだろうか。戦後レジュームからの脱却などと云うのも、この近視眼から生まれた薄っぺらな歴史観に過ぎない。そして、これからも、天変地異でも起きない限り、2000年程度は最低でも日本は、何らかの形で存在し続けると考えて、世界の歴史的趨勢における国のかたちに思いが及ぶのも悪い事ではない。

 この際、このコラムにおいては、世界の覇権を帝国的なものと置き換えて考えることにする。帝国と考えれば、歴史的事実として、永遠の帝国なぞ、絶対にあり得ないと断言できる。つまり、ローマ帝国から、モンゴル帝国、オスマン帝国、スペイン、オランダ、英国等々緩やかな帝国主義時代は時の流れのように、消えては生まれ、生まれては消えた。世界は第一次大戦後、緩やかだった覇権国の世界への君臨が、第二次世界大戦を経て、英国から米国に移った。この英国までの帝国の世界への覇権と米国による覇権は、同じ言葉で表現されるが、異質な意味合いを持ち、世界を同一の価値観で統一したいという野心に満ち溢れた、絶対権力的色彩を強くするものになった。

 おそらく、人工国家である米国独特の誕生過程によるものだろうが、長い歴史や伝統文化を持たないコンプレックスが、実は強大な人為的システムを構築することに成功し、米国独特の帝国主義を完成させる為に、アメリカンデモクラシーなるものを作り上げ、米一国主義覇権の普遍的価値を、新たな世界のスタンダードにすることに、半ば成功した。しかし、帝国として世界に君臨している時間は、100年程度に過ぎないのだから、歴史的座標で眺めれば、一瞬の点である。このような視点で、現在のアメリカ合衆国を眺めておけば、彼らの世界支配が永遠で、アメリカの普遍的価値が永遠等と云う主張が戯言であることに、結論が至っても何ら不思議はない。

 つまり、米国一極主義帝国の存在が、今後永遠どころか、100年続く保証は、どこにもない。そういう意味で、これからの世界の趨勢が、どのように流れていくのだろうか、その辺を展望してゆくことが、地球規模に俯瞰することであり、今現在の状況云々に、多くの神経を費やすと、枝葉末節を見て、その木ぜんたいを見ず、まして森などに考えが及ぶこともない。そこで、拙コラムでは「海洋覇権と大陸覇権」と云うタイトルをつけて、大陸覇権ってのは、どこのことだ?と考えるのである。次回はBRICSを中心にユーラシア大陸について思いを馳せてみようと思う。


 

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