07. 2014年12月18日 23:20:52
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石原慎太郎は最初からクルクルパーだったけどね:貧困なる精神(121) 本多勝一 石原慎太郎の人生
石原慎太郎と同世代になる私などのように、石原の若いときからの生態を観察してきた者からみると、今の若い世代には石原の基本的性格が理解されていないのではないかと思う。石原が都知事選に立候補したときの 「風速計」 で簡単にふれたが、ここでもう少しくわしく解説しておくことにしよう。
「ウソつき」 と 「卑劣な小心者」 とをこねて団子にしたような男。
これは本誌去年3月26日号の拙文 (風速計) からの引用ですが、東京都知事選に再び立候補して二四年ぶりに目的を果たした石原慎太郎 (敬称略、以下同) の基本的性格は、こう表現するのが適切でしょう。しかしこの人物に直接接したり具体的問題にかかわったことのない人々が、このへたくそな小説家のハッタリ人生にだまされて、そんな事実を知らないのも無理はないかもしれません。 この人が最初に世間に売り出したのは、小説家としてでした。株式会社文藝春秋が、自社の 「ショー」 としていくつもつくっている文学賞の類のひとつに 「芥川賞」 があり、石原は学生時代の1956年にそれを得たのです。 これが芥川ショーとしての、他の年の普通の同賞以上に騒がれたのは、学生時代の若さということ以上に、彼の小説の突出した下品さにありました。 『太陽の季節』 と題するその小説は、勃起した はせで障子紙を破る奇矯な描写がとりわけ評判となったのです。そんなことを書く小説家は 「純文学」 畑にはそれまで (たぶん) いなかったでしょうが、そういう描写それ自体が下品だというのではありません。描写の方法なり文体なりが 「文学」 になっていないから下品なのです。 こんなものになぜ文学賞が出されたのでしょうか。それは、かつて故・深沢七郎も言っていたように、これが一出版社の商売としてのショーだからです。話題性があること、巷間(こうかん)で騒がれることなどで売れればいいのです。かといって無茶苦茶低レベルのものばかりに毎年ショーを出していたら、その賞本体に権威がなくなりますから、真に文学の名に値する作品も時にはあるでしょう。しかし基本的には、文春が下選びした作品について、文春が選んだ 「選者」 たちが審査するのですから、文春の商売的意向が反映さぜるをえません。このあたりのことについては、かつてやはり文春のショーたる 「大宅賞」 の性格を論じたとき、この賞を逸した鎌田慧に対する選評をもとに詳述したことがあります (本多勝一著作集第19巻 『日本語の作文技術』 = 朝日新聞社 = 収録の 「茶番劇としての"大宅壮一賞"」 ) 。 以来、彼の書く小説は、ヘミングウエイの亜流の亜流というべきか、自分ではヘミングウエイていどの冒険さえ全くできないくせに作品だけはそれをまねようとして、一言で言えば 「三流以下」 の駄作を重ねてゆきます。もちろん私は小説界にくわしいわけではありませんが、彼の小説が 「文学」 としてはほとんど相手にされなかったことは、いわゆる文壇でも常識でしょう。ごく最近の例として金井美恵子の一文から引用しておきます。 「・・・・・・小説家としては三流以下だった都知事のお金に関する政策、外形標準課税は典型的なファシズムのやり口でしょうし、・・・・・・」 ( 『一冊の本』 2000年6月号の 「 『お金』 については語らない」 から) そんな 「三流以下小説家」 では未来が暗いことくらい当人でもわかりますから、タレント性が選挙に有利な分野たる政界に転進することになります。そしてその前後から、若いころにはかなり"進歩的"だったこの男がえらく反動的になっていって、ついには靖国神社復活をめざす 「青嵐会 (せいらんかい) 」 に加わるまでに到りました。日本の核武装も積極的に主張しはじめます。 以後の石原の軌跡については、あらためてここでたどる必要はありますまいが、その 「ウソつき」 ぶりと 「卑劣な小心者」 という基本的性格を知らない若い有権者も多いことでしょうから、私が直接知っているか体験した事実を、この機会に三件だけ紹介しておきましょう。 1.ベトナム戦争での卑劣さ 想えばもう三十余年も前 (1967年) のことになります。ルポ 『戦場の村』 (朝日新聞社連載、のちに朝日文庫) を書くため南ベトナム (当時) に滞在中、石原慎太郎がベトナムへやってきました。私がサイゴンにいるときだったので、何かの会合で他の記者たちと共に会ったことがあり、その帰りの夜道でニューギニアについて彼と話した記憶があります。 そのあと彼はサイゴンを離れて何ヶ所かの前線を取材に行ったようですが、肝臓だかを悪くしてひどい下痢で活動できなくなり、まもなく帰国したという噂をききました。もともと真の冒険家ではありえない人だから、修羅場には弱かったのでしょう。 それからほぼ一年のち、南ベトナムから私が帰国してまもなく、報道写真家の石川文洋が 『ベトナム最前線』 というルポルタージュを読売新聞社から刊行しました。これに序文を寄せた石原の文章を読んで、次の部分に私は少なからず驚かされることになります。 ベトナム戦線Dゾーンのチャンバンの砲兵陣地で、訪れた我々日本記者団に向かって、試みに大砲の引き金を引いて見ないかと副官にすすめられたことがある。
(中略) 番が私に廻って来そうになった時、同行していた石川カメラマンがおだやかな微笑だったが、顔色だけは変えて、 「石原さん、引いてはいけません。引くべきでない。あなたに、この向こうにいるかも知れない人間たちを殺す理由は何もない筈です」 といった。 躊躇(ちゅうちょ)している私に、陽気な副官は鉄兜をさし出し、”Kill fifteen V.C.!” と叫んだが、幸か不幸か突然射撃中止の命令が入り、その時間の砲撃は止んでしまった。 私は今でもその時の石川君の、私を覗(のぞ)くように見つめていた黒いつぶらな瞳(ひとみ)を忘れない。童顔の、あどけないほどのこの若いカメラマンの顔に、私はその時、なんともいえず悲しい影を見たのだ。 彼がもし強く咎(とが)めていたら、私は天邪鬼(あまのじゃく)にその後まで待って引き金を引いていたかも知れない。 この文章からみると、石原は解放戦線または解放区の住民に対して、副官にすすめられるままに、大砲の引き金を引く寸前だったことになります。たまたま 「幸か 不幸か 突然射撃中止の命令が」 出たために、彼はそれを果たせなかった。もし中止命令が出なければ、第一には 「すすめられるままに」、そして第二の可能性としては 「彼 (石川文洋) がもし強く咎めていたら、私 (石原慎太郎) は天邪鬼にその後 (砲撃再開) まで待って引き金を引いていたかも知れない」 のです。 こういう小説家の神経と体質について、私がここで解説を加えるまでもありますまい。私はこのあと解放区の取材に長く潜入していましたから、時間と場所がすこしずれれば、ことによると石原の撃った砲弾が私のいた村にとんできたかもしれませんね。 (注1) 。 ここに見られるように、石原はベトナムへ行ってもせいぜい陣地までしか行けはしない。石川文洋の苛烈な体験はもちろん、私がやったていどの歩兵との最前線従軍さえできず、安全地帯にいて、卑劣にもそんな中から大砲だけは撃ってみるような、子どもの戦争ごっこくらいしかできないのです。しかも石川文洋が言うとおり、石原慎太郎にとって殺す理由など何もないベトナム人を砲撃しようとする鈍感さ。この卑劣で鈍感な男が政治をやろうというのであります。 2. ヨット世界一周への嫉妬
次は今から二六年前 (1973〜74年) のことです。真の冒険児たる かの堀江謙一が、ヨットによる単独の無寄港地球一周に275日と13時間10分の新記録で成功しました。 しかしながらこの成功は、その前年 (1972年) に失敗して二度目の挑戦による快挙です。前年には出港してまもなく、マストに欠陥があって折れたために、出直しをすべく計画を一年延期したということですが、この"失敗"にさいして、週刊誌をはじめとするマスコミ (情報商売 = ジャーナリズムではない) は堀江を徹底的に中傷・非難しました。女性週刊誌の一部にはプライバシー問題まで暴いたりして、あんまりひどいので当時の堀江との対談 (注2) で 「こんもの書いて (または書かせて) メシ食ってるヤツ、人間のクズだな。カスだ。これこそ告訴ものだ」 と発言したら、当のクズ・カスから私の職場に電話があって、ひとこと 「抗議する」 と言っただけで一方的に電話を切りました。抗議されるべきはクズ・カスの方ではありませんか。 余談ですが、この種の私事暴露や虚偽を掲載するゴロツキ雑誌やそれを書いている連中は、その卑しさ・汚さの点でいかなる破廉恥犯罪人よりも本質的に下等な人種に属すると思います。三年ほど前のことになりますが、講談社のある月刊誌が、私に対して一度たりとも取材をせずに、ジャーナリストの名誉の根幹にかかわるひどい加害報道を実行したので、その月刊誌編集長と筆者について 「よく卑しい職業の例にあげられる売春婦よりも本質的に下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中である」 と論評しました。 すると当の筆者などから、売春婦に対する差別発言であるかのような"反論"がありましたが、これは誤読・曲読の類というものでしょう。売春婦の中にも大いに尊敬すべき人物がいることは知っているからこそ、俗世間でよく卑しい職業の例にあげられることに違和感を抱いており、そんな例を挙げるとすれば、売春婦などよりも前述のような 「人間のクズ・カス」 こそ本質的に、真の意味で、本当の 「卑しい職業」 なのだと言っているのです。 それはさて措(お)くとして、堀江謙一のような真の冒険家は、日本ではよく攻撃されます。日本型社会の枠の中での冒険なら、たとえば植村直己の場合のように愛されたり称賛されたりもするのですが、その枠からとび出すほどの、日本的価値観では理解を絶する最先端の冒険には、逆に非難・攻撃を加えるのです。堀江が二三歳のとき成しとげた初の太平洋単独横断にさいして、日本のマスコミが加えた非難・批判の激しさとばかばかしさは、日本人の本質的な底流にかかわる問題として私に論文 「冒険と日本人」 (注3) を書かせました。二度目にマスコミから袋だたきにされたのが、前述の世界一周"失敗"のときです。 さらに、三度目の袋だたきはもっとひどいものでした。無寄港単独世界一周に新記録で成功した翌年 (1975) 、太平洋横断ヨットレースに堀江も加わったときです。堀江のヨットはこのときメイン = ブームの故障などで遅れたものの三位に入賞したのですが、問題は無線機が故障して四〇日余り連絡不能に陥ったこと。これでまたマスコミに騒がれて、自殺説だの遭難説だの、さらに私事暴露や、ひいては前年の世界一周が嘘だという暴言さえ出る始末でした。このとき私は 「またまた袋だたきの堀江謙一を激励する」 と題する堀江との対談 (注4) を発表しましたが、この、世界一周捏造説を断定的にとなえた人物こそ、石原慎太郎だったのです。 このあたりのことについて、かつて書いた中から一部を引用しましょう。 石原氏は好んで冒険的な題材を扱い、みずからもヨットをあやつり、エベレスト (チョモランマ) やベトナムにも行った。世間には 「男性的カッコよさ」 がイメージづけられた。しかし彼の 「行動」 を見ていると、かつて一度たりとも真の冒険に値することをやったことがない。本当に生命の危険があるようなところへは決して近づいていない。ヘミングウエイに彼は憧れていたようだが、実際に冒険にとびこんだヘミングウエイとは似ても似つかぬ"行動"だった。ヘミングウエイの亜流ならまだしも、幼稚な 「ヘミングウエイごっこ」 でしかなかった。 「男性的カッコよさ」 が虚像だったとすれば、女性的というべきなのだろうか。しかしそれでは女性に対して失礼になろう。ヨットなら小林則子氏、山なら今井通子氏、ベトナムならミシェル = レイ氏など、彼など及びもつかぬ冒険家が、女性の中にもたくさんいる。むしろ 「小心な男」 というべきなのであろう。その裏返しとして、自分のなれない冒険家に 「なりたがっている」 のである。だから本当の冒険家を嫉妬したり、時にはとんでもない 「冒険ごっこ」 もする。 かの堀江謙一氏がヨットによる単独無寄港地球一周に新記録で成功したとき、石原氏はこれをウソだと公言した。どこかにかくれていて、さも一周したかのように出てきて発表したというのである。さすがの堀江氏もこれには激怒していたが、これほどひどい名誉毀損(きそん)も珍しいだろう。小心な男の嫉妬として、これはまことに興味ある生態であった。エベレストのときも、三浦雄一郎氏ら本当の冒険家たちに山麓まで仲間入りさせてもらっただけであった。 (中略) 「朝日ジャーナル」 の1977年4月29日号は、編集部の取材記事として、 「その周辺で囁かれる人物評」 が 「女みたいですねえ」 だと書いている。最近の環境庁記者クラブとの深刻な対立の過程をみても、これは全く当然の人物評であることがわかるが、やはり 「女みたい」 では女性に失礼なことだ。もし女性が環境庁長官になれば、石原長官よりはるかに立派な腕前をみせてくれるであろう。この小心な男は、私たちの世代の恥を延々とさらしつづけてくれている。 (本多勝一 『愛国者と売国者』 収録の 「小心な男としての石原慎太郎」 から) しかも石原は、堀江の世界一周にさいして、その航海日誌を朝日新聞社のヘリコプターが帰港直前に吊りあげて入手したことを 「検疫法違反」 と非難しています。ところがこれも 「無寄港」 の世界一周ですから、日本を出て日本に帰っただけ、どこにも寄らないのでは検疫法など無関係でした。アムンセンが人類初の南極点到達のあとオーストラリアのタスマニア島まで帰ったとき、無人の南極からでは税関に用事がなく、無菌の南極からでは検疫の医者も用事がなかったというアムンセンの手記を思い出します。 アムンセンや堀江謙一といった真に 「人類初の」 冒険をやる人物の行動には、なみの国際法や検疫法の類など問題外の場合が珍しくありません。石原と同じく反動側の"文学"畑から、江藤淳も堀江を非難していました。 (前述の 「冒険と日本人」 で詳述) 。 ヨットをめぐる石原慎太郎を一言で要約すれば、小心者の卑劣な嫉妬心。これだけです。 3.南京大逆殺をめぐる虚言
三つ目の例は、私自身が直接かかわることです。 石原慎太郎はテレビ発言その他さまざまな場で 「南京大虐殺はウソだ、なかった」 と述べてきましたが、これは 『月刊プレイボーイ』 誌 (日本版) 1990年11月号の場合です。 石原は南京大虐殺について自分では一度たりとも取材したことがない (取材する能力もない) ままに、日本を世界の孤児にする売国的"右翼"の虚言を受け売りしているだけですが、自民党代議士 (当時) という公人としての発言は、小林よしのり型の主体性なきマンガ家等の放言とは違いますし、これは私のジャーナリストとしての仕事を否定するものでもありますから、石原に対して次のような質問状を送付しました。 自民党代議士としての石原氏に対し、その選挙区の者ではありませんが、国政への有権者かつ納税者の一人として次の二点をただします。一ヵ月以内にお返事を下さるようお願いします。
一、 『月刊プレイボーイ』 誌の1990年11月号で 「プレイボーイ = インタビュー」 に答えてあなたは次のように発言されました ----- 「日本軍が南京で虐殺をおこなったと言われていますが、これは事実ではない。中国側の作り話です。これによって日本のイメージはひどく汚されましたが、これは嘘です」 右は何を根拠としての発言ですか。 二、 同じところで 「どこで日本人は虐殺をしました?」 と発言されていますが、これは 「虐殺はどこにもなかった」 という意味ですか。あるいは 「どこどこの虐殺は認める」 という場所があればそれを挙げてください。 1990年11月23日 本多勝一 これがどうなったかは、石原側からの回答を含めて、拙著 『愛国者と売国者』 (朝日新聞社)の第四部 「南京大虐殺と 『愛国心』 」 に収録されています。こうしたやりとりの結論は、 『朝日新聞』 19991年11月9日付夕刊コラム 「深海流」 に、次のような私の署名記事として書いたとおりです。 石原慎太郎氏の 「うそ」
国会議員の石原慎太郎氏が南京大虐殺を 「中国側の作り話」 「うそ」 と発言 (米誌 『プレイボーイ』 誌昨年10月号 = 日本版は11月号) して問題化したとき、私は 『朝日ジャーナル』 (昨年12月7日号) で、これが何を根拠にしての発言なのか公開で質問した。 回答によると、 『プレイボーイ』 のインタビューは 「通訳を通して」 行われたので 「食い違いがあった」 とのことである。そのほか 「個々の質問」 については 『文藝春秋』 今年2月号の石原氏の 「論文」 (日本を陥れた情報空間の怪) をもって回答にかえるという。 そこで当の 「論文」 を読んだところ、これは違法行為としてのひどい改ざんや捏造、スリかえをもとにして個人攻撃をしたうえ、南京大逆殺についての朝日新聞の報道を 「売春と同じように一度始めたら容易には止められない」 といった差別表現をしてまで中傷する異様な"論文"であった。 このような"論文"に対して同じ 『文藝春秋』 誌上で反論する前に、まず事実関係をはっきりさせておくべく、次の二点について再度質問状を送った。 (1)通訳を通しての 「食い違い」 はどの部分か。 (2)インタビューが活字化されるにさいして原稿かゲラで自分の発言をチェックしたか。 だが、二月に出したこの再質問には回答がない。以後十月までに三回にわたって催促したが、まだない。 もはや回答は出たとみるべきであろう。 「作り話」 「うそ」 を語ったのは、中国側ではなくて、まさに石原慎太郎議員自身たったことになる。石原氏は何の根拠もなく、 『プレイボーイ』 誌で南京虐殺を否定したのであった。 「国際化」 とは、外国語会話をやることなどではなく、まず侵略の非は非と認めて再出発することこそその第一歩なのだ。せめてドイツが戦後やってきたような程度まで。 南京大虐殺を中国側の 「作り話」 「うそ」 と全否定した石原は、これはマズイと思ったらしく、この"論文"の中では卑劣にも黙ってひそかに部分否定に変更しています。つまり 「うそつき」 は石原の側だったわけです。 以上のような基本的性格が彼の仕事全体に反映するのは当然ですが、なぜか 『週刊朝日』 (去年3月26日号) は、石原慎太郎の 「滑り込み都知事選出馬」 を 「単独インタビュー」 して言いたい放題にさせました。選挙なら誰だって 「単独」 で応じるに決まっています。これは他候補たちが票を食いあっていることを見越した上での 「漁夫の利立候補」 にすぎません。こんな 策戦に利用されて 「単独インタビュー」 で応援する雑誌やテレビの見識の無さ。 今から二四年前になる1975年の都知事選に石原が出たとき、私は月刊誌 『潮』 (1975年4月号) で次のように書きました。 「石原慎太郎東京都知事。 −−劇画や漫画なら 「ドヒャーッ」 とか 「ケケケケ」 とか、そんなオノマトペで笑えばすむことだが、現実にそうなるかもしれないとなると、考えこまざるをえない。 (中略) こんな男の 「支配」 する東京都にいることなど、恥ずかしくてとても耐えられない。もともと私などは住所不定で日本にいないことが多く、日本にいても東京にいないことが多いが、住民税の納め場所は東京になっている。少なくともこれだけは拒否すべく、彼の任期中は現住所を故郷の実家へ移してしまおう。いったいどうして、彼の支配体制のために財源を助けることができようか」 ここで冒頭の一文にもどります。 「ウソつき」 と 「卑劣な小心者」 とをこねて団子にしたような男。 東京都知事に漁夫の利当選した石原慎太郎の基本的性格は、やはりこう要約するのが適切でしょう。 「三国人」 発言その他は、すでに書いたように (本誌5月26日号 「風速計」 ) 、ブタがブーブー鳴いているだけのこと、問題はそんなものを支持する国辱的日本人が少なくないことです。 http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hinkonnaru_seisin/k121.html |