http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/455.html
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http://8706.teacup.com/uedam/bbs/13254
2014年10月24日
(略)
午後は、小出弘章さんの講演と、武田邦彦さんの動画を見ていました。
たっぷりと時間があるときでしか見られないと思い、そうしました。
小出さんのほうは、今年の沖縄大学での講演。
内容は、いつもと同じ。
いつもと違っていたのは、講演の終盤になって必ず放たれる小出さんの東電攻撃のフレーズで、他の講演会でなら、必ず拍手が起きるところが、沖縄大学ではまったく起きなかったことくらいです。
しかし、小出さんも、息の長い人です。
原発の魅力ひかれて原子力の世界に入ってから、実情を知り、すぐにその姿勢を反転させました。
それでも、いまだにその世界に浸っている人。
日本の原発史の多くを体験し、知っている人、というのは貴重です。
と思いきや、武田邦彦さんのこのネットレクチャーが私には非常に面白かったです。
【保存版】 原発の安全 ( 全7回 ) / 武田 邦彦
http://www.youtube.com/watch?v=z4naBC_RIEU
要点は2つ。
1 日本の原発は、「アカ」に対する対抗として始まった。すなわち、いつでも核の所有ができる準備として。
それは、電力のためでも、エネルギーのためでもない。
2 福島原発事故を起こしたのは、朝日新聞である。1980年代に朝日新聞が、日本人技術者たちの安全技術を批判したので、そこから日本人はまったく安全問題をやらなくなってしまった。
結論は、1955年当時の、中曽根・正力路線と、湯川英樹路線の対決で、湯川秀樹が勝っていれば、福島事故は起きなかったかもしれない。
こんな具合に、実に面白い内容でした。
それから、武田さんが、3.11以後、丸山真男の弟子たちは、どうした!?と 怒っているネット・レクチャーがありました。
東大に、いまや法学部があるのか? 東大に政治学があるのか?
http://www.youtube.com/watch?v=cEWHV59NEBU
武田さん、これは、律令理性論から見れば、簡単に説明できます。
東大の教授たちといえども、二項関係に入っているわけです。
丸山さんが生きている間は、丸山さんと二項関係に入っていられるわけですが、死んでしまえば、それも終わり、と。
二項関係の特徴は、相手がいて、私がいる、という関係性です。
まるで舟木一夫の「きみたちがいて、ぼくがいた」という歌のようですが、その通りです。
これが何か、といえば、きみがいなくなったら、ぼくはいなくなるよ、と。すなわち、別の、現役の、生きている「あなた」と二項関係に入りますよ、と。
つまり、デカルトのように、「我思う、ゆえに我あり」と自分を規定する自我であれば、相手がいようといまいと、自分で、研究テーマを設定できるのですが、二項関係は、それさえも、対人関係で決まってしまう、という、日本人の学問の対人依存性という特徴です。
武田さんは、なまじ自然科学系の人なので、自然界と二項関係に入っている限り、対象としての自然界は消えることはありませんから、その関心が長続きするのでしょう。
■自然科学者の視点から、原発事故の原因を振り返ると■(uedam.com)
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/13255
2014年10月25日
(略)
昨日紹介した武田邦彦の「原発史」のネット・レクチャーが面白いので、きょうは、2回、3回と見てしまいました。http://www.youtube.com/watch?v=z4naBC_RIEU
ついでに、音声だけではなく、文字でも見たいと思い、探したところ、今の時点で見つかりません。面倒なので、探すのをやめます。
しかし、そうでしたか、朝日新聞社が福島原発事故の一つの原因である、というのは、そういうことでしたか。
私は、朝日新聞がそんなに影響力があるとは、ちっとも知りませんでした。
で、このレクチャー、最初から最後まで面白いので、何を話題にしていいのか、困ってしまいます。
そうですねえ、日本の原発の初動のところにしましょうか。
以下は、私が聞き取った武田節です。
「日本の原発は、アメリカとソビエトの冷戦の産物だった、と。
アメリカにとっては、日本が原発を動かして、いつでも核の準備をしておくことは、冷戦を戦う上での必須条件だった。
で、原発を進めるにあたって日本人側は、2つのグループが対立。
政治家・財界人グループと、科学者グループ。
科学者グループは、自前で開発しないと、原発に安全を保証できない、と。
政治家・財界人グループは、すでにアメリカに技術があるのだから、輸入すればいい。日本人の技術者による開発など、待っていられない。
初動期にこの対立があり、勝ったのは、政治家・財界人グループ。
では、彼らは、原発が安全であることを理解したか、といえば、そんなことはありえない。
当時は、湯川英樹とか、仁科とか、原子力がどうなっているのかを知っていたのは、ごく少数。しかも彼らとて、基礎知識が優先であり、原発技術のほうは、まだ知識がなかった。
そういう時点で、政治家・財界人グループが、原発が安全かどうかがわかるはずがない。
その時点で、政治家・財界人グループが勝ったことで、福島事故を招いた、と言える。
もし、あのとき、湯川英樹が言うように、日本人自身が自前で開発していけば、事故はなかったかもしれない。湯川は、自然科学の視点から、原発の安全の問題を考えていたのだ。
一方、政治家・財界人グループが言う「安全」とは、「原発を動かしたいから、原発は安全だ」という発想だった。こちらには、安全であることの根拠がなかった。
いまもこれが続いている。」
以上は、1950年代の物語です。
朝日新聞の問題が出てくるのは1980年代になってから。
この時代から、原発は「安全か」という問題が社会的に意識されるようになった、と。
それまでは、はたして日本で原発が動くだろうか、という一点に皆が集中していた時期だった。
なるほど、でした。
3.11以後のいまでこそ、地震列島に54基の原発なんて、ばかじゃないの? と誰にも簡単にわかりますが、1950年代の当時には、そのことは日本人の誰にも意識されていないのでした。
それよりも、「夢のエネルギー」でした。
日本人の第一号が、中曽根康弘。
1945年8月6日、ヒロシマに立ち上るきのこ雲を見て、「これからは原子力だ」と確信した人でした。
この点では、武田邦彦さんも、変わりありません。
この人は、1970年代の「ローマクラブ」のエネルギー危機のリポートを見て、原発の世界に入った人でした。
そういえば、小出さんも、この時代の人です。
武田さんの分類では、武田・小出は、原発第二世代の人です。
原発第一世代は、1950年の人たち。湯川英樹。
そうなると、原発第三世代が、オノデキタさんの世代、ということになるでしょう。
面白いことに、第二世代までは、まだ原発が「夢のエネルギー」と思えた時期でした。
第三世代は、もう、原発に幻滅しました。
自然科学者の目から見た日本原発史です。
一方、政治家・財界人グループは、3.11以後の今も、まったく幻滅していません。
その理由は何か?
私が思うに、「総括原価方式」というエサでしょう。
原発に投入資金がかかればかかるほど、電力会社は儲かる、という現代の打ち出の小槌。
これに、経産省からメーカー、電力会社、学者、メディア、芸能人、等々が群がる、と。
とりあえず、武田レクチャー、こんなところで。
- 日本人は、デモする代わりに、死んでいくが、それが、日本人の流儀の伝統的な政治的抗議なのだ (uedam.com) 五月晴郎 2014/10/25 22:52:19
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