16. 2014年11月04日 06:32:26
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相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記【第116回】 2014年11月4日 相川俊英 [ジャーナリスト] カリスマリーダーなき後の崇高な理想と現実 全国で唯一議員報酬を日当制にした矢祭町の「今」 あの「日当制導入」から6年半 行政のスリム化を推し進める矢祭町の今 福島県矢祭町の議会が2008年3月に議員報酬を日当に変え、日本中を仰天させた。議員自らが月額20万円ほどの議員報酬を、日額3万円に引き下げたのである。議員報酬を日当化にしたのは、全国で矢祭町議会のみ。後に続く議会もなく、今なお唯一の存在となっている。日当制の導入から6年半が経過した矢祭町議会を訪ねてみた。 「我々は財政改革の一環で日当制にしたわけではありません。結果的に財政改革につながっただけです。そもそも非常勤特別職である議員の報酬は、生活給ではありません。議会活動への対価であって、家族らを養うための報酬ではないはずです」 こう力説するのは、福島県矢祭町の菊池清文・町議会議長。現在5期目のベテラン町議で、議員報酬の日当化を提案した人物だ。 矢祭町は人口6250人(2014年9月1日現在)の小さな町だ。「平成の大合併」の真っ只中の2001年に「合併しない」宣言を発し、単独の道を選択したことで知られる。行財政改革を徹底し、行政のスリム化と効率化を必死になって進めていた。 このため、議員報酬の日当制も行財政改革の一環として踏み切ったものと見られていた。財政的に貧しい町が経費削減のために断行したと捉えられ、疑問の声や批判が寄せられた。 なかでも猛反発したのが、他所の自治体の議員たちだった。日当化は議会・議員の役割を軽視、ないしは認識不足に基づく愚挙だと白眼視した。議会の力を弱める軽はずみな行為だと断じる議員もいた。 こうした見方に対し、日当制導入を推進した菊池議長は、「議員は本来、ボランティアではないでしょうか。ボランティアとは志願してやるものであって、報酬はさておきです。そもそも議員活動は、高い報酬をもらわないとできないものなのでしょうか」と、あるべき理想の議員像を語る。 そして、「(日当制の導入により)議員活動が低下したことはありません」と明言する。確かに議員報酬を高額にすれば、議員の質や仕事ぶりが高まるというものでもない。それは、年間1660万円あまりの報酬と年間720万円もの政務活動費を議員に支給している東京都議会を見れば、誰でも納得できるはずだ。議員のレベルと報酬額は連動するものではない。 矢祭町議会は、2004年に議員定数を18名から10名に削減した。報酬は月額で、議長30万円、副議長22万7000円、議員20万8000円となっていた。期末手当を含めた年間の議員報酬総額は、約3470万円に上った。議員1人あたり347万円となる。小規模自治体のごくごく一般的な姿と言えた。 定数削減後、矢祭町議会は自らの身を切るさらなる改革を進めた。2007年12月に、議員報酬を日当制にする条例案を7対2で可決したのである。2008年3月末から月額制が廃止され、本会議や委員会出席などに1日一律3万円の日当が支給されるだけとなった。期末手当も廃止され、政務活動費や費用弁償もなし。日当の額を3万円にしたのは、こんな根拠からだった。 どこまでが議員活動と言えるのか 公式行事への出席除外して日当は3万円 まず議員の日当額を算出するべースとして、町の管理職(課長)の日当を用いることにした。管理職1人あたりの年間平均人件費は、給料や各種手当、共済負担金や退職手当負担金など諸々を入れると、約1056万6000円だった。これを平均出勤日数の236で割り、管理職の日当額は弾き出した。約4万4800円だった。 常勤職員の勤務時間は8時間のため、議員はその7がけとした。こうして算出された額は約3万1300円となったが、端数を切り捨てて日当3万円にしたのである。 当初は成人式や敬老会といった町の公式行事への出席も、日当の対象にする予定だった。ところが、民生委員など無償で出席する人がたくさんいる中で、なぜ議員だけ日当をもらうのかという疑問が出され、結局、議会内の活動に限定されることになった。 実際のところ、どこまでが議員活動かの線引きは難しい。ご本人が議員活動だと言い張るものの中には、単なる集票活動にすぎないものが多い。また、有権者からの相談や陳情を受け、せっせと口利きに走ることが議員の本分だと勘違いしている人も多い。本来の議員活動と票目当ての日常的な選挙活動が、ごっちゃになっているのである。 矢祭町議会は日当制の導入により、純粋な議員活動とグレーゾーンの議員活動を峻別することにした。本議会と委員会、全員協議会や行政視察などに限定して議員に日当を支給することにし、自宅での調査や研究、準備、住民との話し合いや研修なども対象外とした。 日当制導入後、矢祭町議員10人の総報酬は激減した。初年度の2008年度は1206万円で、議員平均出勤日数は40.2日だった。2013年度は1320万円で、平均出勤日数は44日。議員1人当たりの年間報酬は132万円となっている。月額制時代の3分の1ほどだ。 日当制導入の狙いの1つに挙げられたのが、選挙のあり方を変えることだった。過去の町議選では大量の酒などが陣中見舞いとして選挙事務所に届けられ、当選すれば数万円の当選祝い金が飛び交ったという。日当制になれば、選挙に大金をかける余裕がなくなり、カネをかける選挙が一掃されるのでないかと期待された。 また、カネをかけない選挙が定着すれば、これまで立候補することのなかったようなボランティア精神に富んだ人たちが議員になるのではと期待された。 議員になることに報酬面での魅力がなくなれば、議員の成り手や意識が変わり、住民の意識も変わる。そして、選挙も変わると考えられたのである。 日当制条例案に賛成した議員で 現職を続けているのはわずか2人に では、現実はどのように推移しているのだろうか。 矢祭町議会に初めての日当制議員が誕生したのは、2008年3月の町議選だった。定数10に対し、立候補したのは11人。このうちの10人が告示前、地域紙に「立候補予定者一同」の名前で広告を載せた。それは、有権者に「陣中見舞・当選祝等は、固くご遠慮申し上げます」と呼びかけたものだった。 注目の日当議員選挙の投票率は88・22%を記録し、住民の関心の高さがうかがえた。当選者は現職6人に前職1人、そして新人が3人で、現職1人が落選となった。当選者の年齢構成を見ると、50代5人、60代4人、70代1人と若い世代がゼロ。農業や建材業、会社役員といった仕事を持っている人ばかりだった。 4年後の2012年3月の町議選では12人が立候補し、現職2人が落選した。投票率は前回よりもやや低下し、87・56%だった。前回と同様に、300票を獲得すれば当選となった。新人が6人に増え、40代1人、50代4人、60代5人と若干若返った。注目すべき点は、日当制条例案に賛成した議員でいまなお現職を続けているのが、わずか2人になったことだ。 議員日当制の導入でカネをかけない選挙が続いたが、掲げられた崇高な理想とは異なる現実にも直面している。もともと日当制に対し、議会内に反対の意見があった。「自分の仕事をしながら片手間で議員活動はできない」「日当制では生活できないので、若い人たちが議員にはなれない」「一所懸命仕事をする人に一定の報酬を払うのは当然だ」「議員の仕事は議場内だけではない」といった異論である。おカネが欲しいという議員たちの本音とも言える。 日当制導入時にこうした意見が議会内に広がらなかったのは、2007年4月に引退した前町長が隠然たる影響力を誇っていたからだ。カリスマ首長として全国的にも知られていた根本良一・前町長(連載第57回参照)である。議員日当制の提唱者だった。 月額制派と日当制派で議会は真っ二つ 議会力の向上をいかに担保するかは課題 その根本前町長が引退して7年あまりが経過し、矢祭町議会内で日当制を見直すべきとの意見が聞かれるようになった。議員報酬をあてにする人たちが、不満を募らせているのである。今年春に議員日当制に関する協議を全議員で2回、行っていた。 10人の議員は、月額制に戻すべきとの意見と日当制を堅持すべきとの意見で真っ二つに割れているという。また、ある議員は「一部の有権者からも『昔のお祭りのような選挙の方が良い』という声が出ているようだ」と内情を明かす。 しかし、日当制見直し派の議員たちも具体的な行動を起こせずにいる。「自分たちの本音を公の場で大っぴらに語ると、次の町議選挙(2016年)で落とされてしまうのでは」と危惧しているのである。それで住民に働きかけることもなく、ひたすら大きな流れの転換を待っているようだ。ボランティア精神だけではうまくいかない現実があるというのも、間違いない。 もっとも、矢祭町の議員日当制が抱える最大の問題点は、議会力の向上をいかにして担保するかという視点が欠落していることだ。議員活動は片手間で済ませられるものではない。また、片手間で済ましてよいものでもないはずだ。報酬を日当にするだけで、あとは志の高い人の登場に期待するというのでは、あまりにも心もとないと言わざるを得ない。 http://diamond.jp/articles/-/61510
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