03. 2014年11月26日 06:40:44
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山崎元のマルチスコープ 【第356回】 2014年11月26日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員] アベノミクスと日本の「中間層」の行方を考える アベノミクスを「評価しない」派も多い 実質賃金マイナスで選挙に勝てるのか? 安倍首相が「アベノミクス解散」を発表し、投票日は12月14日だが、事実上の選挙戦がスタートした。争点が経済政策であることは間違いないのだが、この点で気になる世論調査データがあった。 日本経済新聞とテレビ東京によるものだが(11月21日〜23日に実施。記事は『日本経済新聞』11月24日朝刊)、アベノミクスについて「評価しない」が51%で、「評価する」の33%を上回っているという。 雇用は改善したし、株価も上がった。アベノミクスは評価されていて当然だと安倍首相は思っているだろう。仮に、筆者が調査のサンプルに選ばれていたなら、「評価する」と答えたであろう。 しかし、考えてみると、金融緩和による物価の上昇に加えて、消費税率が5%から8%に引き上げられており、多くの勤労者の賃金の伸びはこれらの合計に追いついていない。多数の有権者の実質所得が低下しているときに選挙に持ち込んで、果たして与党が勝てるものなのだろうか。 自民党が予想外に大きく議席を減らすことがあるとすれば、この問題を過小評価して解散を決めたことに原因が求められるかもしれない。「アベノミクスに対する信認が揺らいだ」と評価されるような結果が出た場合、経済政策が再び混乱するリスクがある。現段階でその確率が大きいとは思わないが、経済的には気にしておくべき「下方リスク」の1つだ。 いわゆるタラ・レバの議論になるが、4月の消費税率引き上げを見送った上での総選挙であれば、こうした心配はなかった。しかし、官僚集団と安倍政権との力関係から考えて、これは無理だったのだろう。 現時点で選挙は公示されていないから、予想を述べることが許されよう。総選挙に関して筆者は、安倍政権に対する批判と、まだ有権者の記憶に残る民主党政権の不出来とがお互いに引っ張り合うが、野党の選挙準備が不十分であるぶん、与党が優勢だと考えている。 その他の政策も全て含めて安倍政権を支持するわけではないが、アベノミクスはその路線が継続されるべきだと考えている。 実は割を食うアベノミクス 中間層の生活は改善するか? 本欄でも過去に書いたが、アベノミクスは政策の波及順序として、はじめの段階では、資産を保有する富裕層と、雇用が得られたり時給が上がったりすることで労働市場の弱者層とがメリットを得る一方で、中間層の実質賃金が低下する、「中間層が割を食う」政策パッケージだ。 ここで「中間層」とは、主として「雇用と給料が安定している勤労者」のイメージだ。年齢や家族構成、居住地域などによって中間層と感じられる所得は異なるだろうが、世帯主が正社員で年収400万円以上、というくらいのサラリーマン世帯を想定している。 年収が高くても、管理職でも、ストックオプションを含む株式や不動産を億円単位で持っていない方は、経済構造的には中間層の仲間と考えてよかろう。 アベノミクスにあっては中間層は、経済がほぼ完全雇用になるまで、いったん実質賃金が下がった後に経済の生産性が改善して、これが実質賃金に反映して来ない限り報われることのない仕組みになっている。 そのための政策的な手当が「第三の矢」であるという触れ込みだったのだが、今のところ、政府の成長戦略にあっては目覚ましい成果が上がっているとは言い難い。 さらに言うと、仮に大胆な規制緩和が決まっても、これが経済全体に好影響を及ぼすようになるためには、どの施策も年単位の時間がかかる。 政治的な文脈で考えると、「中間層の反乱」によってアベノミクスが頓挫する可能性は、無視できるほど小さくない(だから異例の「首相の賃上げ要請」に及ぶのだろう)。 とはいえ、生産性の改善以上の実質賃金の向上を企業に強要すると、雇用はかえって減ってしまい、今度はデフレ脱却が頓挫しかねない。経済の生産性を高める方策を加速する以外に、中間層をも満足させる成果を得る方策はない。 安倍政権は、こうした事情を国民に正確に説明すると共に、今回の総選挙を成長戦略のための施策を実現するための起爆剤として使うべく、「政権がいつまでに何をするか」(いつまでにどうなることを目指す、といった曖昧な目標でなく)といった具体的な約束を、公約に仕込んで戦うべきだろう(もちろん、野党が有益で具体的な施策を提案するのでも構わないが)。 残念ながら、現実にはほとんどあり得ないと思うが、仮に成長戦略会議が考えるような方向の施策と規制緩和が、続々と実現するような世界を考えてみよう。 法人税率は速やかに20%程度まで下がり、TPPが締結され、農業は関税が撤廃され、さらに農地や病院の株式会社による保有と活用が広範囲に認められ、混合診療が完全に解禁され、介護の料金・報酬などが自由化され……、といった具合に「第三の矢」が文字通り矢継ぎ早に飛ぶとしよう。「中間層」の生活も改善するはずだ。 既得権者の損得はさておき、経済全体として、これらは経済活動の自由度を拡大し、調整コストを低下させることによって、生産性を高める方向に作用するはずだ。これらは、富裕層・貧困層にもプラスに作用するが、中間層の実質所得にもプラスに影響する公算は大きい。 これらの規制緩和は、経済全体にとってないよりもある方がいい。 成長戦略に含まれない解雇規制緩和 規制が強力だと中間層は分厚くならない ところで、お気づきの読者がおられようが、先の諸施策には、正社員の解雇規制の緩和が含まれていない。この場合に、企業はどう行動するか。 当面、経済が好調で人手不足である状態を想定するとしても、企業は将来の調整に備えて、正社員は抑制的に雇うであろう。雇用が不安定層を一時的に正社員に取り込むとしても、長期的に企業経営者は、正社員労働者を非正規労働者に置き換えるか、あるいは機械に置き換えるかのいずれかを指向するだろう。 正社員に現在のように強力な解雇規制がある限り、景気が良くなっても「中間層」はなかなか分厚くなりにくい構造にある。これは、アベノミクスのせいではなく、現在の規制のせいだ。 他方、解雇規制が緩和されて、正社員と非正社員の権利上の区別がなくなり、企業と被用者とが自由に契約でき、あらかじめ定められたルールによる金銭補償などで解雇が可能になると、どうなるだろうか。 業績に対する貢献が非生産的な正社員で、現在の規制のみによって雇用が守られているワーカーは、雇用機会を失うことになるだろう。既存の「中間層」から脱落するメンバーは出て来よう。 他方、同時に仕事自体の必要性はあるので、新たなメンバーが、たとえばかつての非正規層の中から雇用されることになるだろう。雇用される労働者が減るとは限らない。ただ、正規・非正規の区別が消滅する。 一方企業は、将来の人員削減が制度的に容易になるのと同時に、コストが透明化しかつ節約できるので、人員の採用に対してより積極的になるだろう。 解雇規制の緩和は、「中間層」を「全体として厚く」する効果を持つのではないだろうか。メンバー個々にあっては、既得権を持っていた時代の中間層ほどの雇用の安定感はないが、解雇が行われやすい状況は、自分の雇用を不安定にする一方で、「空席」が生じやすく、大きく条件を下げなくても自分の雇用を見つけることが容易になる条件でもある。 正社員の解雇規制は緩和することのメリットが大きいし、長期的には、日本がその方向に動くのではないかと予想する。 拡大するか、消滅するか? 中間層の多様化と希薄化 現在の「中間層」と、特に「貧困層」との区分けは、今後曖昧になるだろうし、場合によっては消滅するだろう。また、雇用契約はより自由にかつ個々人単位で異なるものになるだろう。 こうした変化は、中間層が拡大すると取ることもできるし、消滅すると見ることもできる。あえて言葉を探すなら、長期的には中間層が「希薄化」すると考えて良さそうに思える。その状況にあっては、もはや自分が中間層であるか否かを意識することが無意味になりそうだ。 加えて、まず運輸・情報・通信関係の技術発達によって対人的な競争がグローバル化してきた。この傾向は止まるまい。 さらに、コンピュータによる各種制御の発達で、これまで「機械を使う人」や「判断をする人」の労働を機械自身が代替する場面が増えて、人と機械との競争が本格化する時代を迎えており、ほどほどの付加価値の担い手になることがますます難しくなり、機械の使い方をデザインできる人と、機械に代替される人との間の所得の格差が大きく開くようになりそうだ。前者は、新しく富裕層に加わる人の典型だろう。 もっとも、生産の現場での付加価値の発生形態が変化しても、マネジメント、営業といった生産に付随し、機械で代替しにくいサービスに付加価値は残りそうだし、栄えている生産現場の近くに立地して富裕者を相手にする対人サービス業などは、機械に置き換えられにくい価値を持ち、富裕層への別の登坂ルートになるかもしれない。 アベノミクスは分配論を欠いた政策 効率的なセーフティネットは必要 一方、長期と言わず短期的にも、早急に整備が必要なのは、フェアで効率の良いセーフティネットだ。かつてケインズは、自分の孫の世代の生活として、生活のための生産活動は週に数時間で十分になり、残りの時間は余裕のあるクリエイティブな生活ができる様子を想像した。 しかし、物質的生産性はケインズの頃の何倍にもなっているはずなのに、こうした余裕のある生活は生まれていない。だが、「労働の数時間分」を適切に再配分することで、我々の生活には、もっと余裕をつくることができるのではないか。 あえて欠点を挙げるなら、アベノミクスは「分配論」を欠いた政策パッケージだ。安倍首相が「バラマキ」と批判する再分配政策の中にも、フェアで効率的な「良いバラマキ」もあれば、アンフェアで非効率的な「悪いバラマキ」もあるはずだ。 最後に総選挙の話に戻るが、与党であれ野党であれ、年金制度と生活保護を含めて、セーフティネットの根本的な再構築を提案する政党が出て来たら、ぜひ応援したいものだと思う。 http://diamond.jp/articles/-/62678
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