http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/541.html
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文部科学省ホームページより
「学問の自由」が危ない! 安倍政権の“軍学共同”で大学が戦争推進の拠点に
http://lite-ra.com/2014/10/post-582.html
2014.10.27. リテラ
本サイト・リテラに10月1日に掲載された記事「国立大学から文系学部が消える!http://urx.nu/dqSe」では、安倍政権によって経済の論理に屈従させられつつある大学の現状をレポートした。だが、大学に迫っている危機はもはやそんなレベルではない。
今年7月6日に共同通信の大学に関する配信記事が地方紙を賑わした。「東大が防衛省に協力拒否」と題された記事の内容はこうだ。
「防衛省が今年5月、強度試験中に不具合が起きた航空自衛隊輸送機の原因究明のため東大大学院教授に協力要請したところ、大学側が「軍事研究」を禁じた東大方針に反すると判断し拒否したことが5日分かった。防衛省は文部科学省を通じ東大に働き掛けを強め、方針変更を促す構えだが、文科省は大学の自治を尊重し消極的だ。一方、教授は大学側に届けず防衛省の分析チームに個人の立場で参加しており、大学方針の実効性が問われる可能性もある。」
「東大は1959年と67年に当時の最高意思決定機関の評議会で、軍事研究の全面禁止を申し合わせた。広報担当者は取材に「大学の方針に従い対応した」と説明した。」
いまやほとんど目にすることもなく死語と化したかに思える「大学の自治」ということばが語られている。東大が大学としての矜持を示して、国家からの軍事協力の要請を拒否したことは、大学が国家から自立した学問研究の場である主張を明確にしたといえるだろう。
しかし、国家と社会総体においてすさまじい勢いで加速する右傾化のなかで、大学だけがいつまで戦争協力に抗し、平和を擁護できるだろうか。
「大学自治」はいま、その存在を疎んじ、大学を国家イデオロギーの昂揚と戦争推進の装置として活用したい勢力の激しい攻撃に晒されている。
朝日新聞従軍慰安婦報道にかかわった元記者たちが勤務する大学に、爆破テロの脅迫が行われたのがその好例だ。脅迫を受けた大学のひとつである北星学園大学は学問の自由と大学の自治を訴え、外部からの脅迫で教員の雇用を見直すことはしないと言明し、多くの大学人、知識人がその姿勢に支持を表明している。
一方、同じく脅迫を受けた帝塚山学院大学は「該当の教員は退職したので本学とは関係ない」旨のたった3行の文書をHPに公開しただけで、脅迫への一片の抗議も述べていない。この文書がHPに掲載された9月13日は、毎日新聞の報道によれば脅迫状が大学に届いた当日である。元記者を辞めさせたので爆破は勘弁してください、と脅迫犯に膝を屈したメッセージを送ったと受け止められても仕方ない対応だ。こうして大学人自身の手ですでに「大学の自治」の崩壊は進んでいると言えるだろう。
匿名の爆破テロ脅迫者のような目に視えない社会勢力だけではなく、さらに、国家からはより露骨な攻撃がかけられている。
福井県でも、県下でたった2つしかない人文社会科学系のひとつである福井大学地域科学課程の廃止が決定し地元に波紋を広げていると福井新聞が8月6日に伝えているところからも、事態が相当進展していることは間違いない。
「国立大学」は2004年に設置形態が変更され、国立大学法人という独立行政法人となった。文科省のHPなどには、大学の自主性を高め柔軟な教育研究をすすめるためと謳われているが、国からの運営費に頼らざるを得ない財政構造になっていることから、結局、国すなわち時の政府の方針に逆らうことができないのが実際だ。
こうした、大学に市場原理が導入されカネをうまない学問を切り捨てていく流れが、いっそう加速しているのには、もちろんあの男の登場が背景にある。
あの男、安倍首相は5月6日のOECD閣僚理事会基調演説でこう語っている。
「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。」
安倍にとって「学術研究を深める」ことなどまったく無意味で、社会のニーズにあった職業に就けるための教育こそが必要だと考えられている。ほとんど大学教育そのもの否定である。大学の専門学校化といってもいい。象徴的にいえば、文学部の存在意義など見い出しようのない教育観、学問観である。
「人間とは何か」「社会はどうあるべきか」そしてそもそも「学問とは何か」を問い、先人の知的蓄積を継承し、未来を構想する知的活動を「教養」と呼ぶことにしてみよう。こうした教養を欠いたままで、科学技術の発展を追求することがどういう結果を招くのか。つい最近、この社会はそれを見てしまったのではなかったのか。
吉田昌郎所長が東日本壊滅の状況を想起せざるを得なかった3.11福島原発事故の惨事こそ、短期的な経済の論理だけに追随し、人類史や文明史のなかに科学技術を位置づけることができなかった、大学の貧困、学問の貧困が将来した結末なのだ。
また、経済の論理に支配される日本の科学界の惨憺たる研究環境を露呈したのがSTAP論文騒動だ。小保方晴子氏は、学問や研究の何たるかについての見識を深める契機も与えられずに5年任期の研究員ポジションにつき、任期内に結果が出せなければ地位を失うギリギリの状態に置かれていた。一方、笹井芳樹氏の死亡をめぐる報道のなかで、企業の出資により総工費40億円近い「笹井城」とも呼ばれる研究施設の建設が進んでいることが伝えられた。産官で莫大な投資を行い、短期的に回収できる成果をあげる仕組みをつくり、研究者を追い回しているのが、科学界の実状なのだ。
哲学者カントは『学部の争い』(1798年)で大学論を展開した。大学部の学部には、神学部、法学部、医学部上級学部とその基礎をなす哲学部に分類される。上級学部は社会的有用性を持ち国家と結びついているが、国家から自由な哲学部こそが学問の真理性を判断することができると述べている。
時の政権の意志と経済的利害だけで大学が統制され、とりわけ人文社会科学という人間や社会のあり方を考察する学問がないがしろにすることは、知的営為そのものの否定である。
「大学改革」の名の下に進行する文化破壊と知的荒廃の様をもっと多くのひとびとが知る必要があるだろう。
(村田哲志)
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