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普通の国は戦争をする国である
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2014-12-22 そりゃおかしいぜ第三章
安倍政権が軍事政権だとか、軍事化しているいう批判に対して、政権内で戦争を望んでいる者はいないという反論がある。誰が戦争をしたいと言っているという類の反論である。先日も本ブログ対して、匿名の同質のコメントがあった。誰も戦争は望んでいない、むしろ戦争をしないために取り組んでいるというものである。
それは歴史を知らない、あるいは政治の本質を踏まえることのない発言と言える。安倍政権内の人物や、自民党の国会議員でもそう思っているに違いない。
先日本ブログで太平洋戦争の宣戦布告を紹介したが、日本は平和のために、反撃をすると宣戦布告している。米英が平和を乱しているというのである。
その当時でさえ、軍部はともかく国会議員には戦争を望む者などいなかった。少なくとも表面上であるがである。鬼畜米英何するものぞという程度か、あるいはまったくの国際情勢に無知なものが勢いづいたものである。中国と戦争状態に入った近衛文麿ですら、暴支を懲らしめるためにやむを得ないというものである。半年で終わるとまで宣言していた。中国に対する、上から目線で、教育程度に思っていた節がある。
戦後日本の憲法はこうした、権力者が暴走するのを抑えるための条文を並べたものである。私は平和主義者だと、恥ずかしくもなく公言する安倍首相は憲法が禁止しする権力者の危険性を十分すぎるほど備えている。
武力による制圧は、非人道的な悲しみと憎悪を産むに過ぎない。アメリカが、色んな意味で良い例である。銃口から平和が生まれるなら、世界最大の武力を示威するアメリカは最も平和でなくてはならない。
中国は経済成長を背景に、驚異的な軍事増強によって平和になるどころか、国内外で紛争の種をまき散らしているだけである。そして彼らはは異口同音に、相手国の非を問い自らの正当性を主張する。別の言い方をすれば、自衛のためにやむを得なかったというのである。自衛権の行使である。もう地球上では、100年以上にわたって自衛以外の戦争理由は存在していない。
軍事国家に変貌したところで、それが普通の国という主張もある。戦争や紛争は普通の国がやるのである。日本は憲法でそれを禁じている。安倍首相はそれを言葉上で言い換えて、軍事国家への道を歩もうとしているのである。戦争が出来る国に変貌させようというのである。
普通の国になるのが何が悪いというのである。普通の国は国益などを理由に戦争をするのである。戦争は殺人行為であり、さらなる武力行為の理由を産むだけである。日本はそうした国なって欲しくないのである。
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