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投票日の数日前、ある授業の終わりに、別のクラスの学生が来て、訴えたいことがあるので時間をもらえるかと訊(き)いてきた。いいよ、とわたしは答えた。ここはきみたちの時間でもあるので3分あげよう、といった。その学生は、その3分を使って、投票に行こう、という話をした。なにかの受け売りではなく、自力で、深く考えた跡のあるスピーチだった。終わると、小さな拍手が起こった。短いけれど、大切な時間だった、と思えた。どちらの学生にとっても。
総選挙が終わった。結局、与党で3分の2超えという事態は変わらなかったが、その前も、後も、「選べない」という声が多く聞こえたように思う。あるいは「選びたい人も党もない」という声が。事実、投票率は52%ほど。ほぼ半数が棄権した。その声にならない呻(うめ)きを、聞きとる政治家はいるのだろうか。
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選挙前、ネット上には、「投票」の意義をめぐる議論があふれた。誰を(なにを)選ぶのか、の一歩手前で、まず、選ぶということの意味が問われた。代表は「ポリタス」〈1〉に載った、いくつもの文章。「投票に行く」という人、「行こう」と誘う人、「もう行かない」と嘆く人。みんな、その結論に単純に行き着いたわけではない。考え尽くされた様々な結論が並び、壮観だった。
千木良悠子は「黙って行く」派〈2〉。あまり選挙に行かなかった若い頃を思い出し、年長者たちはなぜ「いいから黙って行け」といったのかを考えた。
「『民主主義』というものには形も色も味もない。キラキラしたコインの輝きもない。ただの角ばった四つの漢字の連なりであるし、現行の制度に問題は山積みなのかもしれないが、それは過去に同じ地に生きた人々が、命を懸けて勝ち取ったかけがえのない遺産であるらしい。あまりに大切な物を前にしたときに人は口をつぐむ。自由とか人権とか憲法とかいう言葉を前に少し神聖な面持ちで黙っていたあの大人は、身近な人かあるいは数十年前、百年前、一千年前に死んでいった人たちのことを悼んでいたのかもしれない」
それに対して森達也は「もう行かない」派〈3〉。選挙前から、与党の勝ちと結果はわかっている。おまけに、権力を監視する装置としてのメディアは「その機能を放棄しかけている。ほぼ現政権の広報機関だ」。どうしようもない。そして、悲しげに、こう書いた。
「だからもう投票には行かなくていい。落ちるなら徹底して落ちたほうがいい。敗戦にしても原発事故にしても、この国は絶望が足りない。何度も同じことをくりかえしている。だからもっと絶望するために、史上最低の投票率で(それは要するに現状肯定の意思なのだから)、一党独裁を完成させてほしい。その主体は現政権ではない。この国の有権者だ」
そして、しりあがり寿〈4〉。彼は「行く」派なのだが、ひどく困惑していた。なにしろ、選べないし選ぶ材料もないのだから。そして、彼は、必死の思いで、投票先を決めるのである。彼と同じ投票先を(同じ理由で)選んだ有権者も、多かったのではないか。
「とにもかくにもなんだかなーの選挙のクソッタレな民主主義だけど、ほかにない以上、こいつをなんとかしていかなきゃいけない。人と人、地方と地方、野党と与党、有権者と候補者の間――スキマだらけでバラバラのこの国が全員参加のダイナミックで密なネットワークで皆が納得する適切な意思決定の仕組みを作り上げたい。それには一体どうしたらいいのか? うーん、今はわからない。全然わからない。ごめんなさい。
とりあえず、選ぶ候補者には全く自信がないけど、『民主主義を諦めてないぞ』ってことだけで投票にいく。投票先は民主主義だ。クソ民主主義にバカの一票」
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くもをつかむような無力感の中で、それでも、わたしたち有権者は考えようとしていた。投票したい先は、現実の何かではなく、もっと先にある理想の何か。だが、実際には、仕方なく、現実の政党か人で我慢する。それには限界がある。政治家たちには気づいてほしい。さもなければ、有権者たちは、さらに先に進むだろう。
かつて、若い都市生活者の世界を描いた小説でデビューした田中康夫が、33年後、彼らの「いま」を描いた作品を書いた〈5〉。そこには、作者本人も登場する。その短くはない年月の中で、作者は練達の政治家になっている。33年前の作品には、当時の文化を象徴するブランドや店の膨大な注がついたが、新しい作品の注には、「政治」のことばが大量にみつかる。税、フランスの小さな基礎自治体、彼が長野県知事として行ったいくつかの、小さいけれど重大な施策、経済、この国のあり方、そして、作者の新しい政治のやり方(やことば)が、古い政治のシステム(やことば)とぶつかり、排斥されていった顛末(てんまつ)。
作品の最後で、作者はこう呟(つぶや)く。
「お金などにはとても換算出来ない、人間として生きて行くことの確かさを実感し合える営みなのだと思う。恋愛もヴォランティアも。そして、僕が足を踏み入れていた行政や政治も本来は」
理想と現実の狭間で葛藤し、産み出された端正なことばを読みながら、わたしは思った。こういうことばを選べる政治家が多ければ、有権者も絶望しないですむのだけれど、と。
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〈1〉「『総選挙』から考える日本の未来」(オンライン・政治メディア「ポリタス」、http://politas.jp/)
〈2〉千木良悠子「輝かない宝物」(同、http://politas.jp/articles/299)
〈3〉森達也「もう投票しなくていい」(同、http://politas.jp/articles/307)
〈4〉しりあがり寿「クソ民主主義にバカの一票」(同、http://politas.jp/articles/283)
〈5〉田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』(今年11月刊)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11523468.html
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