07. 2014年11月06日 07:54:14
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「ハーバードのリーダーシップの授業」 請求書をごまかして逮捕される人の“脳内錯覚”サンドラ・サッチャー教授に聞く(2) 2014年11月6日(木) 佐藤 智恵 サンドラ・サッチャー Sandra Sucher ハーバードビジネススクール教授。専門はマネジメントプラクティス。MBAプログラムにて必修科目「リーダーシップと企業倫理」、選択科目「モラルリーダー」、エグゼクティブプログラムにて「テクノロジーとオペレーションマネジメント」等を教えている。現在は、人件費、人員整理、解雇の代替手段等を専門に研究活動を行っている。ファイリーンズ社(老舗デパート)、フィデリティ・インベストメンツ社などで25年間に渡って要職を務めた後現職。著書に“Teaching The Moral Leader A Literature-based Leadership Course: A Guide for Instructors” (Routledge 2007), and “The Moral Leader: Challenges, Tools, and Insights” (Routledge 2008) 学生から圧倒的な人気を誇る教授である。ハーバードの学生に「誰のリーダーシップの授業がよかった?」と聞くと、必ずサンドラ・サッチャー教授の名前があがる。そして、2014年5月の最終講義は伝説的だったと皆、口を揃える。 リーダーシップの専門家として数多くの講座を受け持つサッチャー教授だが、特にリーダーの決断とモラルについて議論する選択科目「モラルリーダー」は教授の代名詞とも言える。「わが命つきるとも」「日の名残り」「キャサリン・グラハム わが人生」など、舞台、文学、自伝から“倫理的に究極の決断をしたリーダー”について学ぶ授業で、広島へ原爆投下を決断したトルーマン元大統領についても取り上げている。 「モラルリーダー」とはどんなリーダーなのか、なぜ倫理やモラルを教えているのか、そして伝説的だったと言われる最終講義について、話を伺った。 (2014年6月24日 インタビュー) 普通の市民が不正会計で逮捕される 佐藤智恵(聞き手) 1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。報道番組や音楽番組のディレクターとして7年間勤務した後、退局。2000年1月米コロンビア大学経営大学院留学、翌年5月MBA(経営学修士)取得。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年より作家/コンサルタントとして独立。2004年よりコロンビア大学経営大学院の入学面接官。ウェブサイトはこちら 佐藤:先生は「リーダーシップと企業倫理」の授業で使用される教材、「クリス・ウェストンとアリソン・ウェストン」を共同執筆されましたね。大企業に勤める夫クリスが、妻アリソン名義の会社を設立して、仕事を発注することにした。クリスの退職後に架空請求による横領が発覚し、夫妻は逮捕されたという実話ですね。この事例にインパクトを受けたと言う学生は多いですが、そもそもなぜこの夫妻を取り上げようと思ったのですか?
サッチャー:自分と同じような普通の人たちがいとも簡単に罪を犯しうるのだということを示したかったからです。卒業後、同じような誘惑にかられる可能性は十分にあるということを“普通の市民”の犯罪事例を使って伝えたいと思いました。 ウェストン夫妻に最初に出会ったのは講演会です。私は夫妻があまりに普通の人だったのに驚きました。“いかにも悪いことをしそうな人”ではないのです。夫妻は、逮捕された経緯について淡々と話し、その話にはとても説得力がありました。これは良き市民、悪気のない市民が冒しうる不正の典型で、授業に取り入れるべきだと思いました。 佐藤:彼らに罪の意識はなかったのでしょうか? サッチャー:スタンフォード大学のアルバート・バンデューラ名誉教授が“道徳離脱”についての論文を書いていますが、人間が悪いことをしているという認識すらなく悪いことをしてしまうのは、脳が錯覚をおこすからだそうです。私はこの論文を読んだときに、この研究結果を学生に伝えなければと思いました。気をつけないと脳が錯覚して、悪いことをやっているのに、悪いことをやっていないと思ってしまうのです。この事例は、道徳離脱の過程を具体的に知るのにとても役立つのです。 佐藤:どのような経緯で“道徳離脱”を起こしたのでしょうか? The Moral Leader: Challenges, Tools, and Insights サッチャー:逮捕された夫は、「会社の仕事に役立てるためにやっただけだ。皆、同じようなことをやっていた」と言いました。これはまさに自分のモラルの正当化ですね。バンデューラ教授はこれを“責任の分散”と称しています。「私だけがおかしなことやっているのではない。皆だってやっている。だから私がやったっていいですよね」という論法です。次に、「自分よりこの人のほうがずっと悪いことをやっている」と自分にとって都合がよいように比較をはじめます。この他者との比較は、自分の行為を些細なこととして認識するために行います。“責任の分散”に“都合のよい比較”。こうした“道徳離脱”の過程を学生は教材を読みながら分析していくわけです。
佐藤:夫妻は見たところ、ごく普通の人だったとおっしゃいましたね。それなのに、なぜ普通じゃなくなってしまったのでしょうか? サッチャー:最初は小さな不正行為からはじまったそうです。それが積み重なって、エスカレートして、逮捕されるような犯罪行為となってしまった。「不正なことをはじめないこと」がこの経験からの教訓だったと二人は言っていました。 佐藤:最初の不正は、きっと誰もが冒しそうな小さなことだったのでしょうね。
誘惑と「責任の分散」 サッチャー:そうです。そもそもの始まりは、大企業に勤めていた夫が、個人経営の会社を設立し、妻の名義にしたことです。夫は大企業から自分の会社に仕事を発注しはじめるのですが、妻名義なので誰も彼の会社だとは思いませんでした。 最初は妻が仕事をした分に対し、相応の報酬を支払っていましたが、そのうち、妻は仕事をしなくなり、架空の発注が繰り返されていきました。架空発注に手を染めると、今度は金額がどんどん大きくなり、気がついたら100万ドル(約1億1000万円)以上、夫妻で横領していたというわけです。夫は「横領するためにやったわけではないのです。最初は小さな金額だったのにどんどん大きくなってしまった。誰でもやってしまうようなことだ」と言っていましたが、彼の言い分には、“責任の分散”が見受けられますよね。 佐藤:“道徳離脱”に“責任の分散”。だからこそ、不正会計や腐敗行為がなくならないのでしょうね。 サッチャー:世の中には誘惑がたくさんありますからね。毎年、夏になるとインターンとして働いている学生からたくさんのメールをもらいます。「これは倫理上正しいでしょうか、私はどうすればいいでしょう」と。たとえばインターン先で上司から「このプロジェクトの本当の目的については他言しないでほしい」「この情報の用途については誰にも言わないでね」などと言われるそうなのです。こうした小さなお願いをされたときに、「私はこれを良しとする人間だろうか」と自分自身に問い直せるかどうかが、道を踏み外さないために重要ですね。 佐藤:リーダーはどのように正しい倫理観を身につけたらいいのでしょうか? サッチャー:倫理観は両親、教師、自分が憧れる著名人など、人からの影響を受けながら、自然に形成されていきますよね。その影響はもちろん大きいですが、道徳形成を研究している心理学者は、自分で努力して身につけられると指摘しています。 正しい倫理観は身につけられる まず1点目が、自分を人道的な人間で、モラル原則を守り行動する人間だとして信じること。つまり自分自身を正しい倫理観を持つ人間だと定義するのです。たとえば、不正をする誘惑にかられそうになったとき、「私はこういうことをする人間ではないのだ」と言い聞かせる。こういう感覚を常に維持しておこうとすることは大切で、それが最後の防波堤となるのです。 2点目として、人への共感力を身につけることも大切だと思います。他人を生身の人間だと思わないことから生じる不正というのはとても多いのです。共感力とは、人と人とが倫理的な関係を結ぶ上で基礎となるもので、これも後天的に身につけることができます。誰だって嫌いな人はいるし、理解できないと思う人もいるでしょう。しかし、彼らも同じ人間なのだと思えば、「自分だったらどのように大切に扱われたいかな」と考える。そうすると嫌いな人であってもぞんざいに扱うようなことは出来なくなるはずです。 3点目として、「リフレクション」(内省)が大切だという研究もあります。日記などに自分の思っていることを書くという行為は、倫理観を醸成するのにとても重要なのだそうです。何か決断しようとしているときも、書けば考えが整理されていきますね。紙に書いてあると客観的に理解できるし、間違った方向に行きそうなとき、軌道修正にも役立ちます。 佐藤:ただ書くだけでいいのですか?日記を書いたり、ノートに書き留めたりするというのは、とても実用的なアドバイスですね。今、この場で誰でも出来ますから。 サッチャー:自分の思っていることを書くという行為は、レジリエンス(失敗から立ち直る力)を身につけるにも役立つと心理学者は唱えています。失敗をしてしまったとき、なぜこうなってしまったのか、紙に書いて整理してみたら、自意識を取り戻していくことができるそうです。「これが私の失敗。失敗の原因はおそらくこれ。そして今の自分は最悪。二度とこんな失敗はおこさないぞ」と。人間は失敗しても、そこから再生して、成長することができると理解しておくことも大切ですね。 佐藤:先生はフィデリティ・インベストメンツでもハーバードでも女性リーダーとして活躍されてきました。なぜリーダーでいたいと思うのですか? サッチャー:ただ世の中をよくしたいと思う気持ちに突き動かされて、ここまで来ました。「リーダーになりたい」と思ったのではなく、「世の中をよくしたい」と思ったからリーダーになったのです。この質問を事前に頂いて、私自身の人生を振り返るよいきっかけとなったのですが、やはり私の根本にあるのは「世の中をよくしたい」というモチベーションだということに気づきました。 ハーバードは意外にも協調的 佐藤:ハーバードの教授陣にインタビューさせていただくと、皆、前向きで奉仕の精神にあふれています。なぜハーバードという競争が厳しい環境で、前向きな気持ちを保てるのでしょうか。 サッチャー:それは面白い質問ですね。ハーバードビジネススクールといえば学生間の競争が厳しい学校だから、教授間の競争も激しいに違いないとお考えになったのですね。しかし実際は、教授陣はお互い競い合っているわけではないのです。25年間、ビジネスの世界にいた私の目からみても、ここはかなり協調的な環境と言えます。 もちろん他校の教授と研究で競合することもありますが、たとえば、全員が全員、私と同じように解雇について研究しているわけではありません。教授は個別に独自のテーマを研究し、もし同僚で同じテーマをやりたいという人がいたら、共同で研究します。私は長年、「ダイバーシティとインクルージョン」について研究してきましたが、多くの教授陣に協力していただきましたよ。 佐藤:先生は現在、次の本の執筆にとりかかっているそうですが、どのようなテーマの本でしょうか。 解雇に替わる手段を模索 サッチャー:大企業の人員整理、人件費削減、企業再建について執筆しています。私は解雇というネガティブな手段以外に、会社が人員コントロールをする方法が必ずあると思っているのです。意外な方法で人員のコントロールに成功した企業の事例を紹介する予定で、会社、社員、コミュニティーなど関係者すべてに恩恵をもたらす、新しい代替手段を提案できたらと願っています。 佐藤:それは日本企業にとっても参考になりますね。日本では年功序列という組織風土や法律上の問題もあり、解雇は一般的ではありません。かわりに早期退職という制度がありますが、人員整理は大きな問題となっています。 サッチャー:私は日本企業についても研究しているのですが、日本では、解雇とは逆に、契約社員やアルバイトをどんどん正社員にしている企業もあると聞きました。これは面白い現象ですね。 佐藤:若者の正社員化は、ユニクロのような成長企業でよく見られます。その一方で成熟産業では、シニア社員を対象に早期退職者の募集を始めています。若者の正社員化と、シニアへの退職勧奨。日本では、その両方が見られますね。 サッチャー:他の国でも同じような事例がありますが、今回の本には日本企業の事例も入れたいと思っています。 佐藤:解雇は誰も幸せにしませんから、それに替わる手段があればぜひとも導入したい企業な多いでしょうね。 サッチャー:解雇というのは、人間に驚くほどの害をもたらします。解雇された人がうつ状態になる確率は、普通の人の2倍、アルコール依存症になる確率は4倍です。家族に暴力をふるう確率もずっと高くなります。ですから道徳的な観点から人員整理を考えることが大切なのです。 解雇は解雇された人だけではなく、企業にとっても悪影響を与えます。人員が少なくなってくると社員に余裕がなくなります。するとイノベーション力も、営業力も、カスタマーサービスの品質も、安全に対する意識もすべて低下します。こうなってくると、社員は「もうこの企業は終わりだ」と思い、優秀な人から辞めていく。会社は将来のリーダー候補を次々と失い、衰退していくことになります。 解雇された人も、企業も、コミュニティーもすべてズタズタになってしまう“解雇”という制度。グローバル企業で日常的に行われている制度が、こんなにも人を不幸にしています。どの企業も解雇に替わる新しい方法を模索している中、人員を柔軟にコントロールすることに成功した事例を紹介できればと思っています。 (つづく)
このコラムについて ハーバードのリーダーシップの授業 日本企業もグローバル企業も、採用基準の第一は「リーダーシップ力」だという。さて、改めてリーダーシップとは何だろう。世界最高峰の経営大学院「ハーバードビジネススクール」では、リーダーシップをどのように教えているのか。日本人留学生と教授への取材で明らかにしていく。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141016/272645/?ST=print |