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田原総一朗:朝日の慰安婦報道検証から考えるメディアの責任
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141228-00000000-fukkou-bus_all
nikkei BPnet 12月28日(日)11時48分配信
朝日新聞社から、慰安婦報道を検証する第三者委員会(委員長・中込秀樹元名古屋高裁長官)の委員になってほしいと依頼があり、委員を務めた。第三者委員会は中込秀樹さんを委員長として7人で構成され、およそ3カ月かけて検証し、12月22日に報告書を公表した。
■結論ありきの過剰な「キャンペーン体質」
報告書ではいくつもの問題点を指摘しているが、朝日新聞の慰安婦報道について、これから述べる三つが特に重要な問題だと思われる。
一つは、「はじめに結論ありき」の過剰な「キャンペーン体質」があること。これは朝日新聞だけの問題ではなく、日本のメディア全般に言えることだろう。
たとえば原発再稼動や集団的自衛権行使、特定秘密保護法をめぐる問題でも、この「キャンペーン体質」は見られる。これらのテーマについて、朝日新聞や毎日新聞は反対し、読売新聞や産経新聞は賛成の立場だ。
原発再稼動についていえば、朝日新聞や毎日新聞は原発反対の立場から「ここが危ない」「ここが問題だ」と報道する。逆に読売新聞や産経新聞は、原発が稼働していないことを前提に「こんな問題がある」と書く。そして、それぞれ自分たちの主張に都合のよい部分だけを強調するといったことになりかねない。
■「エリート集団」であるがゆえの弱点
慰安婦問題では、朝日新聞はまず女性の人権を損ねる問題であると批判した。そこへ、吉田清治氏(故人)という人物が「朝鮮人女性を強制連行した加害者」であることを名乗り出て、この一種の自己批判をする証言に朝日新聞は乗ってしまった。
同じように、東京電力福島第一原発事故の「吉田調書」問題がある。原発反対の立場から朝日新聞には、福島第一原発事故を起こした東電は「悪だ」という捉え方があったに違いない。そして、反原発キャンペーンを展開する中で、「吉田調書」が出てきて「これだ」と飛びついた。都合のよい部分だけを強調し、「吉田調書」の内容をきちんと見ていなかったのである。
二つ目は、朝日新聞はエリートの集まりであるということ。朝日新聞の記者たちは学校での成績もよく、「マスメディア界の権威」である朝日新聞に入社したというエリート意識を持っているはずだ。
エリートであるがゆえに挫折を知らない。そして、プライドが高い。誤報をしてもその誤りを認めたくない。だから、謝罪をしない。
「吉田証言」については、1997年3月31日に「従軍慰安婦 消せない事実 政府や軍の深い関与、明白」などの見出しで掲特集記事を掲載し、「真偽は確認できない」という表現にとどめている。しかし報告書では、訂正や取り消しをせず、謝罪をしないかったことは「致命的な誤り」と指摘した。
■ジャーナリズムの責任とは何か
2014年8月5、6日に検証記事を掲載したときも謝罪をしていない。もともとは読者に対する「謝罪」という言葉が入っていたようだが、途中でそれを削除してしまった。
どうもエリート集団という意識があるために自分たちの失敗を認めず、謝罪もできなかったようである。また、下手に謝罪をすれば、朝日新聞を批判する他紙に有利になり、自分たちが不利な立場に追い込まれてしまうといった意識もあったのだろう。ともかく「エリート集団」であるがゆえの弱点が出たのである。
三つ目は、これが大事な問題だが、ジャーナリズムの責任である。朝日新聞には政府対国民の図式で考える傾向があり、メディアは権力を批判するだけでよいのかという意見が委員の中から出された。それにより国益を損ねることもあるのではないか、という指摘である。
具体的な話題として上ったのが「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」だ。アジア女性基金は1995年に従軍慰安婦問題解決のために日本政府が設立した基金であり、元慰安婦の方々に対する寄付を国民から募った。
ところが、韓国の慰安婦問題に取り組む「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、元慰安婦に対して国家賠償、つまり国民の税金で賠償すべきだと主張した。アジア女性基金は寄付であるため、日本政府は国家賠償の責任から逃げようとしているという批判である。
朝日新聞もアジア女性基金には批判的であったため、挺対協を勇気づけることになり、和解が困難になってしまった。そして、国益を損ねることになったというのである。
■ジャーナリズムの役目は権力を厳しくウオッチすること
しかし私は、報道というものは基本的には権力に対するウオッチャーだと考える。
私の世代は戦争を知っている最後の世代である。小学校、中学校、高校、大学へと進むにつれ、政府の見解と姿勢が次々と変わるのを目の当たりにした。だから、メディアは政府を厳しくウオッチし、批判しなければいけないという気持ちを持っている。
そもそも、ジャーナリズムによる権力批判が国益を損ねるかどうかは非常に難しい問題である。
たとえば、1941年に始まった太平洋戦争を振り返ってみると、戦争を始めようとする政府に反対するのが国益を損ねたのか、賛成するのが国益を損ねたのか。戦争が終わり、結果的に見れば、賛成するほうが国益を損ねたと言えるだろう。また、昨年12月26日に安倍晋三首相が靖国神社に参拝したが、この靖国参拝に反対するのが国益を損ねたのか、賛成するのが国益を損ねたのか。ジャーナリズムと国益の関わりを判断するのは難しい。
だからこそ、国益に資するか、損ねるかということではなく、ジャーナリズムは政府という権力を厳しくウオッチすることが大事だと私は考えている。
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