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今年の秋の叙勲には特別の意味が込められている
http://www.amakiblog.com/archives/2014/11/03/#002978
2014年11月03日 天木直人のブログ
今年もまた叙勲の季節がやってきた。
自分がもらえないからといって批判するわけではない。
人が喜んで受賞することにケチをつけるつもりもない。
しかし、私はこの日本の叙勲制度というものは、決して多くの日本国民にとって好ましい制度ではないと思っている。
政府内部にいてこの叙勲制度のいかさまに少しだけかかわってきた経験から言えば、たとえばこうだ。
叙勲制度とは巧妙な差別制度なのだ。
何と言っても官民差別なのだ。
勲章には巧みで複雑な等級があり、それがまた国民間の差別意識を助長している。
誰にどの勲章を与えるかはすべて官僚が判断するという恣意性があり、勲章が欲しければ国家に逆らうなと脅かしている。
このように叙勲制度は非民主的なものであるが、それを批判するためだけだったら決して私はこのブログを書かなかった。
私がこのブログを書いた理由は今年の秋の叙勲には特別に意味があるからだ。
それは今年の旭日大綬章の受賞者の中に竹内行夫元最高裁判事の名前があった事だ。
そしてその事は、今年が砂川判決の再審請求が行われた年であることを思い起こせば特別の意味を持つ事がわかる。
外務事務次官を経て最高裁判事に天下った竹内行夫氏は憲法9条違反を知っていながらイラク戦争を支持し、自衛隊派遣を認めた張本人だ。
憲法9条違反を犯した者が最高裁判事に天下る、その上に最高位の勲章を叙勲する、この究極の不条理こそ、半世紀以上も前に繰り広げられた不条理なのだ。
すなわち田中耕太郎という当時の最高裁長官は、在日米軍は憲法9条違反であるという東京地裁の判決(伊達判決)を覆して、それを統治行為論で一蹴した。
その背景に米国政府の圧力とそれに率先して服従するこの国の最高裁長官の姿があった。
それから半世紀以上たって、竹内最高裁判事が、まさに田中耕太郎最高裁長官の後を見事に継いで歩いている。
対米追従をすべてに優先した官僚が、この国の司法の頂点に立ち、そして主権を放棄する。
その結果として最高級の勲章を受ける姿は瓜二つだ。
この不条理さを国民の手で裁けない限り、この国の民主化は望むべくもない。
それを今年の秋の叙勲は教えてくれているのである(了)
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