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高市早苗はいかにして“ネオナチ”と出会ったか──「行動する保守」の源流
http://lite-ra.com/2014/12/post-701.html
2014.12.12. リテラ
第2次安倍内閣改造の前日、最初に話題となった高市早苗と稲田朋美と西田昌司の写真に写っていたスーツ姿の中年男性は山田一成(52歳)といって、ネオナチである。
注意すべきは、この場合の「ネオナチ」とは極右思想を持つ者を比喩的にそう呼んでいるのではなくて、山田が文字通りの日本版ネオナチ組織、国家社会主義日本労働者党(Nationalsozialistische Japanische Arbeiterpartei=NSJAP)の党首であるということだ。
党名の欧文表記がドイツ語になっていることからもわかるように、かつてのいわゆるナチ党すなわち国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=NSDAP)をそのまま戦後の日本に再現した組織である。当然、ヒトラーの思想を信奉し、反ユダヤ主義であり、自らの思想を石川準十郎をはじめとした戦前の国家社会主義者の正当な継承者であるとする。山田は言う。
「今岡十一郎が提唱したツラン人種(ウラル=アルタイ系)の理論に基づき、我が人種の優越性を主張する」
「ツラン人種」の優越性と連帯を訴える運動をツラニズムといい、これは戦前にシベリア〜満洲の支配を正当化する理論としても使われたもので、「インド・ヨーロッパ語族に含まれない、日本人、フィンランド人、ハンガリー人、トルコ人などのユーラシア大陸に居住する諸民族の連帯を呼びかけた思想・文化運動」であった( 大山千恵子「ハンガリーにおける日本語教育史概観」/『国際開発研究フォーラム』23, 2003年)。日本におけるハンガリー語研究の大家である今岡十一郎(1888〜1973)は、このツラニズムを日本で展開した人物だ。
しかし、ツラニズムは今岡十一郎が提唱したものではなく、また今岡が人種主義思想を持っていたわけでもない。今岡はこのツラニズムをハンガリーと日本の相互交流・友好運動として実践したのであり、山田がNSJAPの人種優越思想を説明するのに今岡の名を引き合いに出しているのは全くの牽強付会・我田引水である。
要するに、反共・反ユダヤ・排外主義・国粋主義に縄文回帰思想などが交じり合ってぐちゃぐちゃになったトンデモ集団がこのNSJAPなのだが、この団体は海外のネオナチ組織とも交流があり、また、現在の「行動する保守」の源流のひとつにもなっているのだ。
「行動する保守」とは、在特会をはじめとした嫌韓・嫌中レイシズムを基盤にさかんに街頭行動を行う一連の勢力を指す。この名称は、行動保守と略されることも多い。その始祖のひとりが主権回復を目指す会の西村修平で、在特会の行動スタイルにも大きな影響を与えた彼は実は毛沢東に強い影響を受けている。いわば、極右思想のもとに文化大革命と紅衛兵を再現しようとしていた人物だと言える。
そしてもうひとつの源流が、山田一成らの国家社会主義思想、すなわちネオナチズムなのだ。NSJAPのウェブサイトのコピーライト表記が©1982-2012となっているようにこの団体が発足したのは今から30年以上も前だとされているが、実際に表舞台で話題になったのは90年代に入ってからである。
91年、山田一成のNSJAPは、民族思想研究会や世界戦略研究所など4つの団体からなる国家社会主義者同盟の一員となる。この世界戦略研究所とは、瀬戸弘幸の団体だ。瀬戸は西村修平と並んで行動保守の親玉、ボスキャラとも言える立ち位置にいる人で、今でも自ら「極右」を名乗り、行動保守系のデモなどにしょっちゅう顔を出している。2000年代終わり頃「ネット右翼を組織する」と明言して、2ちゃんねるやミクシィなどに積極的に進出していたのも彼で、それまでネット上の蔑称にすぎなかった「ネット右翼」という言葉を、IT世代の右翼思想を担う勢力として肯定的に使っていた。このことに衝撃を受けたのを私は覚えている。
山田と瀬戸が90年代初頭に何をしていたかというと、東京に多く滞在していたイラン人の排斥である。92年にビザの相互免除協定が廃止されるまで、イラン人はノー・ビザで日本に入国することができ、ちょうど88年のイラン・イラク戦争終結後から90年代にかけて、日本にやってくるイラン人が急増した。休日には代々木公園や上野公園に多くのイラン人が集まり、イラン料理や海賊版の映画ビデオや音楽カセットを売る屋台なども出て賑わっていた。そこに街宣車で乗り付け、ときに暴力を使って彼らを排斥していたのが山田や瀬戸らのネオナチだったのである。
この国家社会主義同盟および山田のNSJAPの活動は、テレビのニュース番組などでもしばしば取り上げられ、長尺のドキュメンタリー番組が放送されたこともある。その多くは、「日本にもネオナチ思想が登場」として奇異なものを見るような視点で興味本位に取り上げるものだったが、その背景には、少しずつ力を増しつつあった右派言論の存在があった。
89年の東欧革命が91年のソ連崩壊にいたったことで東西冷戦は終了し、「共産主義は失敗だった」「左翼思想は終わった」という雰囲気が支配的になっていた。日本ではそれまで主流だった左派リベラル言論に対抗するオルタナティヴとして、右派/極右言論が台頭しはじめていた。たとえば1992年の風の会結成と野村秋介の選挙出馬、そしてその野村が翌年、朝日新聞社屋内で衝撃的な拳銃自殺を遂げたことなどの社会的インパクトは大きかった。
野村秋介はテロリストではあったがレイシストではなく、アウトロー出身のインテリ右派論客として『朝まで生テレビ』などでも人気を博していた。朝日新聞や朝日新聞的なものについて冷静な語り口で論理的に批判する彼の姿は、一水会の鈴木邦男とともに、黒塗りの街宣トラックと特攻服という従来の「右翼」のイメージとはかけはなれていた。「右翼は思っていたほど怖くなさそうだ」というパブリックイメージの形成は、この頃に始まったのではないかと思う。
何よりも私自身が、野村秋介の著作を新鮮な気持ちで読んだし、石原慎太郎陣営の黒シール事件において新井将敬を徹底的に擁護し、石原を厳しく批判した彼の姿勢に大きく感銘を受けた。「レイシストをしばき隊」にも、 毎年10月20日、野村の命日に行われる追悼集会である群青忌に出るような野村秋介の信奉者は何人かいてみな右翼を自称していたが、私から見れば天皇に関する立場以外、どう見てもリベラルでしかないような人ばかりである。
野村が朝日新聞社屋で自殺した翌年の1994年、NSJAPがニュース番組や雑誌記事に取り上げられたりするなかで出版されたのが、当時自民党東京都連の広報部長であった小粥義雄の書いた『ヒトラー選挙戦略』という本であった。これも今年9月にネット上で大きな話題になったので覚えている方も多いかと思う。高市早苗が推薦コメントを寄せていたあれだ。この本はイスラエル大使館とサイモン・ウィーゼンタール・センターからの抗議によって発売後まもなく回収となり、その後市場からは姿を消した。
もっとも、このことをもって当時から高市がネオナチ思想にかぶれていたとは言えない。当時の彼女は政治的には保守リベラルで、自民党員ですらなかった。彼女がタカ派として知られるようになるのは2000年代なかば、小泉郵政選挙の頃からである。私は本の内容は未読だが、高市がコメントを寄せた詳細な宣伝パンフによれば、この著作それ自体も「悪者のように言われているナチスにも優れた部分はあった」式の論調で、つまりは既存の価値観や見方から自由になって極右やナチスを再評価しようという動きの一端であった。文字通りの見直し=revisionだが、それが歴史修正主義(revisionism)への第一歩であったことは、その後日本が辿った20年間が証明してしまったのではないか。
人種優越主義を掲げ外国人排斥を訴えるヒトラー主義者が街頭でイラン人に暴力を振るい、野村秋介を始めとした新右翼が政治言論に進出し、自民党幹部がヒトラーの選挙戦略に学ぼうという本を出す。90年代前半はそういう時代だった。
そして1995年。
この年は年頭に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件という、2つの大きな事件が日本の社会を揺るがしたことで記憶されているが、実は右翼と歴史修正主義の台頭という面でもエポック・メイキングな年だった。サリン事件直前の2月に「マルコポーロ事件」が起こり、年末には魚谷哲央を代表として維新政党・新風が結成されるのである。新風の現代表・鈴木信行はVICE JAPANが今年製作したビデオ映像の中でも山田一成と対談し、「共闘していく」と語っている。この維新政党・新風は、後の2007年に瀬戸弘幸を参院選候補者として擁立し、その年の末には副代表に据えている。
2014年になって、それまで日章旗と旭日旗が掲げられていた「行動保守」のヘイト・デモに、堂々とハーケンクロイツが掲げられるようになった。これらのデモを主催しているのは、その瀬戸弘幸の弟子にあたる「NPO法人外国人犯罪追放運動」理事長有門大輔とその周辺の人物たちである(名目上の主催者はその都度変わる)。この有門大輔は、94年にテレビ放送された国家社会主義者同盟のドキュメンタリーを見て上京し、瀬戸に師事するようになった人物だ。すなわち、90年代に台頭したネオナチは現在まで脈々とその勢力をつないでいて、現在のヘイトスピーチ問題の中心的な位置で活動しているのである。
高市早苗は、マスコミの取材に答えて「山田一成がどんな人物か知らなかった」「不可抗力だ」と弁明した。しかし政治とあまり関係のない一般人ならともかく、自分が政界に進出したちょうどその頃にマスメディアで社会問題として取り上げられていた新興ネオナチ勢力を「知らない」ということがありうるのだろうか。また、この面会は雑誌『撃論』(オークラ出版)の取材として行われたものだったが、この『撃論』はいわゆるネトウヨ雑誌で、在特会の桜井誠の対談記事や原稿を頻繁に掲載していたものだった。少なくとも彼女が山田と会った2011年の段階では、こうした雑誌の取材を受けることを不可とはしなかったのであろう。
山田についてはNSJAPの代表という顔とともに、雷韻出版という出版社の社長であるという顔もあった。この出版社は、2000年頃に自民党の依頼で対共産党謀略本を出版したという前歴もある。仮に高市や稲田が山田の顔を知らなかったとして、自民党幹部が山田一成を認識していないということはありえない。次回はこの山田とともに写真に収まったもうひとりの閣僚、稲田朋美が「ネット右翼」的にどんな需要のされかたをしてきたかを見てみたい。
(野間易通)
■野間易通プロフィール
1966年生まれ。フリー編集者。首都圏の反原発運動を経て、2013年1月に「レイシストをしばき隊」を結成。排外デモへのカウンター行動の先陣を切る。13年9月にしばき隊を発展的に解散。新たに反レイシスト行動集団「C.R.A.C.」(Counter-Racist Action Collective)として活動を続ける。著書に『金曜官邸前抗議』『「在日特権」の虚構』(ともに河出書房新社)などがある。
【C.R.A.C.野間易通「ネット右翼の15年〜『自由』が民主主義を壊していく」連載まとめはこちらから→(リンクhttp://urx2.nu/fa2q)】
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