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「弱肉強食」は食物連鎖であって経済原理ではない
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2014-12-19 そりゃおかしいぜ第三章
人間社会の経済原理・原則として、「弱肉強食」という言葉がよく用いられる。弱肉強食がまるで、自然界の原則であって当然の理として引用されることが珍しくない。更には、進化論の自然淘汰まで引き合いに出す不届き者さえいる。
弱肉強食という言葉は、動物の世界の食物連鎖を表現しているにすぎない。トラやライオンが鹿や羚羊を食べることを言うのであるが、トラやライオンが強いわけではない。トラやライオンの方が強ければ、自然界はトラやライオンだらけになってしまう。現実には鹿や羚羊の方が圧倒的に多い。知トラややライオンの鋭い牙も強靭な爪も、いわばナイフとフォークのようなものであって、基本的には武器ではない。ヒトも食事の対象になるので、単にこちらの思い込みにすぎない。ヒトが持つ刀や銃とは全く異なるものである。
弱肉強食は、異種間で起きる食物連鎖の形であって、彼らが同種間で食べ合うことは、基本的にない。
ところが、経済学者たちが自らの経済理論をの弱点を補完するために、自然界の原理として弱肉強食を引用されるのは、誤引用であって許すことが出来ない。経済の場は人間同士である。強いものがより強くなって巨大化するのは、自然の摂理とは程遠い、ヒトの欲望のなれの果てである。
新自由主義者たちが、強いものが勝つ原理を「市場」という言葉で置き換えて、政治は手を出すべきでないとする。商品の価格も量も市場が決める、富の配分も市場が決めるというものである。弱いものは消えて行けというのである。
同種間で争うのは人ヒトだけである。様々な動物も争うことはあるが、餌を求めたり雌を求めたりするのであって、殺し合うことはない。殺し合うのはヒトだけである。それは欲望のなせる結果である。欲望とは富への希求である。富とはヒトが作り出した虚構である。
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