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国家は、なぜ性表現を規制?表現の自由の危機?警察は珍妙な指導、最高裁判断とズレも
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141104-00010004-bjournal-soci
Business Journal 11月4日(火)6時0分配信
このところ、公権力による性表現への介入が続いている。
(1)5月、東京都は、漫画『妹ぱらだいす!2』(KADOKAWA)について、描写の過激さではなく近親相姦を賛美・誇張していることを理由に、都青少年条例の定める「不健全図書」に指定。これを受けてKADOKAWAは同書を自主回収した。
(2)7月、警視庁は「女性器」をテーマに創作活動を続ける、漫画家・美術家のろくでなし子氏を逮捕。自身の性器の3Dデータ(このデータを3Dプリンターに取り込むと、形状を再現できる)を支援者に配布した疑い。
(3)8月、愛知県警が、愛知県美術館に展示中の写真家・鷹野隆大氏作品の男性の性器が写った写真をわいせつ物であるとの理由で撤去を求める。結局、性器の部分を薄い布や紙で覆うなどして展示することになった。
こうした事件に関して、新聞・テレビはそこそこの紙面・時間を割いているのだが、その割には、議論はあまり活発ではないようにみえる。
●性表現規制は表現の自由への介入?
もしかすると、「性表現には関心はない」「一般常識で判断すればいい」といった世間の空気なのかもしれない。しかし筆者には、実はこうした一連の動きは、「秘密保護法」や「朝日新聞バッシング」と同列とまでは言わないが、表現の自由にとって意外に重たい問題を内包しているように思えるのである。
そもそも性表現の規制は、名誉毀損と並んで最も歴史の長い表現規制である。なぜ性表現が早くから権力者に目の敵にされたのか定かではないが、おそらく、あらゆる面で庶民より「価値の高い人間」であると自任していた王や貴族たちにとって、自らの華麗な衣装の下の醜い肉体と比べて、粗食に甘んじ激しく肉体を酷使して生きていた庶民の鍛え抜かれた肉体の美が、強い嫉妬の対象であり脅威でもあったことがその主因であろう。
美しい肉体の魅力は昔も今も、理屈や秩序を超えて強烈に人を引きつけ酔わせる力を持っているのである。支配者は、そういう性の価値紊乱性、つまり体制を根底から転覆しかねない潜在力を恐れ、徐々に「性=下品なもの、汚いもの、隠すべきもの」という道徳を私製して、自らの権威を保全しようとしたのではないか。
1972年に起きた日活ロマンポルノ裁判の際、被告人とされた映画監督・山口清一郎氏は「国家は『豊かなる性』に嫉妬する」という言葉を残したが、これは古今東西の性表現規制の本質を射抜いた名言であると筆者は思っている。
実際、現在でも日本は、刑法の中に厳かに「わいせつ物頒布・販売罪」を安置しているが、それが何のための規制なのか、つまりその保護法益について国は十分に説得力のある説明をしているとはいえない。それにもかかわらず、警察など規制当局は、現在に至るまで、あたかもそこが呪われた場所であるかのように、性器を目の敵としてしつこく取り締まりを行っている。また最近では、パソコンやスマートフォンの登場で大きく変容する青少年の情報環境に“ついていけない”大人たちの漠然とした不安に便乗するように、「青少年の健全育成」を名目とする表現規制を次々に強化している。しかしこれは、一種の思考停止状態ではないだろうか。
●最高裁判断は、芸術目的の作品への規制は消極
もちろんこれまで、日本の性表現問題にまったく進歩がなかったわけではない。2008年2月には最高裁判所が、性器の写された写真であっても、それが「現代美術に高い関心を有する者による購読、鑑賞を想定したもの」であれば、いたずらに禁圧されないという判決を出している。この最高裁の示唆を踏まえれば、警察などは少なくともアートの文脈で提示された作品については、仮にそれが性器を写したものであっても、それを取り締まる際には相当に抑制的でなければならないことになるはずである。そうだとすれば、少なくとも前記の(2)(3)の事例などは、最高裁判例に背く過剰な規制の疑いが濃厚であるということになろう。
9月24日付東京新聞の報道によると、(3)の事件の際、警察は美術館に対し「女性器は足を開かなければいい、男性器は股間にはさめばいい」などという珍妙な指導を行ったと報じられているが、彼らはいったいなんの根拠・権限があって、表現活動にこのような野蛮な口出しをしているのであろうか?
「たかが性のことで何をムキになっているのか」との指摘もあるかもしれないが、公権力が過剰に市民社会の道徳に踏み込み、それを善導しようとすることに、私たちはもっと警戒心を持つべきであろう。その小さな「アリの一穴」が、秘密保護法や集団的自衛権などと相まって、市民を再び危険な「あの時代」――奇妙な精神論がまかり通る中、止めようもなく無謀な戦争に突き進んでいった時代――に連れ戻さないとも限らないのだ。
大石泰彦/青山学院大学法学部教授
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