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記者会見を終え、会場を後にする生活の党の小沢一郎代表=24日、盛岡市(原川貴郎撮影)(写真:産経新聞)
さびた剛腕…哀愁「何とか一郎さん」 新党構想不発、側近離党促す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00000078-san-pol
産経新聞 11月27日(木)7時55分配信
生活の党の小沢一郎代表が苦しんでいる。衆院解散直前まで模索した新党構想は不発に終わり、側近らに離党を促す窮余の策に出た。生活の党も自らも展望がないことを証明したようなものだ。47歳で自民党幹事長に上り詰め、「剛腕」の名をほしいままにした小沢氏は「過去の人」になりつつある。(原川貴郎)
「今回の選挙は政権交代を目指す選挙戦にはならなかった」
24日、岩手県一関市内で開かれた生活の党岩手3区総支部の会合。小沢氏は挨拶で、今回の衆院選について早くもこう語った。こんなことを言うのも、自ら目指した最善の形が実現しなかったためだ。
◆「壊し屋」過去のこと
政党の離合集散で常に中心にあり、「壊し屋」ともいわれた小沢氏だが、ここ数年は思い通りに物事が進まず、政治力も確実に低下している。
平成24年7月、消費税増税に反対し、民主党から約50人の議員を引き連れて「国民の生活が第一」を結成した。増税反対で民意をつかめると踏んだのだが、そういう見通しがないと分かると、同年11月の衆院解散を受けて、当時の嘉田由紀子滋賀県知事を口説いて、日本未来の党(代表・嘉田氏)の結党に参加、原発ゼロを目指す「卒原発」を掲げて衆院選に臨んだ。それでも惨敗した。
直後に嘉田氏側と対立し、未来の党は空中分解。小沢系が居残る形で名称を生活の党に変えた。
今回、衆院解散の気配をいち早く察知した小沢氏は民主党などを巻き込んだ野党統一戦線の形成を模索した。狙いは「選挙協力や選挙区調整よりも、最も効果が出る新党の結成」(生活幹部)だった。だが、小沢氏が絡む新党構想に、多くの野党幹部らは警戒した。
次善の策として、小沢氏を除くメンバー全てを民主党に復党させる計画も浮上したが、これも頓挫。個々の選挙区事情に加え、民主党側が小沢氏に近いメンバーを全て受け入れるはずもなかった。
時間切れと判断した小沢氏は「政治生活を続けていくため、自分の思う一番いい方向に進んでよろしい」と党所属議員に通告し、離党を容認する考えを示した。「仲間が別の政党で議員として生き残れば展望が開ける可能性がある」(別の生活幹部)というわけだ。
◆民主になお秋波送る
「民主党が旗を振って野党の統一戦線をつくらなくちゃいけないということは最初から言っている」
24日、盛岡市内で記者会見した小沢氏は、民主党になおも秋波を送った。
だが、輿石東参院副議長ら一部を除き、民主党側に現在の小沢氏を評価する向きはない。
岡田克也代表代行は26日発行の夕刊フジの特別インタビューで、生活幹事長だった鈴木克昌氏らの民主党への移籍を決めた小沢氏との会談について「小沢氏の復党という話は一切ない」と語っており、党内に「小沢アレルギー」がいかに強いかをうかがわせる。
「ここは日本の政治を牛耳ってきた、ある政治家の党の部屋です。何とか一郎、誰だか分かるかな?」
21日、衆院解散を直後に控えた国会議事堂内で、国会見学の小学生らを案内していた民主党のある衆院議員(当時)は、生活の党控室前でクイズを出題した。その言いぶりは、もはや小沢氏を「過去の人」と言わんばかりだった。
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