01. 2014年11月21日 07:32:21
: jXbiWWJBCA
地震と中国が生んだ安倍政権、解散を占う 『日本―喪失と再起の物語』の著者、デイビッド・ピリングFT元東京支局長に聞く 2014年11月21日(金) 石黒 千賀子 2011年3月の東日本大震災と福島第1原子力発電所事故は、日本にとって、黒船来航により開国を余儀なくされた明治維新、太平洋戦争での敗戦に匹敵する国難とされた。それでなくても中国の台頭と呼応するかのように世界での存在感を失いつつある日本、そして日本人はこの国難をどう受け止め、21世紀を生き抜こうとしているのか。 2001年末から2008年まで英紙「フィナンシャル・タイムズ(FT)」の東京支局長として日本に滞在した経験を持つデイビッド・ピリング氏は、震災後も何度も日本に足を運び行った膨大な取材とこれまでの蓄積をベースに、今の日本の姿を『日本―喪失と再起の物語』と題してまとめ、このほど出版した。 本を書いた狙いと日本が直面する課題、そして解散総選挙の実施を決めた安倍晋三首相の決断をどう見ているか聞いた。 (聞き手は石黒 千賀子) デイビッド・ピリング(David Pilling)氏 1964年生まれ。86年にケンブリッジ大学ジーザスカレッジを卒業(専攻は英文学、副専攻ロシア語)した後、シティー大学ロンドンの大学院にてジャーナリズムを学ぶ。1990年に英紙「フィナンシャル・タイムズ(FT)」入社し、チリ、アルゼンチンの特派員や、製薬・バイオ関連産業担当などを経て2001年末に来日、2002年1月から2008年8月までFT東京支局長を務める。その後、FTのアジア編集長に就任、香港を拠点に中国、日本、インド、東南アジアにおける政治、経済から企業・投資活動などを幅広くカバーしている。ジャーナリストして、The Society of Publishers in Asia Awardや英国においてEditorial Intelligence Comment Awardなども受賞。(写真:的野 弘路、以下同じ) 『日本―喪失と再起の物語』 明治維新から東日本大震災後までの日本を総括した今回の本は、日本人が読んでも「今、自分がどういう時代にいるのか」を俯瞰させてくれ、非常に読み応えがありました。本の中でも説明されていますが、まずなぜこの本を書こうと思ったのかお聞かせ下さい。 ピリング氏:理由はいくつかあります。1つは、最近、日本について英語で書かれた本がなかったということです。1980年代頃には、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏*1、ジェームス・ファローズ氏*2、クライド・プレストウィッツ氏*3、ビル・エモット氏などによる本が沢山出ていました。しかし近年はめっきり減り、世界の関心は中国にシフトしてしまったわけですが、日本については書かれるべきことがあると感じていました。 *1=オランダ人ジャーナリスト。『The Enigma of Japanese Power』(1989年。邦題は『日本 権力の構造の謎』)、『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994年)などが有名 *2=米評論家。『Contaning Japan More Like US』(1989年。邦題は『日本封じ込め』)や『沈まない太陽』(1995年) *3=米元商務審議官。『Trading Places−How We Are Giving Our Future to Japan and How to Reclaim It』(1993年。邦題『日米逆転 成功と衰退の軌跡』)などがある 原題は『Bending Adversity(災い転じて福となす)』 第2に、2001年末から7年間、東京特派員を務めていましたが、その時から日本について本を書きたいと思っていました。2001年末に来日した時、私はほとんど日本語を話せませんでした。それでも一生懸命日本語を勉強して、新聞も何とか読めるようになり、取材も日本語で何とかこなせるようになった。決して自分が望んでいたレベルに達することはできなかったのですが、日本を内側からきちんと分かりたいと必死でした。そうした中で、何度も本を書きたいと思っていました。 ただ、「何を書くのか」「何を伝えるのか」――今ひとつ焦点を絞り込めていなかった中で、2011年3月、あの東日本大震災と津波が日本を襲いました。私は震災直後はもちろん、その後も何度も戻ってきては被災地の様子を含めその時、その時の自分が追っているテーマで取材を続け、震災後の日本の姿をFTで報道し続けました。その中で、「今こそ本を書くべきだ」と確信したのです。 第3に、日本は今後、どう変わっていくのだろうという問題意識を私はかねて持っていたのですが、その問題を考えるうえであの震災は自分の問題意識にうまくあてはまると思ったことも大きかった。日本は、大きな外的ショックを受けると、考えもしないような劇的な変化を遂げるというイメージが海外では強くあります。つまり、東日本大震災と原発事故は、ペリー総督の黒船来航、あるいは第2次大戦における敗北と同様、日本を大きく変える転換点となるのだろうかという問題意識でした。 今回の原著のタイトルは『Bending Adversity(災い転じて福となす)』です。これは震災直後にピリングさんが、緒方四十郎氏(編集部注:元日本銀行国際関係統括理事で、緒方貞子氏の夫)に電話をして話した時、彼が「これが、戦後の復興を可能にしたように日本的精神の覚醒を促すきっかけになればいいのですが」と話し、このことわざを口にしたのがきっかけですね。その後、日本を実際に見てきて、どうご覧になっていますか。 ピリング氏:そう、このタイトルは緒方氏が口にしたあの言葉がきっかけでした。彼は実に大切な友人で、私が日本を深く理解するうえで数々の貴重な視点を授けてくれた人です。それだけに彼が今春、亡くなったことは今も悲しく思います。 震災による影響がアベノミクスの実施を後押しした 地震と福島の原発事故は、文字通りその被害の大きさという点でも、心理的という点でも日本人に大きな衝撃を与えたことは明かです。しかし、私はそのことを極端に過大に捉えたいとは思っていません。ただ、様々な分野に大きな影響を与えたことは事実で、経済政策もその一つかも知れません。 震災後、すべての原発が停止したことで、日本の製造業がエネルギーを安定確保できないかもしれないという懸念から一層、海外移転を加速させるのではないかと、日本のエリート層が危機感を深めたのは確かでしょう。この危機感がエリート層の間において、アベノミクス、つまりリフレーションを起こそうという過激な策を支持する者たちを勢いづかせた部分があると見ています。それまで日本では、大規模な量的緩和など危険だし、効果を上げることなどできないと見なされていましたから。 ですから、震災と福島原発事故による影響が心理的に、日本にとってはいわばのるかそるかの大勝負の経済政策に挑んでみようという流れを後押しした部分があると思います。 解散・総選挙実施は安倍首相にとっては危険な戦略 そういう面はあるかもしれません。しかし、日本の実質国内総生産(GDP)の伸びは4〜6月期、7〜9月期と2期連続でマイナスに陥るなど、アベノミクスは想定通りの効果を上げていません。安倍晋三首相が解散・総選挙を行うと決断したことをどう見ていますか。 ピリング氏:確かにアベノミクスは今、重要な岐路にあります。4月の消費税率引き上げが、経済の回復軌道に相当な打撃となっており、2%のインフレ実現という取り組みを台無しにしてしまった。だから、安倍首相は消費税率10%への引き上げ時期を延ばしたわけですが、そのこと自体は、正しい判断だったと思います。膨大な債務を抱える今の日本にとって、穏やかなインフレ率を実現することは極めてプラスの影響をもたらすわけですから。 しかし、消費税引き上げの時期を延ばすことは、アベノミクスがうまくいっていない証拠だと見る人もいるだろうし、これで日本は財政問題を解決することはないだろうと見る人も出てくるでしょう。 安倍首相としては、今回の選挙で国民から新たに4年間の負託を得て、その間になんとか経済問題に決着をつけて「向こう岸」にたどり着きたいということでしょう。向こう岸とは、彼が何度も繰り返している、「緩やかな物価上昇によって賃金上昇、ひいては強い消費を実現させ、経済成長を遂げる」という好循環を生み出すことです。 ただ、その過程には様々な障害が想定されるので、経済的に実現するのは可能性がないわけではないものの、相当難しいでしょう。 今回の決断は、政治的にも極めて危険な戦略のように思えます。選挙を実施することで、安倍氏が今よりも強固な政治基盤を築けるとは限らないからです。自民党内の分裂を防げるかどうかもわかりません。消費税率を上げた方がいいと考えていた副首相の麻生太郎氏などもいるわけで、来年の自民党総裁選挙で自分に対する対抗馬の出現を阻止することができるかどうかも分からないからです。 中国の台頭が安倍政権を誕生させた 12月14日、選挙の結果がどう出るのかが注目です。 ピリング:そうですね。震災後の日本を見ていてもう1つ思うのは、中国の台頭が日本の政策に大きな影響を及ぼしているという点です。これは極めて重要な点で、第1次安倍政権と第2次安倍政権の最大の違いは、中国に対する懸念が増大し、日本が中国を脅威だと見なすようになったことです。 私が2001〜2008年まで特派員として日本にいた時、中国について実に多くの日本人がこう言っていました。「中国を見なさい。矛盾だらけだ。中国経済も中国共産党も抱える矛盾が凄まじい。従って早晩、破綻するに違いありませんよ」と――。 確かに中国は多くの矛盾を抱えているし、難題が山積しています。もしかしたらどこかの時点で破綻するかもしれません。しかし、少なくとも今の時点ではそうはなっていない。それどころか今や経済規模で日本を抜き、外交政策では何事においても今まで以上に強気になっている。軍事力もどんどん増強している。つまり、日本のエリートたちは当時、考えが甘かったというか、希望的観測の下、自分たちが中国に振り回されることなどあり得ないと考えていた、ということです。 しかし、今や日本は、歴史的に日本がしたことを今も強く根に持っている中国と向き合っていかなければなりません。日本の国民が選んだ道が、正しい道だったのか、間違った道だったのか分かりませんが、中国がこれだけ強気なスタンスで台頭してきたことが、積極的ではないにせよ、今の日本が安倍首相の右派的スタンスを受け入れる、あるいは我慢するということにつながっているのではないかと思います。第1次政権の時は支持しなかったが、2次政権では支持しているという日本人は少なくないのではないでしょうか。まさに中国の台頭が第2次安倍政権を誕生させた、と私は見ています。 日本人は「普通の国」になることについて頭の体操をすべき 確かにそういう面はありそうです。しかし、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を追求したり、特定秘密保護法を成立させたり、と国家主義的な動きを強めていることに懸念、危機感を感じている国民も少なくありません。 ピリング氏:安倍首相は、本当は憲法を改正したいと考えていますね。しかし、実現できるかと言えば非常に疑わしい。国会で(議員から)3分の2以上の賛成票を取り付けなければなりませんが、まずこれが難しい。たとえ万が一そんな事態になって国民投票が行われたとしても、十分な数の国民が憲法9条の廃棄を支持するとは思えません。実際、だからこそ安倍氏は集団自衛権の行使容認については、憲法解釈を変えるという選択肢を取らざるを得なくなったわけです。 ただ、集団自衛権の行使容認を含め、安倍晋三首相が求めている「普通の国」になるということについて今、日本の人たちが頭の体操をすることには意味があるかもしれません。 どういう意味でしょうか。
ピリング:現状では、日本を除く世界のいかなる国も自国と同盟国を防衛する権利と、最終手段として望めば戦争をする権利を保有しています。もちろん、私はいかなる国もその権利を行使しないことを願っていますが…。ただ、そうである中でなぜ日本だけが、同じ権利を有することを許されないのか――ということです。 1つにこんな説明があるかもしれません。「日本は先天的にコントロールの効かないところがあって、他国を侵略するので、平和憲法で縛っておかないと何をしでかすか分からないからだ」と――。過去の歴史に照らせば、1つのロジカルな説明だと主張できるかもしれません。 しかし、私はそうは思いません。スウェーデンやドイツ、あるいは英国、米国はいずれも過去に戦争をした国ですが、これらの国と比べて日本がすぐ戦争をしたがる国かと言えばそんなことはないでしょう。日本人が人種的に何か特別かと言えば、全くそんなロジックも成り立ちません。 日本は「普通の国」になる権利はあるが義務はない であるならば、なぜ日本だけをほかの国とは異なる形で扱う必要があるのか、という問題になります。私自身、こうした議論を何度も耳にしてきました。右派の人の中にも、左派の中の人にも「それは第2次大戦でやったことについて、日本が今も罰せられ続けているからだ」と考えている人がいるようです。 では、日本はどうすべきなのでしょうか。確かに日本が「普通の国」になりたいと望むのであれば、本来、そうなる権利はあるはずです。しかし、普通の国になる「義務がある」のかと言うと、それはまったく別の問題で、「普通の国」になる「義務」などないはずです。 また、日本が「普通の国」になったとして、では中東の戦争に参加すべきかと言えば、私ならそれは愚かなことだから「関与すべきではない」と言いますが、それは本来、日本が自分で決めるべきことのはずです。少なくとも、「憲法で武力行使は禁じられているからできない」というのはおかしい。 それでは「普通の国」というか「一人前の国」とは見なされない、ということですね。しかし、選択肢がなければ、つまり、選択肢を持つ権利を認められなければ、「決める」ということもできません。 ピリング氏:その通りです。しかし、世界には日本人は信用できないし、日本の中にさえ「憲法9条を廃止したら戦争になる」と考えている人はいるわけです。 どの国も、自国の権利と、その権利を持って何をするかという点については区別して考える必要があります。私は今、あえて物事を非常に単純化して話しましたが、2つを分けて考えることは非常に難しいのも事実です。それだけに私たちは、なぜこんな議論をしているのかということを考える必要があると思います。 日本は本当に平和主義国家か考える必要がある 安倍政権に危機感を持つ日本人が感じているのは、集団的自衛権の行使容認となると、もし米国から「中東戦争に加われ」と言われたら「ノー」とは言えなくなるのではないか、戦争に巻き込まれるのではないか、という心配です。 ピリング氏:そうした事態に直面したら確かに日本にとっては問題となるでしょう。しかし、立場を変えて考えてみて下さい。米国の立場からすれば「我々はここ(日本)にいて日本を守っているが、あなたがたは我々のことを守ってくれるのか」と聞くでしょう。これも議論を単純化していますが、ワシントンにいけば必ず耳にする言葉です。 いわゆる「日本のただ乗り」論ですね。 ピリング氏:そう。しかも日本は平和主義国家というが、厳密にはそうでもない。ご承知の通り、ベトナム戦争の際には、米軍の飛行機が日本にある米軍基地から飛び立って、ベトナムにナパーム弾を落とし、殺戮と破壊行為の限りを尽くしたわけです。つまり、日本は過去70年間、いかなる危害も及ぼさなかった平和国家であったと考えているかもしれませんが、必ずしもその通りではありません。 ですから(集団的自衛権の行使を容認すれば)「米国の戦争に巻き込まれるかもしれない」と懸念するのも分かりますが、日本が防衛を米国にアウトソースする一方で、「自分たちは平和主義国家で来た」と主張し、戦争をした、あるいはしている国よりもモラル的に優位な立場にいると考えるのはいいとこ取りです。日本は、他国の核抑止力によって平和国家を実現しているのだから、自国が完璧な平和国家ではないことを自覚する必要はあるでしょう。 日本人はそういう意味で「普通の国」とはどういう国なのかということについて、思考を停止してきた部分があるのかもしれません。 日本の市民社会はみなが思っている以上に強く育っている ピリング氏:ただ、安倍首相がもし「中東の過激派『イスラム国』を爆撃するのを日本は支援すべきだと思うので、航空自衛隊を派遣すべきだと考える」などと発言したら、支持率はどうなるでしょうか。 当然、急落するでしょう。 ピリング氏:そう、そこは日本の世論のメカニズムがきちんと機能して、安倍首相は持たなくなるでしょう。日本の市民社会は、世界で最も堅固な市民社会というにはほど遠いと思いますが、一般に思われているよりはずっと健全です。 私が、取材を重ねて確信するに至ったのは、日本の市民社会及び日本人による平和憲法に対する思いは戦後約70年を経て、みんなが思っている以上にはるかに強いものに育っているという点です。安倍首相1人で、その平和を大事にする思いを変えることはできないでしょう。 今年のブッカー賞は日本兵の捕虜になった西洋人の話 そうであってほしいと思います。話は変わりますが、今回の本で、欧米人は今も「日本兵は残虐性が強いと思っている」ということを書いています。第2次大戦中、日本兵が欧米の捕虜に対して行った行為については歴史を学び頭では分かっていましたが、ピリングさんの文面を直接目にして、ある種のショックを受けました。 ピリング氏:旧日本軍が欧米人の捕虜に対して行ったことについては、あえてはっきり言いますが、今も西洋人の記憶に強烈に残っていることは事実です。 アマゾン・ドット・コムで日本に関する英語の本を探してみればすぐに分かります。もちろんそこには私の今回の本も載っていることを祈りますが(笑)、とにかく日本兵が西洋の捕虜をどう扱ったかに関する本がかなり出版されていることに気づくと思います。 この10月にも、『Railway Man』という本が英国のブッカー賞を受賞*注しました。これは旧日本軍が(タイとビルマの間に)泰緬鉄道を建設するにあたっていかに西洋人捕虜を酷使したかを描いた小説です。 *注:ブッカー賞は、英国で最も権威のある文学賞。今年は、オーストラリアの作家リチャード・フラナガン氏が、第2次世界大戦中に旧日本軍に捕らえられた父に取材し、フラナガン氏の父をはじめ多くの捕虜が泰緬鉄道の建設で過酷な強制労働に駆り出され、多数の死者を出た様子を描いた小説『ザ・ナロー・ロード・トゥー・ザ・ディープ・ノース』が選ばれた。何度も書き直し、執筆に12年を費やしたという。父は小説が完成した日に98歳で亡くなったという。 私も、自分がなぜそのことを強烈に感じているのかということを考えてきました。英国もご存じの通り、インドやアフリカを含め世界中の植民地で何百万人もの人を殺すなど、ひどいことをしました。ところがその後、イギリス兵は戦争のルールを守らない日本兵と戦うことになり、立場が逆転、今度はイギリス人が捕虜になった。その中には、エリートやアッパークラスの人たちもいました。戦争とはそういうものですが、ルールを知らない日本兵による扱いはひどく、多くの捕虜が餓死するなど悲惨な事態を招きました。 人は「したこと」より「されたこと」を記憶している こうした日本兵のイメージは今も、英国人、オーストラリア人、アメリカ人、オランダ人の脳裏には強く残っているように思います。しかし、一方で、英国のチャーチル首相は第2次大戦開戦を控え、インドの西ベンガルから大量の食料を欧州に運んだために、西ベンガルでは当時、大規模な飢餓が発生しました。しかし、この事実は今日、私たち英国人の頭に強くは残っていません。 私たちは、みんなもそうであるように、自分たちが「やった」ことよりも、「された」ことの方を記憶にとどめがちです。だから日本にとっての第2次大戦と言えば、南京でもビルマロードでもなく、広島と長崎ということになるでしょう。 歴史と向き合うことがやはり大切です。 ピリング氏:日本だけでなく、どの国も史実と向き合うことは必要でしょう。その意味では、日本も他国に対して何をしたかを議論するだけでなく、日本の市民社会がなぜあのような事態の発生を許すに至ったのか、日本の民主主義の弱点は何なのか議論することは大切ですし、自分たちの社会がどのようにして機能しているのかを知ることも歴史を見る上では重要なのだと思います。 日本も他国と同様、議論の活発な普通の国です はい、現代史を学ぶ重要性は以前にも増して高いのだと思います。最後に今日、お伝えしたいと思っていたことが1つ。本には緒方夫妻をはじめ、政治家や官僚、経済人、歌舞伎役者から村上春樹氏をはじめとする作家といった文化人、さらには一般の人まで、それは数多くの人が登場します。特派員時代から築いてきたとはいえ、そのネットワークの広さと深さに感銘を受けました。 ピリング氏:本を書くにあたっても、FTの東京特派員時代も、日本にいる時に心がけたのは少しでも多くの日本人に直接会ってその声を拾い上げ、FTの記事に書くということでした。日本に来る特派員の多くは、日本について一定のイメージがあって、その視点で記事を書く記者があまりに多いと感じていたからです。 日本人というとみなが同じ意見であるかのように思っている海外の人は少なくありません。ですから本を読めば分かりますが、ある一つの問題についてもいろんな人の意見があることを描きました。日本の歴史、経済、社会はもちろん、若者が日本社会にどうフィットしているのか、あるいは女性の役割を巡りいかに様々な意見が存在しているかを書きました。本で伝えたかったのは、世界のほかの様々な国と同様、日本でもこうした問題についてはいろんな意見があって活発に議論されているという事実です。
そして、これは私が今回の本を書こうと思った3つ目の動機の答えとなりますが、日本はこうした議論を通じて、ほかの国と同様、少しずつ状況に適応しながら変化を重ねている国だ、という事実です。この点については英誌「エコノミスト」の元編集長であるビル・エモット氏が今回の私の本の書評を書いてくれた中でもうまく説明しています。 エモット氏も日本の「臨界点」とも言うべき大きな変化は、黒船到来による明治維新と第2次大戦での敗戦の2つだけだと指摘しています。いずれのケースにおいても日本は確かに社会的にも、政治的にも大きな変化を遂げましたが、その変化をよく見ると、実際には変化以上にある種の一貫性というか継続性が存在していて、少しずつ変化を遂げたというのが深層です。 日本の変化の仕方についてのイメージを伝えるために私がよく引き合いに出すのが伊勢神宮です。20年ごとに建物すべてを新しく作りかえるものの、変わらぬ歴史を紡いでいるように、日本も常に新しくなりながらも、それは過去の歴史の上に少しずつ変化を積み重ねているということです。日本というと、突然、太平洋戦争の時のように予測不可能な形で振り子が振れて進む方向性が変わる国だとのイメージが今も海外にありますが、そうではないということを海外の人に伝えたかったのです。 このコラムについて キーパーソンに聞く 日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141120/274108/?ST=print
|