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<はじめに>
「あれをしろ!これをするな!」。おとなは子どもに指図します。おとなが言う通りにすれば、また指図されます。言いなりになれば褒められるかもしれません。言われる通りにしていれば幸せになれるでしょうか?
でも、おとなたちは幸せそうではありません。おとなのほとんどが、あの状態のまま人生の最後を迎えるのです。そして、死の間際に人生を振り返る。そのときの後悔には同じものがとても多いそうです。以下は、死を間近に控えた人々が多く口にする後悔です。
1.「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2.「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3.「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4.「友人関係を続けていれば良かった」
5.「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
ほとんどのおとなは『自分を幸せにする方法』を知りません。『幸せが何か』さえ知りません。快感や、快楽を追いかけ続けるのを幸せと思い込んでいたりします。実を言えば、幸せは、自分で気付く直感のようなもので、努力したり獲得するものではありません。『幸せはいつもそこにあって、気付かれるのをそっと待っている』。そういうものです。ですから本当は、みんないつも幸せなのです。幸せだけど気付いていない。多くは、「自分が不幸側に居る」と思い込み、「別のところにあるはず」と思い込んだ幸せ探しゲームをやっているのです。ほんとうの仕組みがわかっていると、後悔が少なくて済むのでお得な人生になります。
人間の体は、この世界で生き残りができるように作られています。感情はそのために与えられた反応です。思考と体のつなぎ役をします。好きなものに近づき、危険からはすぐに逃げる。感情は、思考と体の両方に対するすばやい反応が特徴ですが、しょっちゅうまちがいます。幸・不幸は感情問題だと考えられていますが、それもまちがいです。痛みや悲しみ、快楽などは、単純にからだと思考の作用であり、ほんとうの幸・不幸とは違うものです。
おかねに代表される快楽を『幸せ』だと思い込んでいる人たちが大半なので、世界や国の仕組みがまちがったものになり、それが環境破壊や戦争など、とても悲惨な状況を作っています。
幸せは獲得するものではなく、気付くもの。『気付き』は人それぞれの責任であり、冒険です。幸せこそが命の真実です。そこのところをまちがえる感情人間には自分がありません。「生き残りのため」という感情の原理に突き動かされて何でもやってしまうのです。その場しのぎの方法で感情を守ろうとします。その時に使う道具が『主義』や『きまり』、『理想』そして『恩』や『義理』です。これらの道具は、道義的な責任やこころの冒険を放棄させます。たいへん便利ですが、勇気や良心に対してはまったく不誠実です。
この国は、『義理』などで固めたヌケガラです。多くの国民は、『義理におびえながら、義理にすがりつく』というありさま。もはや自分の真実をあきらめているかのようです。
ほんとうの幸福は直感であり、気付きです。決して壊すことの出来ない、そこにあるもの。それは常に動いていて、変化しながら自立しています。やがて、皆さんは「幸福が生きている。幸福が自分だ」とわかる時がくると思います。それには、嘘の掃除が必要です。自分の心は自分で掃除するしかありません。わたしたちは国の嘘を見抜き、権威を掃除する事で気付きの力をつけることができます。
これからお話しする事は、調べれば確認できる事です。学校では、国のほんとうの仕組みを教えてはくれません。知らないのです。おとなたちが知らず、気付かず、教えない、でも、人びとをつき動かしているこの国のしくみをお話しします。皆さんの人生が後悔の少ないものになる事と、『幸せの気付き』が早まる事を期待して。
知ることで、せつない気持ちになったら思い出してください。「幸せは気付き、すべては失うことのできない幸せでできている」。
<日本の歴史>
日本の歴史を確認しましょう。
教科書には、江戸時代、鎖国していた本当の理由が書かれていません。430年ほど前に書かれた、秀吉朝鮮出兵従軍記者の見聞録をご覧ください。
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。
天正少年使節団の報告書にもあります。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山 目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白く、みめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』
世界中で奴隷商売をやっているバテレン(西洋人)とキリスト教の脅威を知った豊臣秀吉は1587年に「バテレン追放令」を、徳川家康は1612年、キリスト教を禁止し、西洋に対する鎖国を命じました。それから約240年後、アメリカ人ペリーが日本に黒船でやって来て開国をせまりました。はじめは、いくつかの藩が戦いましたが、勝てないと知ってからは、進んで彼らの手先になりました。
キリスト教宣教師は古くから、植民地づくりのスパイ役を担ってきました。ひかえめに言っても、キリスト教が戦争を止める力になったことはありません。4世紀にはローマ帝国軍に従軍牧師がいました。今でも米軍にはキリスト教従軍牧師がいます。ちなみに最近では、アメリカはイスラム教徒に対して「テロリスト」と言いがかりをつけ、石油を目当てに戦争を仕掛けたりしています。
日本の開国に成功した西洋人は、それが謀略だと気付かせないように、複数の窓口を使って、幕府側にも倒幕側にも大量の武器を売って、日本人同士の戦争を仕組みました。これが明治維新です。西洋人たちは、渡す武器の量やタイミングを加減する事で、おかねもうけをしながら、言いなりになる日本を作るのに成功しました。明治政府はあやつられるまま、キリスト教を解禁して、仏教を排斥しました。
西洋人に教育された人々が権力につきました。西洋人を嫌った36歳の孝明天皇が不自然な死に方をしました。あと継ぎの明治天皇即位は15歳、いまなら中学3年生です。日本の政治はずっと、『代理人が国民に命令する』というやり方です。国を動かしているのは本当は誰なのか? そこが国民に見えないようにしてあります。「疑うのは天皇陛下に対して失礼!」というのが代理人の言い分です。
日本は西洋人にあやつられて戦争をしてきました。日露戦争では、多額の借金をさせられたうえ、多くの国民を傷つけ、死なせてきました。しかし、国民の誰も「誰が戦争させたのか?いったいなぜ戦争が起こるのか?」をわかっていません。すべての戦争は明治維新と同様、おかねもうけの謀略です。『代理人が勝手に命令する』という国の仕組みによって、国民には何もわからないようになっているので、国民は繰り返しだまされ、奪い合い、殺し、殺されてきました。まったく残念な事ですが、これが真相です。
<権力の状況>
日本国民は国を疑わず、言いなりに動くよう育てられてきました。この国のシステムは犯罪組織と同じですが、それを自覚できないようにしてあります。憲法はあっても機能しないし、裁判所はあっても裁判官が良心に従うことができないようになっています。警察・検察は国家の犯罪を隠す。別の犯罪のでっち上げなどでカモフラージュする。要するに犯罪国家です。作業を割り当てられた公務員はそれらを当然のこととしてやっています。道理がよくわからず、しつけられた通り何でもやる。結果的には、国の不正を守る作業員です。
日本は国民に対して何でも隠し、ことごとく嘘を言う国ですが、アメリカの極秘文書公開や内部告発者の証言などによって本当の仕組みが明らかになってきました。それによると、日本のしくみは次のような形になっています。一番上にあるのは米軍(条約や密約)。次に官僚・公務員の都合、それを支える国家公務員法、そして、その他の法律です。実際のところ、憲法は、絵に描いた餅、法治国家を偽装する飾りです。司法の正義はまったくの見せかけです。
国民とおなじで、政治家もほとんどだまされています。選挙芸人にすぎません。この国の政治家は、国のほんとうの仕組みも、法律もほとんど何もわかっていないのです。知識がなく、自覚が無いので自分が国から何をされているのか、しているのかさえわかっていません。すこしばかり程度のよい人は、大臣になったりした時に、はじめて国家の現実を知って驚きます。そこでうっかり、「国民のために」などと頑張れば失脚したり殺される。そうでない者は国民に対する嘘つき芸人を続ける。「自分は政治芸人」と割り切ってしまえば、これまでの流れを変えないので騒ぎにはならない。結局、嘘つきに限ってマスコミの評判が致命的なものにならず、長く地位に留まれるというまったく情けない状態なのです。
<戦争>
いまの状況を知るには、昭和天皇を知ることが役立ちます。研究者がほぼ一致しているのは、昭和天皇は非常に頭脳明晰で意志も強い、国家戦略に長けた人物だったということです。そしてその周辺には、きわめて優秀で忠誠心に富んだ側近グループがありました。
アメリカと戦った太平洋戦争のとき、国民は「天皇陛下の御為(おんため)」と教えられました。日本が敗戦を確信し、終戦の申し入れを始めてから、アメリカは二種類の原子爆弾(ウランタイプとプルトニウムタイプ)を落とし、日本人の非戦闘員30万人以上が亡くなりました。そのとき日本政府は、原爆機が近づいているという情報を知りながら、迎撃せずに、空襲警報さえ出さず国民を被爆させたのです。二度ともです。そのうえ、原爆を落としたアメリカに提供するために、被災者の救済に優先して、人体への影響調査に励みました。調査開始は原爆投下のわずか2日後、終戦の7日前です。つまり、日本政府は原爆を使った人体実験の手伝いをしたのです。30万の日本人は政府に殺されたも同じです。
政府は、原爆被害の調査結果を国民に隠してアメリカに渡しました。もちろん、その調査が被爆者の救済に使われる事もありませんでした。これはアメリカの公文書から明らかになったことです。今もそうですが、日本政府には、公文書を隠したり捨てたりして、歴史を偽造する癖があります。決まりを守りません。だから、歴史教科書では真相がわからないようになっています。また、10万人以上が死んだ東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍には、後に勲一等旭日章の叙勲がありました。恐ろしく、とても悲しいことですが、日本政府が国民に対してやってきた、一連の事実は認めるしかありません。
アメリカは最初から勝利を確信していました。当時、国力に10倍もの開きがあるので当然です。日本政府は負けの決まった戦争を始めたのです。アメリカは4年に渡る戦争の始まった、その翌年から天皇を利用して日本国民をあやつる計画を作りました。敗戦後、昭和天皇はその計画に乗りました。そうするしかなかったのでしょう。天皇の人間宣言も日本国憲法も原文は英語です。
米軍の日本支配に協力した多くの日本人が、歴史を書き変えました。それは、「日本は、明治時代から民主主義の国であり、アメリカなどと戦争した昭和初期だけが間違った時代だった。これからの日本は民主主義を強調した天皇中心の明治体制に戻すだけ」としたのです。米軍の後ろ盾を得たことで、代理人である『天皇の官吏』が力を持ちました。そして、憲法制定の翌年(昭和22年)には憲法違反の国家公務員法を制定ました。あわせて、積極的に米軍や、米軍の手下(政府役人)と手をつなぐ人たちが政治家や新聞社、テレビ局、大企業などのトップにつきました。
<憲法違反の国家公務員法と米軍>
日本国憲法では、「国民に主権があり、普通選挙で選ばれた者が公務員として国民全体に奉仕する。憲法が最高法規」としてあります。ところが、国家公務員法で職員を公務員にしてしまいました。それから、職員自身の福祉と利益確保を職務目的にした上、国家公務員法を最高法規にしました。公務員が国民から搾取する仕組みです。
国家公務員法の条文要約 第一条
・「国家公務員たる職員」が「職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立」する。
・「この法律(国家公務員法)の規定が、従前の法律又はこれに基く法令と矛盾し又はてい触する場合には、この法律の規定が、優先する」
米軍による日本占領は6年半におよびました。占領後も公務員が米軍の守り手になるように条約、密約を決めました。次は1957年2月、在日アメリカ大使館から本国に送られた秘密報告書です。
【在日米軍基地に関する秘密報告書】
日本国内におけるアメリカの軍事行動のきわだった特徴は、その規模の大きさと、アメリカにあたえられた基地に関する権利の大きさにある。 安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができる。数多くのアメリカの諜報活動機関(略)の要員が、なんの妨げも受けず日本中で活動している。米軍の部隊や装備(略)なども、地元とのいかなる取り決めもなしに、また地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由におこなう権限が与えられている。
この状態は敗戦から約70年後の今も、まったく同じです。元外交官の天木直人さんの告白よると、外務省内のマニュアルには、日米安保については、「疑念をもつこと自体、アメリカに対して失礼である」と書かれています。
憲法違反の国家公務員法で、公務員による国民の搾取(さくしゅ)が合法化され、おまけに、外交官が「米軍を疑うのは失礼である」とされていて、米軍の無制限な自由が許される。このような国は、法治国家でもなんでもない。それどころか、国と呼ぶにあたいしないと言うべきでしょう。ほとんどのおとなは歴史の真相も、自分たちが置かれている状況もわかっていません。こんな状態ですから、「おとなには正体が無い」と感じる皆さんは多いはずです。
<日米合同委員会>
日本を直接的にあやつっているのは米軍です。毎月2回、日米合同委員会というものが開かれています。そこでは、米軍が日本のエリート官僚たちに直接指示をしています。今も、日本を米軍が占領しているのです。官僚は国会がまったくの無能・無力であるのをよくわかっています。国会や裁判所よりも、米軍からの指図の方が強いのです。官僚の中でも、日本国民に対して、特に無慈悲で無責任な人間が米軍に評価されて官僚トップの事務次官や、検察庁長官、最高裁判所の長官などになります。このような事実を普通の国民は知りません。
<日本の教育>
日本の官僚組織全体は東京大学卒の派閥に握られています。最近、ようやく、東大の精神性が非常に危険であるという事が知られるようになり、本当に優秀な学生は他の大学や海外に出るようになりました。たいへんに有名な東大教授が東大の状況を教えてくれました。
東京大学の安冨歩教授のメールをご紹介します。
(前略)ここ(東京大学)の人々は、他の大学に比べて、利己的ということを隠す技術が、飛び抜けて高いのです。どんな状況においても、直ちに自分に都合が良くて、しかも他人を納得させる屁理屈を直ちにヒネリ出すことが、東大関係者の得意中の得意です。彼らの屁理屈を聞かされると、こっちがおかしいのだ、と思って、罪悪感を覚えさせられてしまいます。その技芸の高さは、ホレボレする程です。こういった人々が日本中にエリートとして送り出され、そういった人々を模範として社会が運営されるので、とんでもないことになるのだ、と私は考えています。
阿久根市役所の職員の皆様におかれましては、そういう人間を決して尊敬しないように、自分たちの模範だと思わないように、そういう人間が優秀なのだなどと決して思わないように、とお伝えください。みなさまお一人お一人の良心(惻隱の情)にこそ、社会の秩序と住民の幸福が守られるかどうかが掛かっているのであり、それを大切にしてくださるよう、心からお願い申し上げます。
竹原さんのご苦労には頭が下がりますが、この闘いは、正面から行くと、石井議員のように殺されます。たとえ自治労がひどかろうと、マスコミがひどかろうと、どうぞ、植木等のようにスチャラカと無責任に戦って下さい。阿久根市の運命が日本の運命を決めるといっても過言ではないと思います。
本当に東大は怖いところです。あまりに怖いので、添付のようなものを何年か前に書いてしまいました。
添付のようなものとは、次の「東京大学讃歌」のことです。
東京大学讃歌
(作・東京大学 安冨歩教授)
おお、東京大学よ。
魂のアウシュビッツよ。
傷の深さで選び出された血まみれの魂を迎え入れ、
念入りにその傷に塩をすり込み、
何も感じないようにして送り出す。
特に傷の深い者を選んで、
「大学院」という名のガス室に送り込む。
魂がピクリとも動かなくなったのを確認すると、
東京大学博士という戒名を与え、
安田講堂に集め、
ガウンを纏わせて埋葬する。
おお、東京大学よ。
魂の七三一部隊よ。
そこには世界のあらゆるものを、
生きたまま切り刻み、
「専門」に分割してみせる、
白衣の研究者が巣喰っている。
自らの生み出す言葉が、
真理を含まぬように注意深くより分け、
意味不明のたわごとだけを陳列する。
そしてマルタの魂から搾り取った真っ赤な血を、
ペンキの替わりに用いて、赤門を塗り立てる。
おお、東京大学よ。
魂のチェルノブイリよ。
そこは知識と霊感を生み出し、
人々に配信する発電所として建設された。
しかし、各人の頭脳に、
思考の制御棒を急速に挿入した結果、
炉心が溶解し、
放射能を垂れ流す死の石棺と化した。
そこから生み出されるのは、
知識ではなく単なる情報であり、
チェルノブイリ(にがよもぎ)
の汁で印刷されるのは、
世の人に劣等感を抱かせるための矛盾した言葉。
自らの権威を人間の選別によって確保し、
学歴コンプレックスという死の灰を撒き散らす。
そして意味の通じる言葉を話す世の人々を、
心の底から軽蔑し、「アッカンベー」をしてみせる。
【東京大学ロゴマーク】
日本の教育成功のシンボルはいまだに東京大学です。
この国は自分と仲間の利益のために何でも言う、何でもやるという人間作りをやってきました。思考と良心がつながった人間に育たないよう、教科や教科書を増やして、早く覚える競争させ、じっくりと取り組むことができないようにしてあります。例えば、英語の教科書を毎年変えるので、一冊も分からないまま中学、高校、大学を卒業する。教科書を無駄づかいする事は、公務員の退職後の天下り先確保につながるし、英語塾や教材業界が儲かるようになる。それを経済効果と呼ぶ。
このように、まったく教育的ではない動機で教育の仕組みが作られています。すべてがこの調子だから皆さんは無意味な勉強競争に苦しむのです。
東大教授のメールは福島原発事故が起こる約一年前です。政府は原発事故でも嘘を言い続けました。ほんとうに苦しい人びとを放置して、被災を公務員の利権につなげています。いまだに放射能の垂れ流しを続けていますが、予想された通り、子ども達に癌の集団発生が確認されても、それを隠し、原発の再稼動を進めています。もう、日本政府がこのような態度をする原因がわかりますね。
政府には少しも良心がありません。430年前、火薬を得るために女たちを奴隷商人に売り渡した。70年前は、自分たちだけ有利に生き延びようと、国民を原爆で焼き殺す人体実験に加担した。同じ精神性が続いているのです。
良心がないのは地位を得た政治家や官僚組織だけではありません。次は40年前、原発のお金に群がったおとなたちの様子です。
【1983年の「原発講演会」での高木孝一敦賀(つるが)市長の講演。(福井県)】
「そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりができるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!
……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)。
「(会場、大拍手)」には呆れます。呆れるけれども、このような国民が、今も、けっして少なくないというのを私も体験してきました。ほんとうに、なんということでしょう。
次は、戦争時代を生きた方の証言です。戦争の反省も嘘だとわかります。
戦争責任者の問題 伊丹万作
今度の戦争で 皆がみな 口を揃えてだまされていたという。 私の知っている範囲では おれがだましたのだ といった人間は まだ一人もいない。 いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。 だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。日本人全体が 夢中になつて互いに だましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
戦争中の 末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織が いかに熱心に かつ自発的にだます側に協力していたかを 思い出してみれば すぐにわかることである。 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、 ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこっけいなことにしてしまったのは、 政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。
私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶって出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。彼らは眉を逆立てて憤慨(ふんがい)するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の補強につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間を通じて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、 だれの記憶にも すぐ蘇(よみがえ)ってくるのは、 …すぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの 小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり… といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいて いやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつた。
……だますものだけでは戦争は起らない。だます者とだまされる者とがそろわなければ 戦争は起らない…… ということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても) 当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
だまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に 自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた 国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で 打破することができなかつた事実、 個人の基本的人権さえも自力で つかみ得なかつた事実と まったくその本質を等しくするものである。 そして、このことはまた、同時に あのような専横と圧制を支配者にゆるした 国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。 ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。
しかし今まで 奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、 彼らの跳梁(ちょうりょう)を許した 自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、 日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、 一切の責任から解放された気でいる多くの人々の 安易きわまる態度を見るとき、 私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」と言って 平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。 いや、現在でもすでに 別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
<心の闇の正体>
アメリカ政府は日本を占領するに当たり、ルース・ベネディクトという女性の文化人類学者に日本人の分析をさせました。その内容は『菊と刀』というタイトルで出版され、日本人分析の名著として知られています。彼女は日本人特有のこころの闇を解き明かしました。
以下、要約して抜粋します。
日本人兵は捕虜だけではなく、彼らの同胞に対しても虐待の罪を犯した。負傷兵については、捕虜であるアメリカ兵の方が日本兵よりもましな手当てを受けた。日本兵の名誉とは死にいたるまで戦う事。降伏せずに自決する事。万一、傷つき、気を失い捕虜になった場合でも、彼は「日本へ帰ったら顔をあげて歩けない」 あるものは殺してくれと頼んだ。「けれども、もしあなたがたの習慣がそれを許さないというのならば、私は模範的な捕虜になりましょう」と言うのであった。長い間、極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍の爆撃機に同乗して軍事目的に誘導した。
日本人にとって「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということの意味は身分制度に従うのを意味する。それはまず、家庭の中で習得される。価値観が体験によって作り上げられ、その倫理体系と礼式の中に形式化されている。特権の境界を踏み越えるのはけしからぬこととされている。国政においては「国民の世論」のための位置は与えられていない。国家は、アメリカで感じられているような、やむをえない害悪ではなく、日本人から見れば、国家は至高善に近いものである。「すべてのものをあるべき場所に置く」というのが、日本のモットーである。日本人の「恩」は返済しきることのできない債務、「徳」は積極的に報恩行為に身を捧げること。アメリカ人の自尊心は自分の事は自分で処理するという態度によるが、日本では恩を受けたと考える人に恩返しをするということに依存している。
世間体や立場に対する「義理」は日本では非常にきびしい。知らなくても知ったふりをせねばならない。知らないのを認めるわけにはゆかない。人間と仕事の極端な同一視が見られる。行為もしくは能力に対する批判は、自動的に人間そのものに対する批判となるので、日本人は自己防衛に汲々(きゅうきゅう)とする。本来の仕事に専念するかわりに、注意を相手との関係に向ける。日本人は、『人を汚辱(おじょく)するのは他人の言動ではなく、当人から出てくるものだけである』、というあたりまえの倫理を持っていない。
日本人は猛烈な努力と、無気力の間を大きく気分が揺れ動く。何事によらずあなたまかせの態度を取る事が安全な道であると考える。日本人の目標は世間の評価である。そのため、その場の事情にあわせて態度を一変させる。態度変更を道徳問題とは考えない。日本人から見れば、自分の属している世界で尊敬されれば、それでもう十分な報いである。彼らは人間堕落の教えを説かない。「人情」は非難してはならない。強さは義理に服従する事で示されると考える。ただ定められた掟(おきて)を遂行することに矛盾葛藤を感じない。
日本では名に対する「義理の掟」を徳行と考える。それが、いじめの習慣をはなはだしいものにしていると同時に、次の拷問者を作るのにつながっている。
親は子どもの無作法は責めるが、子供が『自分に対する正しさ』のために立ち上がる勇気を欠いた事は責めない。罪の大きさよりも恥の重大さに重きを置いている。日本人特有の問題は、掟(おきて)を守って行動しさえすれば認められるという安心感をたよりとして生活するように育てられてきたということである。
一度、アメリカに住んで、固苦しくない行動の規則を受け入れた日本人には、日本で送った窮屈な生活を再びくり返すなどということはとうてい考えられない。箱庭の盆栽仕立ての松は芸術品だったが、ひとたびじかに大地に移し植えられた松はけっしてかえすことはできない。あの庭園の装飾にはなれないと感じる。彼らは二度と日本社会の要求に応ずる事はできない。
<自分への正しさでつながる世界>
わたし達は、国家のとてつもない卑怯と嘘、無能を確認しました。国家の不正を見ないようにしてきたのは国民です。自分の評判に対する恐怖心で目隠しをしてきました。この恐怖のタネは家庭や集団での、からかい、いじめによって植えつけられ、『恩』や、繊細すぎるこころ遣いの『義理』によって育てられます。常に他人の希望を感じるよう気遣いする。これを日本では、和、秩序、団結、ルール、マナー、美、徳、お行儀などと呼んでいます。そこにあるのは、周囲の気づかいに抱かれた人が、理性や正義感を停止させ、『死んだ気に』なって、とにかく頑張るのが良い事という、とんでもない常識です。
『死んだ気』の人間がやる事はまったくの無責任です。そこを指摘しないのが『人情』ですから、政府のあらゆる組織には不正が蔓延しています。不正を拒否すれば『体面の破壊者』あるいは『裏切り者』『恥さらし』の烙印を押されてしまいます。こうして、ほとんどの日本人は、『自分に対する正しさ』のために立ち上がる勇気をくじかれています。
なんとなさけない事でしょう。わたし達は、恩や義理でつながれた世間体におびえ、集団の不正を感じないように習慣づけられ、国家の嘘に加担しています。これでは破滅するしかありません。日本では若い世代の自殺がたいへん多いのですが、その原因も世間体です。悲惨を繰り返さないためにも、箱庭の恩や義理とは決別しなければいけません。
すべての原因は単純に因習です。アメリカの固苦しくない行動の規則を受け入れだけで、すっかり意識が開かれてしまう例を見ればわかるように、これは心の病です。たいした痛みを感じることなく治療できます。まず、自分についての見方を変えましょう。持ち物や立場、職業はけっして本人そのものではありません。やがては、すべての財産、借金、名誉、地位など何も持たずにみんな死ぬ。そして忘れ去られる。それがわたし達です。
世間体におびえるという心の病を治し、『自分に対する正しさ』のために立ち上がる勇気を持ちましょう。どのみち、人生はほんのひとときです。世界の人びとは、日本人が持ち物や世間体からの自立を遂げ、ほんとうの友人になってくれるのを待ち望んでいます。
(了)
<プロフィール>
竹原 信一 (たけはら しんいち)
前阿久根市長。1959年、鹿児島県生まれ。元航空自衛官(88年退官)。阿久根市議を経て2008年、阿久根市長選で初当選。ブログでの情報発信や市職員の給与明細全面公開など数々の”掟破り”の手法で市政改革に取り組んだ。11年、市長リコールにともなう出直し選挙において864票差で敗れ失職。同年、鹿児島県議選に出馬するも落選。
知っておきたい日本の仕組み(1)ー(8)NET IB NEWS
元阿久根市長 竹原 信一
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/12/24558/1204_ib_tk01/
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http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/12/24558/1204_ib_tk08/
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