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石原慎太郎氏 毒吐き“らしく”引退「人から憎まれて死にたい」http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/12/17/kiji/K20141217009473440.html
衆院選で比例代表の東京ブロックで落選した次世代の党の石原慎太郎最高顧問(82)が16日、都内で記者会見し、政界からの引退を正式に表明した。作家として芥川賞を受賞後、35歳で政界入りして40年余り。「晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と述べた。今後はヨットレースへの出場や、若い芸術家の育成に力を入れるという。
衆院選落選から2日。石原氏は内幸町の日本記者クラブで会見し「キャリアの中で歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは、うれしい経験だった。晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」とサバサバとした様子で政治生活を振り返った。
公示前には「老兵は去るのみ」といったん引退を表明したものの、党内の若手に促され前言を撤回。比例東京ブロック最下位の9位で立候補した。同党は獲得議席も19から2と大幅減となった。
心残りについては「憲法が一字も変わらなかった」。次世代の党の敗北には「政党の名前としては問題がある。浸透しにくい名前だった。時間がなかった」と分析した。
日本維新の会をともに立ち上げた、維新の党の橋下徹共同代表について質問すると「彼は天才だ。あんなに演説がうまい人を見たことがない。うまさは若い時の田中角栄だし、迫力はヒトラー」とベタ褒め。「彼は再登場すると思うし、させなきゃいけない」と持ち上げた。
また、中国メディアから中国は嫌いかと聞かれると「嫌い!あんた方がチベットをなくしたんだ」などと気色ばんだものの、以前のような歯に衣(きぬ)着せぬ石原節をサク裂させることはなかった。
今後は「国内外の若い芸術家を育てる仕事をしたい」と述べるなど、新しい芸術に力を注ぐ方針で、体調面には問題ないとばかりに「元気ならヨットレースに出たい」と意欲を示した。ラストメッセージには「もうすぐ死ぬんでしょうけど、言いたいことを言って、やりたいことをやって、人から憎まれて死にたい」と締めくくり、ようやく“らしさ”を見せた。
≪一筆「光天充」≫日本記者クラブでは、会見した人は色紙に揮毫(きごう)する慣例がある。終了後、控室に戻った石原氏は「光天充(ひかりてんにみつる)」と記した。事務所によると、中国の詩人、白楽天の詩句にあり、昔から記している言葉という。
▼政治評論家浅川博忠氏 政界入りした石原さんは、高い人気から首相になる野心を持っていたものの、下積みを知らないままだったので党内に仲間をつくれず、国政では成功できなかった。批判されても、米国や中国に物申す強さはあった。心のよりどころは、都知事として一国一城の主となったこと。首相の夢を託した長男・伸晃氏も総裁選で敗れてしまい、その後は惰性で政治家をやっていたのではないだろうか。
[スポニチ 2014/12/17]
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石原慎太郎氏、「晴れ晴れ」政界引退会見「橋下氏は総理になる」
http://www.sanspo.com/geino/news/20141217/pol14121705030002-n1.html
次世代の党の石原慎太郎最高顧問(82)は16日、東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見し「晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と、衆院選で落選したのを受け政界引退を表明した。心残りを問われ「憲法が一字も変わらなかった」と述べ、「死ぬまでは言いたいこと言って、やりたいことをやって、人から憎まれて死にたいと思います」と“慎太郎節”で締めくくった。
芥川賞作家から1968年に政界に転身、以来舌鋒鋭く世論を刺激してきた石原氏。「キャリアの中で歴史の十字路に何度か立つことができたのはうれしい経験だった」と政治生活を振り返った。
政界引退は衆院解散時に「見回すと国会議員の最高齢者になっていた」と決意。次世代の党の若手議員に懇願され、比例の東京ブロックで名簿最下位で出馬したが、党は改選前の19議席から2議席と惨敗した。
敗因について石原氏は「党名が浸透しにくい名前だった。私は『新党ヤマト』でいけばよかったと思ったが、過ぎたことだから愚痴でしかない」と指摘。「名簿の最初に石原さんの名前があったら票数も違った。という人がいたが、それは分からない。もう選挙の結果はいいでしょう」と衆院選の話題を打ち切った。
それでも、2012年の前回衆院選で組んだ橋下徹氏(45)については「私の人生の中で、彼と知己を得たのは快事の一つ。総理になると思う。彼のように演説がうまい人は見たことがない」と評価。「国会で内閣を動かさなければ、大阪は持ち上がってこない」と述べ、国政進出に期待感を示した。
今後は「内外の若い芸術家を育てる仕事をしたい」と話した石原氏。会見では尖閣問題で突っ込んできた中国メディアに「けんかをしかけているのは向こうだ。頭を冷やした方がいいよ、シナの人は」とやり返す一幕もあった。引退はしたが、今後も“ご意見番”として大いに活躍してくれそうだ。
[SANSPO.COM 2014/12/17]
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最後まで慎太郎節!政界引退会見で「橋下は若い時の田中角栄、ヒトラーだ」
http://www.hochi.co.jp/topics/20141216-OHT1T50197.html
衆院選比例東京ブロックで落選した次世代の党・石原慎太郎最高顧問(82)が16日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、政界引退を正式表明した。1968年の参院初当選から46年にわたる政治家人生に終止符を打った心境を「死ぬまで言いたいこと言って、人から憎まれて死にたい」と吐露するなど、最後まで“慎太郎節”を炸裂(さくれつ)させた。
足元を気にしながら、ヨロヨロと登壇する姿が引退の真実を物語っていた。冒頭、慎太郎氏は「50年以上も政治に携わって参りました(実際には初当選から46年)が、今度の選挙でああいう結果になって引退の決心を致しました」と思いを語った。
最高顧問として率いる次世代の党が19議席から2議席に減らす大惨敗を喫した衆院選から2日。自らも立候補したが、比例最下位での出馬は事実上の引退宣言だった。「仲間に対する最低限の義理は果たせました。落選という形で討ち死にするのも一つの宿命」と殊勝に語りつつ、敗因を問われると「党名が浸透しなかった。『新党富士』とか『新党ヤマト』が良かったけど、富士はリンゴがあって、ヤマトは『宇宙戦艦ヤマト』で重複するとかで」と笑った。
1968年に参院議員として政界入りして46年。歯に衣着せぬ物言いで物議を醸し続けてきたが、やはり最後まで慎太郎節を炸裂。中国メディアから「中国嫌いですか?」と問われると「嫌い!」と即答し「共産中国、好きな人はいない。あんたがたがチベットなくしたんだ!」とカミついた。
一方、分党前に共闘した維新の党・橋下徹共同代表については「彼は天才。あんなに演説がうまい人はいない。若い時の田中角栄、若い時のヒトラーだね」とビミョーな表現で絶賛。そして「(今選挙は)出るべきだった。前日まで電話して口説いたけど『風呂敷を広げすぎたので畳みます』と言うから『君は大阪という井戸を出て国会から日本という大海を見ろよ』と言った」と舞台裏を明かした。
別れ際に「間もなく死ぬんでしょうけど、死ぬまで言いたいこと言って、やりたいことやって、人から憎まれて死にたい」と言い残した82歳。今後について「生きてて元気なら、来年もヨットレースをしたい。好きな海ですから」と笑顔も見せていた。
【石原慎太郎氏の政界での足跡】
▼1968年 参院選全国区に出馬し、史上初の300万票を獲得してトップ当選
▼72年 くら替えし、衆院選旧東京2区で当選
▼75年 衆院議員を辞職し、東京都知事選に出馬するも落選
▼76年 衆院選で当選し国政復帰。福田赳夫内閣で環境庁長官(当時)に就任。竹下登内閣では運輸大臣を務めた
▼95年 衆院議員を再び辞職
▼99年 都知事選に出馬し当選。以降4選
▼2012年 都知事を辞職し、太陽の党結成。直後に日本維新の会に合流して共同代表に。衆院選比例東京ブロックで当選し、国政に復帰
▼14年 日本維新の会を分党して次世代の党結成。衆院選比例東京ブロックで落選し、政界引退
[スポーツ報知 2014/12/17]
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