08. 2014年10月26日 16:59:58
: MuyuuegV7E
>>07. 2014年10月26日 15:03:44 : ET0GcplEbE > 死して虜囚の辱め受けるな その戦陣訓を民間人にも強要した サイパンの万歳クリフは有名だ沖縄戰の集団自決は米軍によるサイパン島での虐殺行為が原因である[1]。 戦陣訓を民間人にも強要したからではない。 サイパンの万歳クリフは有名だが、それは米軍はサイパン島を占領した時に、子供や老人を虐殺し、婦女子は連れ去って強姦した後に虐殺したからである。 ◎サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した[1]。 朝日新聞作成の教材には、何故真実を書かないのか? 朝日新聞作成の教材作成者は、朝鮮人だからか? 朝日新聞作成の真実を隠蔽している教材に大喜びの下の者に問いたい。 竹島は何処の領土か? >>01. 2014年10月26日 13:17:08 : b5JdkWvGxs >>02. 2014年10月26日 13:28:35 : gzZRCP1X5M >>03. 2014年10月26日 13:54:10 : eolIkMp93w >>04. ピッコ 2014年10月26日 14:21:51 : ldyqn.PAmBFfI : NiXyTDG7Lc > 日本軍は沖縄戦で残虐行為を行ったし、軍隊は住民を守らなかった。 朝日新聞はただ『事実』を書いただけだ。 『事実』にバランスも何もない。 こんなことも知らない麗澤大教授の八木秀次は大学教授の名に値しない。 沖縄の中学校に行って正しい歴史を一から学びなおすべきだ。 >>05. 2014年10月26日 14:33:35 : aQq0UGoaxY >>07. 2014年10月26日 15:03:44 : ET0GcplEbE [1] 2014-07-05 沖縄戰の集団自決は米軍によるサイパン島での虐殺行為が原因。 http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20140705 Takaon2014-07-05 大変に恥ずかしいことではあるのだが、サイパン島での米軍による虐殺行為があったことを私は本日まで知らなかった。 田中徳祐元陸軍大尉、飛行冒険家チャールズ・リンドバーグ氏、写真家ユージン・スミス氏による証言が存在する。 米軍はサイパン島を占領した時に、子供や老人を虐殺し、婦女子は連れ去って強姦した後に虐殺した。 米英帝国主義に対抗するために、日本は帝国主義を用いたが、天皇を頂点とする上意下達体制による能率の悪さによって敗北した。戦後、日本は平和貿易体制を通じて富を蓄積したが、米帝様による上意下達体制に組み込まれ、世界の戦乱に自ら関与せざるを得ない状況へ追い込まれつつある。 渡嘉敷島や慶留間島住民の集団自決は、沖縄からサイパン島への移民が多かったため、前年のサイパン島での虐殺行為を聞き及んでいたことに起因すると言われている。 なぜ、沖縄にひめゆりの塔があるか、皆さんには深く考えて欲しい。 サイパン島での出来事をを伝え聞いた沖縄の女学生は、強姦される前に先に死んだのである。 ------------------------- ◎サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した 昭和19年7月、サイパン島陥落時に邦人男女が「万歳」を叫んで次々に断崖から海に身を投げて自殺したいわゆる“バンザイ・クリフ事件” 実は米軍による婦女暴行や虐殺が誘発した事件であったことが生々しい自殺説として『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著に綴られていた。彼は敗戦後もゲリラ活動で戦い通した元陸軍大尉である。 その手記の一部であるバンザイ・クリフ事件の項を紹介する。 サイパン島「いまだにジャングル内に残っている日本の兵隊さん、住民に告ぐ。いまかけた歌は、なんと懐かしい歌ではありませんか。みなさんの幼い頃を思い返してください。一日も早く、平和な日が訪れるのを、故郷の父母が待っていることを忘れないでください」 そしてさらに、「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」 投降を勧める放送は再三くり返された。 我々はその放送を頭っから否定した。「そんな甘い手に我々がのると思うか」放送を耳にすればするほど、強い敵気心が湧いてきた。 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。 我々は、バナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして1000米くらい先に、上陸してすぐの3月20日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは米軍の砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。 そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。 やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。 絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。 ……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。 (この婦女子はその後、1人として生還しなかった) 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。 あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんぱかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。 「おい、もうがまんならん。撃て」この状況をみていた私は叫んだ。同時に吉田軍曹が一発撃った。しかし、なんの効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。 残虐な行為は凄絶をきわめた。火から逃れようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。 二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギヤッー!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。 射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。 恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊を弔うだけが精一杯だった。 我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。 『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著からの抜粋 我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実― http://urx.nu/9Slc 我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 (1983年) [古書] http://urx.nu/9Slf ------------------------------- チャールズ・リンドバーグ著「孤高の鷹」 http://urx.nu/9Slg 「あれがパリの灯だ」で有名な飛行冒険家のリンドバーグの手記に載っていたが、日本兵の捕虜を飛行場に集め、ブルドーザで生きているまま踏み潰した話、たくさんの日本兵の捕虜を殺害し残飯捨て場に捨てた話、この写真のように日本兵の頭蓋骨をお土産に持って帰るのが流行った話おまけにまだ緑色した頭蓋骨(皮を剥いで間もない)を衣のう(軍隊の大型の袋)に入れていて飛行場で注意を受けた話、大たい骨を削って靴べらにするのが流行った話等 |