08. 2014年10月29日 11:32:36
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今の日本の軍事力と、周辺の状況では、必然だろうなhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42076 集団的自衛権行使から集団安全保障へ 2014年10月29日(Wed) 冨澤 暉 日本人の多くはこれまで、「正当防衛」「集団的自衛権行使」「集団安全保障措置」などの言葉をよく理解せぬまま防衛問題を議論してきた。共通の正しい言葉で話し合うことが、今、何よりも重要である。 1. 用語の理解について 日本語・独語・露語では「正当防衛」(国内法上の用語)と「自衛」(国際法上の用語)を別の言葉で表現するが、英・米語では「self defense」の一語で両者の意味を表す。 例えば10月に発表された日米防衛協力指針(ガイドライン)中間報告中の日米協力例の1つ「訓練中の米艦艇が攻撃された場合の装備品等防護」は確かに「self defense」だが、これは日米艦隊を一体のものと見なした場合の「正当防衛」のことであって、日本語で言う「集団的自衛権行使」のことではない。 米海軍ではこれを「unit self defense」と言うそうで、1〜2年ほど前から話題に上がっていたものだが、「これはどういう意味か」と聞いたら米語に詳しいある人が「あれは正当防衛のことですよ」と教えてくれた。 海上自衛隊も最近はこれを真似ており、隊法第95条の「武器等防護のための武器使用」を適用し、(通常は指揮関係のない部隊を含む)訓練参加部隊すべてを一体のものと見なし、その中の何れかの艦艇なり装備が被害を受けた場合には「正当防衛に当たる範囲において」相手に反撃し危害を与えてもいいようになっているらしい。まさにグレーゾーンにおける武力行使そのものである。 この例がなぜ「自衛」でなく「正当防衛」なのかについては聞いていないが、どうやら自衛の目的には「財産の防護」という項目はないのに、正当防衛の目的にはそれがあるためらしい。それにしても、この例が今や国際慣習法になっていると言う点についてはなお疑義が残る。 一方で、米国に対する日本の「集団的自衛権行使」というのは、米国がその国家主権を守るのに単独では対応できず、公式に日本政府に援助を要請し、これに応えて首相が自衛隊に出動命令(防衛行動命令)を与え、この命令に従って自衛隊が行動することである。 装備品なども国家主権の一部には違いないだろうが、米国の装備品を守るために首相が出動命令を発出するはずもなく、またこれは、とてもグレーゾーンなどで臨機に即応できる性質のものでもない。 7年前(第1次安倍晋三内閣)の安保防衛法制懇における研究4事例は、すべて集団的自衛権行使に関わるものとされていた。しかし、本年5月の最終報告書には、それとは別に(1)「グレーゾーンにおける武力行使」と(2)「集団安全保障措置での武力行使」に関わる事例が付け加えられた。 「グレーゾーンにおける武力行使」というのは明確に有事(戦争)とは言えない状態(すなわち、防衛出動下令前)における奇襲対処の話である。これは1978年に当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「防衛出動下令前に奇襲を受けたとき、自衛隊は超法規的行動を取らざるを得ない」と発言し事実上の免職となって以来、放置されてきた問題である。 「集団安全保障措置における武力行使」とは、国連により承認された多国籍軍やPKO(平和安全維持活動)などに参加して武力行使をする、という問題であり、これまでの内閣法制局の解釈では集団的自衛権行使が認められない以上、これも認められないとされてきたものである。 2. 集団的自衛と集団(的)安全保障の違い 集団的自衛は「その権利を行使しても許される」という権利の法理に立ち、その目的は「特定他国を守ること」にあり、英法の「妻子等の自衛」に起源を持つ。むろん、その権利は行使しなくてもいい。 集団安全保障は「感謝(奉仕)の意をこめて参加すべきもの」とする義務(obligation)の法理に立ち、その目的は、特定他国の防護ではなく「国際社会の平和(秩序)を守ること」にある。英法の「犯罪の防止」に起源を持ち、不参加への罰則はないが、不参加は恥ずべきものとされる。 私はかねて「集団的自衛権行使よりも集団安全保障措置への参加を優先すべし」と主張してきた。しかし当時、日本では集団的自衛と集団安全保障の違いを理解する人はほとんどいなかった。 しかるに本年5月の安保防衛法制懇報告には「国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」という文言が明記された。私はこの文言に感動を覚えた。 この報告に対し安倍首相は「集団安全保障の場における武力行使は決してしない」と大いに後退した発言をした。私個人としては期待外れのものであったが、国民の空気を読む政治家の判断としては当然のことであったのかもしれない。 ところが閣議決定の約1か月後(8月6日)に、財団法人・日本国際フォーラム(伊藤憲一理事長)が「積極的平和主義と日本の進路」という政策提言を総理大臣に提出し、さらに産経・朝日・毎日3紙に、各1ページ全面を使った意見広告を出した。 その結論の第1は「国連の集団安全保障措置には、軍事的措置を伴うものを含めて、参加せよ」であり、第2は「PKO法の所要の改正および国際平和協力基本法の制定を早急に実現し、もって世界的な集団安全保障の整備に貢献せよ」であり、第3に「集団的自衛権の行使容認を歓迎し、必要な法制度の早急な整備を求める」であった。 この提言には同フォーラム内外の72人の著名人(政治家・学者・官僚OB・評論家など)たちが署名していた。私自身はこの提言に署名していないが、これを読んで「我が意を得たり」の思いであった。 なお、集団安全保障と集団的安全保障はもともとcollective security の訳語で同じ意味である。日本では1980年代までは集団的安全保障と言っていたが、90年代からいつの間にか「的を外して」集団安全保障と言うようになった。 3.世界の現状に合わせて考える 米軍は一般に自国および特定の他国を守るための自衛行動を必要とせず、地域または世界の平和(秩序)を維持するために、多国籍軍や有志連合軍を構成し、その中核として戦闘する(またはその戦闘を準備して、それに対抗するものを抑止する)のが通常である。 しからば日本は米国を中核とする諸国連合とともに集団安全保障の枠内で多国間訓練を実施し、環太平洋合同演習(リムパック)で既に実施しているように、豪・印・韓・東南アジア諸国などとともに、さらには中国をも招いて、世界の平和(秩序)維持に貢献すべきなのである。 ホルムズ海峡の機雷掃海も「米軍と自衛隊だけで対応する」などと非常識なことを言わず、湾岸諸国や中国を含む多くの石油(ガス)輸出・消費国、さらにはイランをも招いて多国間訓練をし、機雷敷設を抑止することが大事である。 それでも実際に機雷が敷設されたならば、数カ国軍が協力して機雷を排除しなければならない。通常、障害物にはその排除作業を妨害する火力が多種多量に準備されている。その指向火力を無効化し、情報・兵站力を幅広く確保しつつ安全に掃海する仕事は1〜2国の力では難しいからである。 また、集団的自衛権を発動するには被侵略国からの要請が必要なのだが、海峡に主権を持つイランとオマーンが共に要請を出すことは通常考えられない。 この海峡封鎖は特定国家を侵略するためのものではなく、中東の石油・ガスを輸出不能とし、世界の平和(秩序)を混乱し破壊しようとするものなのだから、できれば国連が立ち上がり、それができなくても「この指止まれ」と有志連合軍を募って、あくまでも集団安全保障措置として対応すべきものである。 この際、第一線戦闘部隊の役割を担うか後方兵站部隊に任ずるかは問題ではない。現代戦では後方部隊でも前線と同様の損害が出るのが通常である。 後方支援に徹したアフガンでのドイツ連邦軍も50人以上の戦死者を出し問題となったが、ドイツは引き続き域外(北大西洋条約における非5条任務=集団安全保障任務)軍事支援を継続している。 先の9月、シリア国内のイスラム国空爆にあたり、当初、米国は自衛権発動による有志連合軍だと主張したが、同時に外交活動によりG7はじめ国連加盟国多数の支持そしてシリア自身の暗黙の了承までとりつけた。 こうなるとこの有志連合軍の行動は、国連安保理決議がないにもかかわらず、「自衛」から「集団安全保障措置」に変わったと言わざるを得ない。 今後の、防衛に関わる国民的論議の中で、「集団的自衛権行使から集団安全保障措置へ」の理解が深まることを期待している。 |