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「永遠のゼロ」の多くの読者の「感動」なるものがいかに薄っぺらく底の浅いものかを照らし出す高校生の優れた感想文。
http://www.asyura2.com/14/senkyo175/msg/124.html
投稿者 gataro 日時 2014 年 11 月 23 日 12:47:06: KbIx4LOvH6Ccw
 




第4分野 社会のなかの「どうして?」











最優秀賞 永遠にゼロ
盈進高等学校 二年 川上 明莉

http://www.n-fukushi.ac.jp/50th/essay/2014/the_fourth_field/saiyusyusyo.html



 多くが「感動した」と言う。私はすっきりしない。本のタイトルは『永遠の0』。


 「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思えませんでした」(『永遠の0』/百田尚樹/講談社文庫/2009年/85頁)。私は瞬間的にその後のことを想像した。極限の恐怖ってどんな感覚なのだろう。遺体は無残で、海をさまよったのではないか。敵艦にも死者がいただろうに。家族や生き残った仲間はその死をどんな思いで受け止め、どのような葛藤のなかで生活してきたのか・・・だが、この本にはわずかな記述しかない。


 特攻隊員の遺書を三○編ほど読んだ。圧倒的に両親や家族に心を寄せている。「お父さん、お母さん、大変お世話になりました。もう思い残すことはありません」(『知覧特別攻撃隊』/村永薫編/ジャプランブックス/1989年/52頁)。胸がつまり、涙があふれた。ただ、本当にそうなのだろうかと、悩んだ。


 「そんな時代だった」のである。でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う。


 『永遠の0』。「ゼロ」は、「絶対的」という意味であろうと、私は理解する。すなわち、大日本帝国が誇った零戦の「ゼロ」に音を重ね、米軍戦艦に「十死零生」(絶対に死ぬという意味)で体当たりした特攻隊の方々の(絶対的な)無償の愛をテーマにしたのだと思う。


 本はよく売れ、映画もヒットした。私はその状況と、ヘイトスピーチなどの排外的社会現象や集団的自衛権をめぐる政治は無関係ではないと思う。現代社会は戦後六九年にして、凄惨な死を忘れ、単純で美しいものにあこがれているのかもしれない。であるなら、現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだ
ろうか。


 太平洋戦争におけるアジア各国への加害も含め、亡くなった尊い命の犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にし、現在の日常が成り立っている。


 「戦争を永久に放棄する」。私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たちがこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう。







講評



 小説『永遠の0』を読んで感じた作者の疑問が、よくまとまっています。『永遠の0』を念頭に置き、そこに作者の「尊い命の犠牲はゼロにしたい」という気持ちを加えた『永遠にゼロ』と付けたタイトルが印象に残っていいと思います。「どんな作品だろう?」と感じて、先を読みたくなる秀逸なタイトルです。また、「現在はもはや戦後ではなく、すでに『戦前』ではないだろうか」という言葉が高校生から出てきたことに驚き、強いインパクトを与えています。




 

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コメント
 
01. 2014年11月23日 12:59:36 : xqQfG5kTuk
総評以外は既出ですね。gataroさん。周回遅れです。

日本はまだ捨てたものじゃない! 女子高生が百田尚樹批判(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/839.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 21 日 19:00:05: igsppGRN/E9PQ


02. 2014年11月23日 14:57:23 : pj0KXIvxBk
特攻隊員の最期:機銃に体を打ち抜かれ、肉が焦げ、体がバラバラになって終わりである。<惨死>以外の何物でもない。美化しようもない残酷である。その現実以外なにもストーリーはない。ないところに美談を書くバカがいる。死者にその惨死をさも美しく演じさせるは愚弄以外の何物でもない

砕けた頭骨を墓場から拾って、つなぎ合わし、肉を盛り、カツラを被せ、飛行帽を被せ、その動かぬ口元にムダに死にませんでしたと張り紙をする。よくもそんな、むごいことができるものだ。それが美談なる死者への愚弄である。惨死すら彼らに認めず、死の瞬間を無限に演じさせる愚弄である。

原爆の閃光で一瞬にして灰になった人々のその<惨死>を美化することなどあり得ないのに、特攻でバラバラになった人々のその<惨死>を美化するバカがいる。どちらも戦争の犠牲者であり<惨死>以外なんの結論もない。前者の死には大義がなく、後者の死には大義が必要という。死をも区別する愚弄。

この愚弄に感涙する人物が、この国の首相である。無惨な死まで政治の小道具に使う。そして、<惨死>しか結論のない集団的自衛権行使に、大義なる死化粧をするのである。あたかも美談があるかのように。これでは死んでも死に切れない。何度でも死者を墓場から連れ出して見せ物にする愚弄ゆえに。


03. 2014年11月23日 16:10:22 : nlvnyzGTAJ
現在は「もはや戦後ではなく戦前ではないだろうか」
この言葉が高校生から発せられたという感性をみてみよう。

一種の超越感が感じられる。
大人が作る社会への絶望感と希望のなさ
これこそが超越感を産む背景ではないだろうか?

豊かさが産む戦争美化というレトリック


04. 2014年11月23日 16:54:49 : tWPm5ojG9k
若者に告ぐ。決して百田のような嘘の伝道師になってはいけない。永遠のゼロはまったくのでたらめ作品。時代合わせたヒロイズム主義で、美化するためには平気で嘘を書いています。これが業界の蛆虫と呼ばれた放送作家なる実態です。金のためなら、何でもする男の見本です。こんな恥ずかしい日本人のようにはならないでくださいね。

05. gataro 2014年11月23日 17:13:20 : KbIx4LOvH6Ccw : PHvzTB1P7Y
>>01

内容的にはまったくの二重投稿です。あえて削除依頼はしません。お許し下さい。



06. 2014年11月23日 21:02:18 : 5tNXDcuiIk
二重投稿ということだが、この百田尚樹なるおっさんが。金目当ての重婚女を美談の主に仕立てる詐欺師であることがあきらかになったあとであるのでこの投稿には意義がある。

これで百田尚樹の本性がそしてこんな馬鹿親父をNHK経営委員に押し込んだ安倍の阿呆ぶりが改めて明らかになったということだ。馬鹿の「美談」などしょせんそんなもの。まだこんなおっさんを信じている人、自分の頭を疑った方がいい。


07. 2014年11月24日 11:16:01 : xqQfG5kTuk
>>05
gataroさん。 わたしは講評があるので二重投稿だと思ってませんでしたよ。
他の記事にない部分が載っている。そこは大事なとこだと思ってます。
ただニュースとしては、少し遅いんではないかと思っただけです。

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