03. 2014年11月21日 07:34:37
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「ニッポン農業生き残りのヒント」 1トンクラブへの招待 封印された技を取り戻せ 2014年11月21日(金) 吉田 忠則 米価の下落でコメ農家が騒然となっている。「もう無理だ」。そう言ってコメをつくるのをあきらめた農家がいる。値崩れはコメ余りが原因だから、つくり手が減れば需給は改善する。だが、あまりの急落は、将来を担うべき経営者まで追いつめる。かれらがどんな「武器」を持てば、難局を乗り切れるかが今回のテーマだ。 米価の下落を端的に示すのが、全国農業協同組合連合会(全農)が農家から新米を買い取るさいの目安となる概算金だ。たとえば、栃木県で今年とれたコシヒカリの60キロ当たりの概算金は、去年より3800円減って8000円になった。おなじようなことが各地で起きている。 しかも、全農の概算金は農協を通さず、卸会社などに直接コメを売っている農家の取引価格にも影響する。売り上げが突然3割も減れば、ふつうの企業なら経営がゆらぐ。コメ農家はこの危機をどうやってしのぐのか。 大規模経営にも危機感 すでに各地に100ヘクタールを超す大規模経営が誕生しているが、その多くは田んぼが分散していて必ずしも効率的ではない。そこで、比較的まとまった場所で大規模化に成功した経営者に最近の状況を聞いてみた。 「できるだけ手間をかけずにコメをつくってきた。あとはどの経費を減らせばいいのか」。千葉県柏市で200ヘクタール弱の農地を耕す染谷茂はそう話す。何度も取材してきたが、こんな厳しい表情をみせたのは初めてだ。 染谷の最大の強みは、200ヘクタールのうち、108ヘクタールが地続きでつながっていることだ。ジャングルのようになっていた放棄地を市の要請で開墾し、日本では珍しい効率的な農場をつくりあげた。その染谷が「このまま下がればやっていけなくなる」と危機感をつのらせる。 効率経営を追求する染谷茂さん(千葉県柏市) もう一人は、茨城県龍ケ崎市の横田修一だ。耕地面積は約110ヘクタール。まわりにめぼしい担い手がいないため、引退する高齢農家から年々かれのもとに農地が集まってくる。かれに米価下落の影響を聞くと、「目を疑いました。もう笑っちゃうしかない」と答えた。
かれが店頭で目にした値段は、5キロの新米でなんと1000円以下。かれのコメはスーパーで売る値段を決める権限を自分で持っているため、値段を変えなかった。だが「ほかがここまで下がると、こちらも少し値下げする必要があるかもしれない」と話す。 今年の米価下落がどれだけ深刻なものかは、農水省の統計をみればわかる。60キロ当たりの生産コストは2012年の全国平均でおよそ1万6000円。15ヘクタール以上の経営だと効率が増して1万2000円弱に減る。 だが、コメの生産コストは面積が10ヘクタールを超すと逓減効果が小さくなる。たとえ面積が100ヘクタールになっても、コストがその分、減るわけではないのだ。1万円を切る概算金が定着すれば、ほとんどの経営で利益を出すのはほぼ絶望的になる。 染谷も横田も、だから営農をあきらめるとは当然言わない。染谷は大手卸との直接取引で、収益をぎりぎり確保することを目指す。横田は、田植え機とコンバインがそれぞれ1台ずつで100ヘクタールを耕す効率経営を実現しているが、作業を簡素化することでさらなる経費節減に挑む。 コメの品種、効率化できないか ここからが本題。横田や染谷ら生産の現場で苦闘する大規模経営は、複雑なパズルを解くようにして、最適な作業体系を模索している。その効果をフルに発揮するために、かれらがつくるコメの品種そのものを、もっと効率的なものにできないのだろうか。 ここで日本と世界とを比べてみよう。いまから半世紀前、1964年の日本のコメの収量は世界でトップクラスだった。国連食糧農業機関(FAO)によると、10アール当たりの日本の収量は、籾ベースで501キロ。オーストラリアの607キロと比べると少ないが、アメリカの459キロを上回り、中国の280キロを見下ろしていた。 日本はまだ生産調整(減反)を始める前で、戦後の食料難を乗りこえるための増産運動が効果をあげていた。当時は日本の稲作技術は世界一だと多くの人が信じていた。 その後、日本は世界のすう勢から脱落する。2004年の日本の収量が641キロなのに対し、オーストラリアは833キロ、新たに登場した高収量国のエジプトは983キロと、1トンにせまる収量を記録した。日本は米国にも引き離され、中国にはほぼ並ばれた。 原因は2つある。1つは雨が多く、水が豊富にあることが、日本の強みでなくなったことだ。その象徴がエジプトで、灌漑(かんがい)技術が進んで水に困らなくなり、晴天が多いから収量はぐんぐん伸びた。逆に日本は、日の照らない日が多いことがハンディになった。 日本が世界から取り残された原因はもう1つある。減反だ。40年余り前に始めた減反が影響し、研究機関も生産現場も収量を増やすことを目指さず、コメの味ばかり追求するようになった。国の指導を無視して作付面積を増やせば、ペナルティーを科すような政策をやってきたのだから当然だ。 「おいしくて収量の多い」二兎を追え そこで焦点になってくるのが、低コストでつくれる品種の開発だ。日本の不利な気候条件はどうやっても変えることはできない。だが、研究開発の方向を変え、いまより安くつくれるコメを開発する道は閉ざされていない。とくに、日本のように農地が狭い国で求められるのは収量の多い品種だ。 1980年代の後半に、日本のコメの研究は2つの流れに分かれた。1つはコシヒカリを目標に、おいしいコメをつくること。もう1つが、家畜のエサにする収量の多い品種の開発だ。こちらは味にはこだわらない。いま必要なのは、この2つの流れを1つにまとめ、「おいしくて収量が多い品種」をつくることだ。 多収米「やまだわら」を開発した作物研究所の平林秀介さん(茨城県つくばみらい市の試験圃場で) たとえば、農業・食品産業技術総合研究機構(つくば市)の作物研究所が開発した新しい品種「やまだわら」は注目株の1つ。実験では収量が約900キロに達した。だが、それだけでは足りない。高い収量を維持したまま、どれだけ少ない肥料でつくるかなど、工夫の余地はまだまだある。
味ももっとよくする必要がある。やまだわらの食味はコシヒカリの一歩手前にとどまっているが、やまだわらを親にして交配した品種はコシヒカリとそん色ないレベルまで味が高まった。あとはどう実用化するかだ。 じつは日本にはかつて、10アールで1トンのコメをつくる匠の技があった。1955年に富山の農家、上楽菊は農林省(現農林水産省)などが開いた「米作日本一コンテスト」で、1トンを超す収量を記録し、優勝した。 1955年に1トンの収量を実現した上楽菊さん(塩安肥料協会発行の資料「米作日本一 6石7斗突破の全貌」より) このとき、上楽が植えた品種「金南風(キンマゼ)」の標準収量は、410〜590キロていどしかない。いま日本中でつくられているコシヒカリやその関係種と比べ、とくべつ収量の多い品種ではないのだ。
肥料をたくさんやれば収量は増えるが、そのぶん穂が実ったとき、重さにたえきれずにたおれる可能性が大きくなる。そのリスクをコントロールし、1トンを実現した技術は驚異的というほかない。 1トンクラブで壁を破れ この連載では、コメに偏った農業と農政を改めるべきだとくり返し訴えてきた(11月14日「農地を守るのは牛だ」、8月29日 「『聖なるコメ』と決別を」)。だがそれは、すべての農家がコメをあきらめるべきだという意味ではない。 これまでのように、みんなが横並びでおなじようなコメをつくり、生き残れる時代は終わる。農水省は家畜のエサにするコメに巨額の補助金を出し、延命させようとしているが、いまの厳しい財政事情はそれを許さない。今後生き残るのは、高値で売れるブランド米か、米価の下落にたえうる効率経営だ。 とくに後者について言えば、細切れの田んぼに悩まされず、まとまった広い農地でコメをつくる、横田や染谷のような経営がこれから増える可能性がある。高齢農家の引退で、農地が大量に放出されるからだ。 かれらが、平均収量をはるかに上回るポテンシャルのある品種をつくれば、いまはコストダウンの限界と思われている壁をやぶり、さらなる効率化を実現できるかもしれない。 かつて上楽たちは、戦後の食料難の余韻がまだ残る時代に、懸命な努力で劇的な収量アップをなしとげた。今後は新しい技術と品種でそれに挑戦し、「1トンクラブ」の扉をもう一度たたくのだ。危機が迫ったいまだからこそ、そんな夢のような未来を追求するのも、悪くはないはずだ。(文中敬称略) このコラムについて ニッポン農業生き残りのヒント TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141119/274034/?ST=print
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