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2014年10月29日
腰が抜け、あいた口が塞がらないような事実を知った。以下「リテラ」のコラムなのだが、本当に曽野綾子が道徳の教科書に載るのだろうか。二宮尊徳の代わりか?これは、ほとんどブラックユーモアの世界だけど、このような恥も外聞もないのが、安倍晋三や下村博文、山谷えり子、高市早苗、有村治子を擁する現在の無知蒙昧なネトウヨ紛いの自民党政権があるのだろう。しかし、政権が元気な内に、物事のすべてを右側に寄せてしまおうとするあまり、こと如くが粗製乱造になっている。保守自体を許容する筆者としても、これでは、将来的に、だから保守はダメなのだ、と云う歴史上の笑い話ネタを提供しているように見える。
第二次安倍改造内閣で閣僚となった政治家もかなりの酷さだ。既に、二人の辞任が出ているが、三人、四人、五人目まで辞任ルートに乗っている。ただここにきて、一気にメディアの一斉攻撃が始まったのだが、何が潮目で引金が引かれたのだろう?誰が、一斉攻撃のサインを出したのだろうか?陰謀論かどうか別にして、官邸に謀反者がいるか、霞が関の陰謀なのか、はたまた海の向こうの支配者からの指令なのか、いずれにしても、安倍官邸よりも、更に上をいくメディアコントロール指揮勢力の存在を窺わせる。
こうなると、下火になりかけていた「解散総選挙」の可能性も出てきている。福島知事選は抱きつくことで難を逃れたが、沖縄では断然優勢な翁長をいずれ寝返らせる以外、辺野古新基地計画が、埋め立てボーリング調査段階で、再びたな晒しになる可能性もある。経済状況は悪くなるばかりで、景気条項から行けば、消費税10%の決定はかなり難しい。しかし、財務省は一歩も引かない態勢で臨んでいるのだから、どちらを選択しようと安倍晋三にとっては地獄が待つ。それなら、民意を問うことで、自身の苦境を乗り切る解散権行使も理には適っている。
まあ、理に適ったことをするには、論理的思考が可能な場合に想定できるのだが、どうも安倍首相の答弁など聞いていると、歴然たる右も左だと言うし、待遇悪化を待遇改善だと言う。そのように答弁しても、何らの恥じらいもなければ、疑問さえ感じている様子もないので、あの人の、次なる行動を予測するのは、神でも仏でも無理だろう。しかし、話は変わるが、曽野綾子ってのは、完璧な勘違い女で、永遠の上から目線女に過ぎず、縁故縁故で生きてきただけの女。たぶん、ほとんど自分の発言に責任を持たずとも生きてきた、希少動物に違いない。彼女の著書(自称小説家だが、作品の題名さえ記憶にない)「人間にとって成熟とは何か」、「人間の基本」、「生きる姿勢」、「人生の原則」、「老いの才覚」等々、自らを真逆に見ることで書いたとしか思えない数々だ。とっておきの題名の本が「なぜ子供のままの大人が増えたのか」だが、オイ!綾子さん、アンタのことだよ!(笑)
PS: 官邸情報に最も近い読売新聞が“解散時期早ければ早い方がいい”のトピック。安倍官邸とツーカーの間柄。解散は秒読みか?次々と閣僚不祥事発覚を握りつぶすにも、解散は禊をも意味するだけに、大いにあり得るカードに見えてきた。
≪自民に早期解散論「時期は今だ、早いほどいい」
自民党内で、年内を含めた早期の衆院解散・総選挙に踏み切るべきだとの声がくすぶり始めた。 女性2閣僚の「ダブル辞任」後でも、主要報道各社の世論調査で50%前後の高い内閣支持率を維持しており、消費税率引き上げの先送りを争点に、野党の選挙態勢が整う前に解散に打って出るという作戦だ。ただ、安倍首相が早期解散を決断するか懐疑的な見方も多い。
「ダブル辞任の支持率下落も最小限に収まった。最も勝てる解散時期は今だ。早いほどいい」
首相に近い中堅議員は28日、こう強調した。政府・与党内では 衆院解散時期について、「来春の統一地方選や集団的自衛権関連法制の国会審議などを経た来年夏以降が本線」(自民党幹部)と見られてきた。それでも、早期 解散論がくすぶるのは麻生政権下での苦い経験があるからだ。 ≫(読売新聞)
≪ 道徳教科化決定記念!安倍政権が指導書にのせた曽野綾子のトンデモ発言集
先日の中教審の答申で、道徳の「特別教科」化が事実上決定した。現在「教科外活動」である道徳が格上げされて成績評価対象となり、検定教科書も導入 されるという。いよいよ安倍首相の宿願である愛国教育、いや、国民総ネトウヨ化教育が本格化するわけで、きっとその中身はツッコミどころ満載のものになるはずだ。
いや、すでにその兆候は現れているといっていいだろう。今年4月から道徳教育の教科化をにらんで、文部科学省が『私たちの道徳』なるタイトルの教科書を小中学校に配布しているのだが、その中学生版に、あの曽野綾子が「誠実」のお手本として登場しているのだ。
曽野といえば本業は小説家だが、クリスチャンとしてボランティア活動にも取り組んでおり、1995年から2005年までは日本財団会長として途上国支援に飛び回っていたことがしばしばクローズアップされる。だが一方で、彼女は極端な保守エリート主義、しかも大衆侮蔑思想の持ち主としても有名で、これまで差別的な発言を何度も口にしてきた。
たとえば、そのひとつが、昨夏、「週刊現代」(13年8月31日号/講談社)に寄稿した「甘ったれた女性社員たちへ〜私の違和感 出産したらお辞めなさい」という一文だろう。 「最近、マタニティ・ハラスメントという言葉をよく耳にするようになりました。マタハラとかセクハラとか、汚い表現ですね。妊娠・出産した女性社員に対する嫌がらせやいじめを指す言葉ですが、この問題に対し、企業側は、反対意見を言えないよう言論を封じ込められているようです。(中略)彼女たちは会社に産休制度を要求なさる。しかし、あれは会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だと思いますよ」
この時代に出産したら会社を辞めろ!と説教をぶち、法律で保障されている制度を「迷惑千万」と切り捨てる。怒りを通り越していっそすがすがしくな るくらいの反動ぶりだが、しかし、安倍政権って「女性が輝く社会」と銘打って、働きながら子どもを育てることのできる社会の実現を支援しているんじゃなかったけ? それが道徳教育ではこんな人を教科書に載せているのである。有村治子や山谷えり子を閣僚に抜擢するような政権だからって、これはいくらなんでも……。
しかも、曽野センセイはたんに保守的な「女性は家庭に入れ」論をぶっているだけではない。実はセンセイには一人息子がいるのだが、その育児経験について別の著書でこんな発言をしているのだ。
「結婚して三年目に長男が生まれたんですが、小説を書くことと子育てというのは、両立がものすごく大変だった。ところが、両親が離婚して、母親が私の家にいたわけですね。だから、最初から計算したわけでもなかったんですが、子どもが生まれたら、母が面倒を見てくれる」(曽野綾子×三浦朱門『夫婦のルール』 講談社) これを受けて、夫の三浦朱門氏も悪びれることなく、曽野が全く育児をしていなかったことを証言する。 「私たちは二人とも忙しかったですからね。夫婦二人では、とてもこまめには面倒がみられなかった。息子は彼女の母親が育てたようなものですね」
つまり、自分自身は息子の世話を実母に丸投げしておいて、働く女性たちには「出産したらお辞めなさい」と説教していたというわけだ。なんという巨 大なブーメラン。もしかしたら、安倍政権は自分には甘く他人にはとことん厳しくすることを新しい時代の「誠実」と位置づけたいのか。あるいは、これからの厳しい国際社会を生き抜くために「自分のことを棚上げする技術」を教えようとしているのだろうか。
そんな曽野綾子だが、うってかわって優しい一面を見せることもある。『人間の基本』という著書で、曽野はこんなエピソードを明かす。 「以前、大手銀行に勤める知人が『本社の地下にプールを作って、女子行員とのふれあいの場を作るのが僕のプロジェクトなんです』と言うのを聞いて思わず笑ってしまったことがあります」(『人間の基本』新潮新書)
当然、この後は苦笑しながら「女子行員はあなたの接待要員ではないのよ」とたしなめ、最近の銀行員の品位のなさを嘆くのだろうと予想していたら、さにあらず。曽野はこの水着の女性行員をはべらしたいと夢想する銀行員の台詞をこう評するのだ。 「彼が頭脳も家柄も抜群なのに絶対に偉ぶらない、都会的なセンスを持った方だからこそ通じる、上等のジョーク」
完全なセクハラ擁護というか共犯でしょ、これ。しかも、こんなベタな言葉を都会的なセンスで上等なジョークと評するとは、この人が小説家として通 用しなくなった理由がわかる気がするが、とにかく、曽野は男性、とくに家柄のよいエリート男性にはやたら甘く、優しいのである。
一方で、厳しいのが女性や弱者に対して、だ。どんな過酷な状況におかれている人に対しても、平気で上から目線の説教をする。04年に起こった新潟県中越地震では、地震にあって呆然としている人たちに対して、こう叱るのだ。 「私なら余震の間にどこかからお鍋を手に入れて来て、ガス洩(も)れの恐れのない遠くで、すぐに自分でご飯を炊く」 「お握りやパンの配給があるまで、どうして手を拱(こまね)いているのだろうか。年寄りは年寄りなりに、自分が今まで生きてきた体験上の知恵を働かせて、 なぜ自分たちで生きることに努力しないのだろうか。それでいて国家に不平を言う人もいる」(『産経新聞』04年10月29日)
11年の東日本大震災の時も同様だった。「大震災の時、私はその場にいなかったのですからよくわかりませんが、その夜から避難所には、食べ物を作る方はいらしたのかしら。私だったら津波が引いたら、鍋とかお釜を拾い出し、ブロックで竃を築いて、燃料はそのへんに落ちている誰の物かわからない木片をどんどん焚いて暖を取りますし、高台に住む人にお コメを分けてもらってすぐ炊き出しを考えますね。(中略)ところが、震災直後には『誰の所有物かわからない鍋や、誰の家屋の一部だったか定かでない木片を無断で拾ったり燃やしたりしたら、窃盗になる』なんてことを言い出す人も少なくなかったそうです」(「週刊ポスト」14年3月21日号)
津波の去った後で「そのへんに落ちている木片」を燃料にして飯を作る、なんてシーンを小説家が書いてきたら、「それは燃えません」と編集者は突き 返すと思うが、そもそも曽野は小説家とは到底思えないほど想像力に乏しく、他人の痛苦に鈍感なのだ。そして、自分がいかに恵まれているか、ということに対する自覚がまったくない。
そうした“弱者への冷淡さ”は、06年に東京都世田谷区で発生した中学2年生の少年による自宅への放火事件に対する感想に如実に出ている。加害少年が両親の離婚後、当初引き取った母親と折り合いが悪くなったために、すでに再婚していた父親の家に暮らすようになっていたという背景を、こう言い捨ててのけているのだ。 「今の夫人も、さだめしうっとうしいことだったろう。(中略)しかしとにかく同居に賛成してくれたことだけでも、私はいい女性だったのではないか、と思う」(『昼寝するお化け 第八集 謝罪の時代』小学館)
14歳という年齢は、社会的にも法的にも大人に庇護されるべき子どもである。この義母が少年を疎んでいたかどうかはわからないが、子どもには親に育てられる権利があるにも関わらず、曽野に言わせれば「うっとうしい」の一言。そもそも、「人権」という考え方自体がしゃらくさいらしい。 「この世で、人間が他者に要求してはいけないものが三つあります。『自分を尊敬しろ』と言うこと、『人権を要求すること』、『自分に謝れ』と他人に言うこと、この三つです。これら三つは要求した瞬間から、相手に侮蔑の念を抱かせるものです。(中略)人権を要求して得るものは、金か、制度だけです」(『人生の基本を忘れた日本人 この世の偽善』共著/PHP研究所)
しかし、こうやって発言を読めば読むほど、こんな人物を「誠実」の手本として「道徳」の教科書に載せてしまっていいのか、と心配になる。でも、きっ といいのだろう。弱者を叩いて強者に媚びる、自分に甘く他人に厳しい、国家に頼らず自己責任を要求する、女性はよき母親か性の道具でしかなく、社会で活躍するなんて我慢ならない、自分のことを棚に上げて他人に上から説教する
……考えてみれば、これ、全部、安倍政権を支持するネトウヨと共通する心性でないか。国民総ネトウヨ化を狙っている(?)安倍政権としては、曽野綾子はまさにうってつけの教材、モデルなのである。 子どもにそんな教育を受けさせたくない場合はどうするかって? 大丈夫。曽野は前掲『人間の基本』でひとつだけいいことを語っている。
「文部科学省や学校の先生、親だからといって頭から信用してはいけない。本当は誰も全面的に信用などできなくても、裏を返せばそのすべてが教育材料になります」
ぜひ、これから安倍政権で教科化した道徳教育を受ける子どもたちにこの言葉を教えてあげてほしい。そうすれば、教科書で曽野のことを読まされても“人の痛みもわからないような恥ずかしい歳の取り方はしたくないね”と思うようになってくれるはずだ。 ≫(リテラ > カルチャー > 作家 > 「産休は迷惑」の曽野綾子が教科書に :酒井まど)
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