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2014年10月26日(日)
(略)
武田邦彦さんの『保存版・原発の安全(全7回)』は、私には、絶好の、いわゆる補助線になってくれたようです。
ここにきて、俄然と、吉岡斉(よしおかひとし)の『新版・原子力の社会史』が面白くなってきました。
たとえば、武田さんの回想録(体験談)では、回想の視点が、政治家・財界人のグループと、科学者のグループの対立、というものでした。
そしてもし、日本原発史の初動の時点で、科学者グループを代表する湯川英樹の主張が通っていたら、3.11は起きなかったかもしれない、と結論しました。なぜなら、その時は、自然科学の目から見た日本の原発の安全性が確立していただろうから。
ところが、現実はそうはならず、日本の原発の安全問題は、常に、自然科学には無知な政治家と財界グループに先導されることになってしまった、と。
この人たちが安全問題を先導するということは、そこでは自然科学上の知識による裏づけ、根拠は求められず、「原発をやりたいがゆえに、原発は安全だ」という前提での言動になってしまった、と。
この、初動の時期の日本人の決定が福島事故を招いた、と武田氏がネット・レクチャーで結論しています。
私などは、なるほど、と思います。
で、それを補助線とすると、吉岡氏の『社会史』のほうは、対立する2大グループのセッティングが異なっています。
こちらは、政治家・財界グループと科学者の対立ではなく、通産省と、科学技術庁の対立です。日本の原発史は、最初から、この2つのグループが対立する形で主導され、それゆえに「二元体制」と呼ばれてきた、と。
「1956年5月の科学技術庁発足により一つの勢力が明確に姿をあらわし、さらに日本原子力発電の設立により、科学技術庁グループの対抗勢力としての電力・通産連合が、明確に姿をあらわしたのである。この二元体制モデルは、日本の原子力体制の2000年末までの推移過程に関する大きな見取り図を描く上で有効である。」『原子力の社会史』朝日新聞出版2012 p.23
要するに、官僚たちの権限争いです。
これが何を意味するか、といえば、より大局的に見るならば、日本の原子力は、官僚主導のもとで発展してきた、ということです。すなわち、日本・律令体制のもとで。
あるいは、日本の原発史こそは、現代の日本社会が藤原不比等以来の律令体制そのものであることを証(あかし)する最大のケース・スタディーと言えます。
私は、昨晩、今も原子力村が推進に動くのは、総括原価方式があるからだろう、と推測したのですが、違いました。
「社会史」のなかで、この電力料金の設定方式のことは、あまりにさらっと流されていました。その意味は何か、と私は思い当たりました、「なるほど、このような方式を簡単に作り出せる勢力がいる」と。「だから、肝心なのは、料金設定方式よりも、この方式を簡単に作ってしまう勢力の存在であり、その性格なのだ」と。
その勢力とは何か、といえば、通産省です。
ここで、吉岡氏が重要なことを述べています、
「通産省が統制経済時代に保持していた強大な産業政策上の権限は60年代以降、経済自由化の波に洗われて侵食されていったというのが、産業政策史を学ぶ者にとっての常識である。しかしこと原子力発電分野に限っては、時代の流れと逆行するような動きが、70年代以降から80年代にかけて進展したのである。」p.184
要するに、原子力産業界の全体に君臨する通産官僚統治です。
さて、そこで、日本社会を自然理性の社会に向けて転換したい私たちにとつての問題は、こうです。
なぜそこまで官僚は、力を持てるのか?
以上、原子力問題こそは、律令理性論にとって最大のケース・スタディではないか、と私には思えてきました。
(参照;
武田邦彦のネット・レクチャーが面白い=福島原発事故を起こしたのは、1980年代の朝日新聞だ (uedam.com)
http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/455.html
日本人は、デモする代わりに、死んでいくが、それが、日本人の流儀の伝統的な政治的抗議なのだ (uedam.com)
http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/457.html
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