http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/777.html
Tweet |
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/7468c65c64ba5a3ecc89fca4e3ec3b51
2014-11-20 09:41:45
ぼくは本日11月20日に75歳となり、日本に住み続ける以上、否応なく後期高齢者に区分されることになりました。残りの人生を考えるとき、「この日本はどうなるのだろう」に思いが向きます。
生き方としては、二つのタイプが頭に浮かびます。一つは、最近亡くなった「健さん」こと高倉健さん。もう一つは日本国の首相のポストに居座り続けようとする安倍晋三という人間です。
健さんは、本日の朝日新聞社説によると、自らを律し、「自分のためではなく、他人(ひと)のために命を賭ける『男の中の男』」と表現されました。
「礼節を重んじ、過酷な撮影現場でも、決して楽をしようとはしなかったという」と、健さんの素顔を記しました。その姿勢は、「海外でも、尊敬できる人間像、生き方の美学として受け止められてきた。いま、中国からも、アメリカからも哀惜の言葉が届く」とも。
「逆境に耐え、自らを律する。そう望んだ母の教えに照らして、恥ずかしくないか。健さんを磨き上げ、輝かせたのは、その自省の深さだったのだろう」と結びました。
この対極にあるのが、安倍晋三という男です。今回、安倍氏が解散総選挙に踏み切ったのは、自分の総理大臣のポストを少しでも長く続けるための所業です。日本国民の生活を良くする政治を行うためでは、さらさらありません。
他人(ひと)のためではなく、ひとえに自己保身のためなのです。その自己保身ために700億円におよぶ血税を使う。まったくの無駄遣いです。
そもそも、消費税の先延ばしについては、誰も反対していません。税金をむしり取りたい財務省の官僚以外、先延ばしに異論をはさむものはいないのです。にもかかわらず、有権者の判断をあおぐ?
また、安倍という男は、「お国のために生命を捧げた英霊に尊崇のまことを表すのは、国のリーダーとして当然の責務」といいます。しかし、この尊崇の念も、「あるべきリーダー像」の仲間入りするためのお飾り、たんなるファッションに過ぎないと断言できます。
なぜなら、英霊とされる兵隊たちは、南方の島々で弾薬も食料も尽きた中、軍の上層部からただ、「戦線を維持しろ」と、むなしい命令を出されて、いわば犬死にさせられたのです。そのほんの申し訳が、「英霊の御霊に尊崇の念を」という、お飾りの言葉です。
安倍という男は、沖縄を含む南方の島々で、いかに凄惨な戦闘、あるいは飢餓状態があったか、全くご存じないかのような所作ふるまいです。もし、知っているなら、国リーダーとしては、尊崇の念を表す前に、犬死にさせられた兵卒たちに、頭を地面にこすりつけて謝罪するところから始めるべきです。
靖国神社に参拝することは、絞首刑者をも合祀されているA級戦犯にも、尊崇の念をささげることにほかなりません。それはあの戦争を「悪くなかった」とする、歴史修正主義そのものの表明になります。あの戦争から何の教訓も学ばず、またぞろ同じ過ちを繰り返そうとする愚行です。
ヒロシマの平和公園の碑にあるように、私たちは「過ちは繰り返しませぬ」と誓ったはずです。安倍という男は、その誓いをも楽々と無視する、そして歴史を逆回転させようとする、とんでも付きのおバカさんといえます。
そんな男がトップに居座る政党に対し、有権者は近く行われる選挙でどんな判断を下すのでしょう。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK174掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。