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農業、復興、脱原発…晩年も貫いた“文太流”、積極的に社会活動
http://www.sanspo.com/geino/news/20141202/oth14120205050010-n1.html
無骨だが、男気あふれる“文太兄ぃ”。日本男児があこがれた文太さんが先月28日にこの世を去っていた。「仁義なき戦い」「トラック野郎」などシリーズ化した主演映画で型破りなアンチヒーローを骨太に演じてきた名優は、私生活でも頑固に不器用に信念を貫く男だった。晩年は農業に取り組み、昨今の政治を「『仁義なき−』より程度が悪い」などと“文太節”で斬ることもあった。
社会からはみだしたアンチヒーローを豪快な演技で体現し、新たな任侠スター像を築いた文太さん。劇中で直情的に殴り込みをかける姿は荒々しいが、私生活では不器用に信念を訴え続ける“頑固オヤジ”でもあった。
1981年には父親の復権を訴える「雷おやじの会」を結成し、社会・教育活動に積極的に携わってきた。
98年には東京から岐阜・清見村(現・高山市)に移住。“やくざ”のイメージからかけ離れた田舎暮らしを、のんびり楽しんでいた。
下積み時代の65年に結婚した妻、文子さんとの間には3人の子供に恵まれ、家族思いの父親だった。2001年10月には長男で俳優の加織さんが電車にはねられ、亡くなった際には「もう仕事はしたくない」と憔悴しきった表情で語るなど、悲しみにうちひしがれた。
そんな逆境を乗り越え、09年には農業政策をアピールするため山梨・北杜市に農業生産法人を設立。トマトなどの野菜を自ら作り、「食糧危機が来てからでは遅い」と農業の重要性を説いてきた。
また故郷の仙台市も襲った2011年の東日本大震災後は、積極的に被災者の思いを“代弁”。震災の影響で俳優活動を控える休業宣言を行った12年には、政治支援グループ「いのちの党」を結成。原発や特定秘密保護法案に反対する活動にも取り組み、12年の衆院選では脱原発を掲げた新党「日本未来の党」を支持した。
今年2月の東京都知事選では細川護煕元首相(76)の支援演説を行うなど、最後まで“日本の未来”を考え熱心に社会活動に参加。銀幕では任侠、私生活では頑固オヤジとキャラクターは違ったが、一本気な魂は同じだった。
[SANSPO.COM 2014/12/02]
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