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2014年11月19日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆財務省(旧大蔵省)は、消費税に絡んで政権を使い捨てにしてきた。大平正芳首相は、命を失った。以下の通りである。
◇大平正芳首相(東京商科大=一橋大卒、大蔵省入り)→1978年12月7日、政府税制調査会の一般消費税特別部会「一般消費税大綱」(5%の単一税率)。1979年10月7日、総選挙で一般消費税導入が猛反発受け、自民過半数を割り込み惨敗招く。1980年5月19日衆院解散、第36回衆院選と第12回参院選のダブル選挙が1980年6月2日公示され、投票日は6月22日と決まる。5月30日、大平は第一声を挙げた新宿での街頭演説の直後から気分が悪くなり、翌日過労と不整脈により虎の門病院に緊急入院、6月12日急死。
◇竹下登首相(早大商学部卒、中学校英語科代用教員)→1988年11月10日、自民党が衆院税制問題等調査特別委員会で消費税等税制改革関連6法案を単独強行採決、11月16日、衆院通過。12月24日、参院本会議で成立、1989年4月1日、消費税(税率3%)スタート。4月25日、辞意表明。6月2日、宇野宗佑内閣成立。
◇橋本龍太郎首相(慶大法学部卒、呉羽紡績従業員)→1997年4月1月、消費税増(3%→5%)施行。1998年7月12日、参院選挙で自民党は、改選議席61から44へ惨敗。13日、自民党総裁辞意。30日、小渕恵三内閣成立。
◇野田佳彦首相(早大政治経済学部政治学科卒、家庭教師や都市ガスの点検員等、様々な仕事を経験)→野田佳彦内閣が2012年3月30日に提出した消費税増税法案等の法案について3党が修正協議を行い、その結果をもって法案成立させるために行われた。社会保障と税の一体改革に関する3党間の合意でいわゆる「3党合意」と呼ばれている。この合意は、6月初めから、社会保障分野と税制分野に分けて3党の実務者が断続的に協議を行い、6月15日、3党の実務者間で「社会保障・税一体改革に関する確認書」(社会保障・税一体改革に関する3党実務者間会合合意文書)が交わされた。6月21日、民主党の輿石東幹事長、自由民主党(自民党)の石原伸晃幹事長、公明党の井上義久幹事長が合意文書を「誠実に実行」することなどについて合意し、「3党確認書」に署名した。この合意に基づいて、同法案を含む8法案は、6月26日に衆議院で3党の賛成により可決、8月10日に参議院で可決成立した。
この間、消費増税法案に批判的な小沢一郎、東祥三・広野允士らが7月2日、一斉に離党届を提出して「国民の生活が第一」を結成し、新党きづなとの統一会派「国民の生活が第一・きづな」を発足させた。党執行部は造反者や離党届提出者への処分案を取りまとめるが、7月4日、社会保障・税一体改革関連法案に批判的な加藤学が離党届を提出し、さらにその2日後に米長晴信が離党届を提出したことから、再び処分案を見直す事態となった。12月16日の総選挙では、民主党が惨敗したことを受けて党代表辞任を表明、民主党政権崩壊、26日、安倍晋三内閣成立。
◇安倍晋三首相(成蹊大法学部卒、神戸製鋼所従業員)→2014年4月1日、消費税増税(5%→8%)施行。内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部が11月17日、「2014(平成26)年7〜9月期四半期別GDP速報 (1次速報値)」を発表した。それによると、「GDP成長率(季節調整済前期比)=2014年7〜9月期の実質GDP(国内総生産・2005暦年連鎖価格)の成長率は、▲0.4%(年率▲1.6%)となった。また、名目GDPの成長率は、▲0.8%(年率▲3.0)となった」という。11月21日(当初は19日だったが重要法案成立のため延長)、衆院解散、総選挙(12月2日公示、14日投開票)へ。
◆以上のように、財務省(旧大蔵省)は、消費税導入から税率アップを実現する目的で、その都度、政権を犠牲にしてきた。その場合、「東大法学部卒」の政治家には、一切傷がつかないように、「非東大法学部卒」を犠牲に供してきた。
福田赳夫首相(東大法学部卒、大蔵省入省)、中曽根康弘首相(東大法学部卒、内務省入省)、宮沢喜一首相(東大法学部卒、大蔵省入省)には、消費税問題にはタッチさせなかったのである。
駒として使い捨てられたのは、大平正芳首相(東京商科大=一橋大卒、大蔵省入省)、竹下登首相(早大商学部卒、中学校英語科代用教員)、橋本龍太郎首相(慶大法学部卒、呉羽紡績従業員)、野田佳彦首相(早大政治経済学部政治学科卒、家庭教師や都市ガスの点検員等、様々な仕事を経験)、安倍晋三首相(成蹊大法学部卒、神戸製鋼所従業員)であった。
野田佳彦首相は、財務相のときから、藤井裕久元財務相(東大法学部卒、大蔵省入省)に消費税増税を唆され、まるで「豚もおだてりゃ木に上る」の言葉があるように木に登らされた。ちなみに、民主党政権では、財務相を経験した野田佳彦前首相のほか、菅直人元財務相(東京工業大学理学部応用物理学科卒、菅・高橋特許法律事務所所長)、安住淳元財務相(早大社会科学部卒、NHK報道記者)も、奸智に長けた財務官僚の手玉取られた。
安倍晋三首相は、2015年10月1日の消費税増税(8%→10%)にまで使われようとしてきた。
◆安倍晋三首相が、2015年10月1日の消費税増税(8%→10%)延期の是非を国民に問うという大義名分を立てて、衆院解散・総選挙断行に踏み切れば、野田佳彦前首相が結んだ「3党合意」が間違っていたことを天下に晒すことになる。
反対に、消費増税法案に批判的な小沢一郎、東祥三・広野允士らが2012年7月2日、一斉に離党届を提出して「国民の生活が第一」を結成し、新党きづなとの統一会派「国民の生活が第一・きづな」を発足させたことが、実は正しかったことを証明している。
小沢一郎代表は、竹下登内閣の官房副長官として消費税導入の実務を担当しており、竹下登内閣が倒れた経緯をよく知っている。それだけに消費税増税には、慎重なのである。
このサイトで「安倍晋三首相は、『景気のアクセル』を吹かさず、『ブレーキ』を踏んで、アベノミクス政策を台無しにする」(2014年11月09日 01時25分29秒配信)と題して、次のように述べたので再録しておこう。
◆竹下登首相が1989年(平成元年)4月1日、消費税(ほとんどの商品・サービスに3%課税、年間の税収約6兆円の見積もり)をスタートさせて1年後、橋本龍太郎蔵相の下、土田正顕銀行局長が1990年3月、「土地関連融資の抑制について」通達した。不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える行政指導で「総量規制」と称された。1991年12月に解除されるまで1年9ヶ月続いた。行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させることを目的とする政策であった。ところが、予想をはるかに超えた急激な景気後退を招き、日本経済が大打撃を受けて、いわゆる「バブル崩壊」が加速し、不況が長期化した。「失われた20年」と呼ばれた。
消費税、総量規制は、ともに経済・景気に対して「ブレーキの機能」を果たす。案の定、国の一般会計の税収は減っている。1990年60.1兆円だったのが、1991年59.8兆円、1992年54.4兆円と減少が続いた。
1982年10月から始まったいわゆる「バブル経済」は、7年後の1989年12月29日、日経平均株価3万8915円のピークを築いてから、下降線をたどり始めて、11992年8月18日、1万4309円をつけて終わった。
◆小沢一郎代表は、1995年12月15日告示の新進党党首選挙に立候補するのに際して、「政策提言メモ」をまとめた。このなかで、「所得税・住民税を現在の半分に減らす(減税規模は十三兆円前後)」「景気の現状も踏まえて、平成八年度に予定されている消費税率の引き上げ(五%)を中止し、施策実行の年より五年経過後に六%に、十年経過後に十%に税率を引き上げるよう法律を改める。それまでの間、施策の財源は国債発行でまかなう」と述べていた。(*「小沢一郎の時代」板垣英憲著、同文書院刊、19964年2月6日)
大型減税は、国民の可処分所得を増やし、その分、「消費マインド」を加熱するので、消費が増えて、景気を活発化する「アクセル機能」を果たす。その結果、消費税3%分の税収も増える。1%=2.5兆円と言われている効果だ。
ところが、橋本龍太郎首相は1997年4月1日、消費税率を3%から5%に引き上げた。つまり、減税効果を狙うのとは、真逆の政策を打ったのである。すると、この年の税収53.9%だったのが、1998年49.4兆円、1999年47.2兆円とやはり減収が続いた。消費税増税が、明らかに景気の足を引っ張る「ブレーキ機能」を発揮したのである。
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