http://www.asyura2.com/14/senkyo175/msg/893.html
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《表の見方》 △は「優勢」、▼は「あと一息」。(本紙分析)。 ※自=自民党、共=共産党、生=生活の党
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20141208/plt1412081529005-n1.htm
2014.12.08
生活の党の小沢一郎代表は6、7両日、自身が立候補している衆院岩手4区で約30年ぶりの本格遊説に臨んだ。小沢氏は選挙活動を秘書らに任せてきたが、対抗馬である自民党の藤原崇氏の猛追に危機感を感じ、異例の“ドブ板”に打って出た格好だ。大きく揺らぐ「小沢王国」を歩いた。
「大変厳しい選挙でございますので、どうか皆さんのお力で、何とか勝ち抜くことができるよう、もうひと働きさせて頂けるよう、心からお願い申し上げます」
7日朝、岩手県奥州市のJR水沢駅近くの選挙事務所前。前夜から未明にかけて降り続いた雪が残る道端で、ビール箱の上に立った小沢氏が切々と訴えかけた。
小沢氏は6、7両日、選挙区内の30カ所でマイクを握った。2012年衆院選の終盤にも4区入りして街頭演説に臨んだが、選挙戦中盤に、しかも丸2日間かけてみっちり地元を回るという今回の遊説日程には、並々ならない危機感がにじむ。
雪が舞い、気温が氷点下になる時間帯もあったが、コートや手袋は身につけない。どの場所でも、10分前後の演説を終えた後は、一人一人と握手を交わしていった。
「米価も下がってますよね? これは安倍晋三政権の象徴です。党首が集まった(討論会の)中でもね、農業のことを言ったのは私一人だ」
農山村での演説では、農業政策への自身の姿勢をアピールすることを忘れなかった。
2日間の遊説には民主党岩手県連の高橋元(はじめ)幹事長が同行し、野党共闘も演出した。小沢氏は「これを大きな契機とし、全国的に、全政党的に、1つの連合体を作っていきたい」といい、衆院選後の野党再編への意欲を示した。
一方、水沢駅近くでの小沢氏の演説直後、2駅離れたJR前沢駅付近では自民党の藤原氏の演説会が開かれていた。
「藤原さんは31歳ですよ。あと20年、30年、いやあと40年、皆さんとともに歩めるんです!」
応援に駆けつけた大島理森前副総裁は、今年72歳を迎えた小沢氏を念頭に、藤原氏の「若さ」を聴衆に訴えた。応援演説に立った県議も「藤原氏は選挙のときだけ帰ってくる方とは違う」と声を張り上げた。
ただ、人の集まりはお世辞にもいいとは言えない。ざっと見たところ40人程度だ。小沢氏の場合は、市街地で百数十人、山間部でも70〜90人を集めていた。「父親の代から応援しているよ」「久しぶりだなぁ」と笑顔で小沢氏の肩をたたく高齢者らの姿は、「王国」の底力を感じさせる。
しかし、地盤沈下は確実に進んでいるという。奥州市幹部が解説する。
「かつては小沢氏寄りだった県議の一部が、藤原氏支援に回っている。地元経済界にも藤原氏を推す動きがある。今回の地元遊説は、小沢氏の焦りの表れだろう」
藤原氏は12年衆院選で小沢氏に敗れたものの、約3万票差まで詰め寄り比例復活で初当選した。小沢氏の得票は7万8057票で、09年の13万3978票から4割以上減った。永田町では「比例復活を許した時点で、『選挙の小沢』の虚像は崩れた」(民主党中堅)との見方がもっぱらだ。
藤原陣営関係者は「今回は接戦に持ち込める。何が何でも(藤原氏を)比例復活でなく選挙区で勝たせる。岩手を変えるための象徴区が4区だ」と鼻息は荒い。9日の安倍首相の4区入りを起爆剤に、一気に攻勢をかける構えだ。
「剛腕」の異名をかけた崖っぷちの戦いが天王山を迎える。 (松本学)
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