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田中康夫氏に聞く 「33年後のなんクリ」で描いた日本の今
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155339
2014年12月1日 日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ本紙でも長らくコラムを連載していただいた作家の田中康夫さん(58)は、常に、「次の行動」が気になる人だ。鮮烈なデビュー作、「なんとなく、クリスタル」がもたらす、「なんとなく軽い」イメージが強い人もいるかもしれないが、実像は違う。「なんクリ」の作者はその後、長野県知事になり、脱ダム宣言をし、参院、衆院の議員を務め、新党も作った。その政治活動の根幹にあったのは、日本の行政の常識、既得権への挑戦であり、効率化がすべてという新自由主義に対する懐疑だった。その作者がつい最近書いた小説が「なんクリ」の続編、「33年後のなんとなく、クリスタル」だ。33年間で日本はどう変わり、主人公たちはどこへ行くのか。彼らのセリフを通して語られる日本の今後が興味深い。
■あり得ない大本営発表がまかり通っている
――33年前の「なんとなく、クリスタル」を読んでいない読者もいるでしょうから、最初に説明させてください。「なんクリ」のヒロイン、由利は女子大生であり、モデル。1980年代の繁栄を一身に受けていたような主人公でした。物語には442もの注釈があり、NHKを〈大日本帝国(大和、日本交通、帝都、国際)以外のタクシーの客待ちはお断りする、開かれた国営放送局〉と書くなど、非常に皮肉が効いていました。その巻末には「人口問題審議会『出生率動向に関する特別委員会報告』」と「厚生白書」がさりげなく出てくる。出生率の低下と人口減少率、老年人口比率の上昇、厚生年金保険料のアップの政府見通しが記されていて、この辺が表層的な小説に見えて、実は非常に暗示的でした。作家のなかにし礼さんは田中さんが当時から〈現在の貧困日本を読み解いていた〉と書いています。それだけに、今度書かれた「33年後」の中で、登場人物が語ることも暗示的で興味深かった。50歳になった由利ら「なんクリ」の登場人物たちが、さまざまな日本の「おかしさ」を語るわけです。なかにしさんは「現代の黙示録」と評していますね。
33年前、人口減少の資料を巻末に載せたのは、僕にとって衝撃的だったからです。いま振り返ると、その予測数値すら実は楽観的だった。でも当時も、“地頭”を持った人たちは、『量の拡大から質の充実』へと認識を改め、選択を変えねば日本は立ち行かなくなると感じ始めていたはずです。
――違う価値観を見いだせなければ、行き詰まってしまう。そんな感じでしょうか。だとすると、人口減少率が暗示していた危惧というか、33年前の直感が今、まさしく、当たっているんじゃないですか?
中内功さんや堤清二さんと80年代半ばから幾度もお話する機会がありました。「お国のために」が前面に出て、流通が消え配給になると戦争の時代だ、と中内さんは「よい品を、だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える流通革命」を目指した。堤さんも売春と麻薬、そして武器は扱わないのが流通だと語っていた。でも、その2人が亡くなり、今の流通は消費者のためでなく、自分たちの陣取り合戦のために価格競争をしていて、M&Aを繰り返している。永遠の右肩上がり、拡大戦略が続くわけもないのにね。
――ところが、今の政府は拡大が続けられるという前提を妄信していますね。「33年後」にも膨大な注がありますが、その最後に最新の人口推計の政府見通しの資料がついていました。それを見ると、人口減少は33年前より、はるかに深刻化しているのがわかります。その同じページに、田中さんはまたさりげなく、2014年6月に閣議決定された骨太方針を載せている。そこには「50年後にも1億人程度の安定的な人口構造を保持することができると見込まれる」と書かれているんですね。驚きましたよ。こんな絵空事が堂々と骨太方針になっているんですね。
2.07の出生率を維持して初めて人口は横ばいです。日本は1.43(2013年)。事実婚を認めてEUトップのフランスでも2.01。50年後に1億人維持なんて、ありえない話です。
【記者クラブは「大義なき選挙」を批判できるのか】
――そういう摩訶不思議な政治について、「33年後」では50代になった登場人物たちが冷徹に語りあう。
「なんクリ」を書いた時には「地に足がついていない」と評された主人公たちです。でも、彼女たちの方がよっぽど地に足がついているのではないか。そうした物語を書きたかった。日本は大本営発表の1億人を妄信し続けるのか。スローフードの生活を送るフランスやイタリアのように6000万人前後でいくのか。国民への問題提起すらなく、年間20万人の移民受け入れを、首相が議長の経済財政諮問会議は公然と議論している。年間1000億円も投じて重篤な副反応が社会問題化している「子宮頚がんワクチン」も同様。ワクチンよりも検診が大切だと英国や米国では8割もの女性が検診を受けているのに、日本は2割台。厚労省は働き掛けもしないでしょ。
――その疑問を「33年後」の主人公たちも語っていました。
今回の総選挙で、いずれの政党が掲げている政策、論点よりも実は、彼女たちの議論の方が地に足がついているような気がしませんか。私自身、たまたま知事をやり、たまたま議員になった。政治や行政は国会や役所の専有物ではない。だけど、官対民という二項対立からは何も生まれないのです。官僚とてローンを抱え、子育てに悩む一人の国民。「国柄」を声高に語る面々だってね(苦笑)。その彼らにいま一度、国家益の前に国民益があってこそ、富国強兵ではない富国裕民の日本が実現するのだと気付いてもらわないとね。相変わらず護送ならぬ「誤送」船団体質の記者クラブは「大義」があるだのないだの、不毛な二元論に終始しているけど、その前に絵空事の大本営発表1億人構想に疑問を挟まない思考回路でいいのか。しかし、そのことを誰も指摘しない日本って奇っ怪ですよ。
――疑問を挟まないといえば、市町村合併をすれば、行革になり、サービスが向上するという虚構もまかり通っていますね。この辺も小説に出てくる。
平成の大合併で3229が1718になって、行政サービスは上がったのか。フランスには3万6000ものコミューンがある。米国ですら8万もの自治体。この国のかたちではなく、あり方が問われている。なのに「地方創生」と題して集落を統合する最近のコンパクトシティー論も、要は新たな箱モノ行政。だから霞が関も大賛成なのです。
――「33年後」ではネット社会の落とし穴みたいなことも示唆されていますね。IT化とともに、世の中、効率化がすべてに優先されるようになった気がします。
市場で数値に換算できないものは価値ゼロというのが金融資本主義。でも、近頃横行している空威張りの文化や伝統とは違う、人間の体温が感じられる社会や家族の人間関係や文化・伝統こそ育むべき。その意味では“これまでの・いまの・これからのニッポン”を、前作からの登場人物と今回登場するヤスオが語り合う「マニフェスト」ですね。
――注の中に「いちば」と「しじょう」の違いが出てきます。〈人と人の相貌(かお)が見える。体温を感じられる。それが「いちば」=リアル(真実)。他方で「しじょう」は相貌が見えにくい。体温も低めだ〉と書かれている。
既存政党や組合のようにこぶしを振り上げるのでなく、「怯まず・屈せず・逃げず」の心意気で新自由主義をメルトダウンさせていく。古文の授業で習ったように日没前は「誰そ彼時=たそがれどき」、日の出前は「彼は誰時=かわたれどき」。夕焼けの名残の赤みは、夜明け前の感じにも似ています。これは我々が新しい夜明け前に向かって歩む物語なのです。
▽たなか・やすお 1956年生まれ。一橋大法卒、在学中に「なんとなく、クリスタル」で文藝賞。その後、石油会社勤務を経て文筆活動へ。2000年から長野県知事を2期務め、その後、参院議員、衆院議員。2012年の衆院選で落選した。
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